額田王 巻1-7
   明日香川原宮御宇天皇代 [天豊財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)]額田王の歌 いまだ詳らかならず
  秋の野の み草刈り葺き 宿れりし
  宇治の京の 仮廬(かりほ)し思ほゆ
   右は、山上憶良大夫の類聚歌林を檢(かむか)ふるに曰はく「一書(あるふみ)に戊申の年比良の宮に幸すときの大御歌」といへり。
   ただ、紀に曰はく「五年の春、正月己卯(きばう)の朔(つきたち)の辛巳(しんし)、天皇、紀の温湯より至(かへ)ります。
   三月戊寅(ぼいん)の朔、天皇吉野の宮に幸して肆宴(とよのあかり)す。庚申(かうしん)の日、天皇近江の平の浦に幸す」といへり。

口訳   明日香川原宮御宇天皇の代の額田王の歌
  秋の野の草を刈り取って屋根にして泊まった、宇治の仮宮(家)が思い出される。
   
原文    明日香川原宮御宇天皇代 [天豊財重日足姫天皇]   額田王歌 [未詳]
  金野乃 美草苅葺 屋杼礼里之 兎道乃宮子能 借五百礒所念
   右、檢山上憶良大夫類聚歌林曰、一書戊申年幸比良宮大御歌。
   但、紀曰、五年春、正月己卯朔辛巳、天皇、至自紀温湯。三月戊寅朔、天皇幸吉野宮而肆宴焉。庚辰日、天皇幸近江之平浦。

場所  京都府宇治市上権現町・下居神社 (揮毫者・森鵬父)
写真  

  


2021.1.9
「明日香川原宮御宇天皇」奈良県高市郡明日香村川原の川原寺は宮居を後に寺としたか。
書記によれば斉明元(655)年冬、飛鳥板蓋宮の火災によってここを宮居とし、翌二年に後岡本宮を起こしている。
皇極天皇は板蓋宮にあり、川原宮の天皇は存在しないが、皇極朝をさすと思われる。
「天豊財重日足姫天皇」皇極天皇。
「額田王」鏡王の娘。大海人皇子(天武天皇)との間に十市皇女を産む。
「み草」すすきのこと。
「比良の宮」滋賀県滋賀郡志賀町(現、大津市)。
秋を「金」の字で現わすのは陰陽五行の説による。木・火・金・水を春・夏・秋・冬に配する。






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