雄略天皇 巻1-1
   泊瀬朝倉宮に御宇(あめのしたしらしめしし)天皇(すめらみこと)の代(みよ)
   [大泊瀬稚武天皇(おほはつせわかたけのすめらみこと)]
   天皇(すめらみこと)の御製歌(おほみうた)

  籠(こ)もよ み籠持ち 掘串(ふくし)もよ
  み掘串持ち この岳(をか)に 菜(な)摘(つ)ます児(こ) 
  家聞かな 名告(の)らさね そらみつ 大和の国は おしなべて
  われこそ居(を)れ しきなべて われこそ座(ま)せ 
  われこそは 告らめ 家をも名をも
 
口訳   良いかごを持ち、良いへらを持って、この丘で菜(な)を摘むお嬢さん。
  あなたの家はどこかな、教えてくれないかな。
  私は大和の国を治めているものです。
  だから私には教えてくれるでしょうね、君の家も君の名前も。
場所  桜井市黒崎・白山神社境内 (揮毫者・保田与重郎)
原文    天皇御製歌
  籠毛與 美籠母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒
  家吉閑名 名告紗根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手
  吾許曽居 師吉名倍手 吾己曽座 我許背者 告目 家呼毛名雄母
写真  

古代、名にはそのものの霊魂が宿っていると考えられていました。
通称とは異なり、真の名は母親と自分のみ知るものとして秘する習いだったのです。
だから、名告りは重要なことであり、男が女の名を尋ねるのは求婚を意味し、
女が名を明かすのは相手の意のままになることを意味しました。

境内には「万葉集發燿讃仰碑(まんようしゅうはつようさんごうひ)」もあります。
2011.11.30






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