中大兄皇子(天智天皇) 巻1-13、14
   中大兄(近江宮に天の下知らしめしし天皇)の三山の歌
  香具山は 畝火ををしと 耳成と
  相あらそひき 神代より かくにあるらし
  古昔(いにしへ)も 然にあれこそ
  うつせみも 嬬(つま)を あらそふらしき
   反歌
  香具山と 耳成山とあいし時 立ちて見に来し 印南国原(いなみくにはら) 
口訳   香具山は 畝傍山を男らしい者として 耳成山と争った。
  神代からそうであるらしい。
  昔からそうだからこそ、現実にも(人は)愛する者を争うらしい。

  香具山と耳成山とが争ったときに、阿菩(あぼ)の大神が立ち上がって見に来た印南の国原よ。
原文    中大兄(近江宮御宇天皇)三山歌
  高山波 雲根火雄男志等 耳梨與 相諍競伎 神代従 如此尓有良之
  古昔母 然尓有許曽 虚蝉毛 嬬乎 相挌良思吉
   反歌
  高山与 耳梨山与 相之時 立見尓来之 伊奈美國波良 
場所  橿原市白橿町・近隣公園の沼山古墳付近 (揮毫者・久松潜一)
写真   

   

 

以前住んでいた社宅のすぐそばにあります。
岩船も近くにあります。
2011.2.6
場所  桜井市茅原・井寺池 (揮毫者・東山魁夷)
写真   

  
有名な大和三山の妻争いの伝説を歌ったものです。
この三山が妻争いをしたという伝説が『播磨風土記』に書かれています。
それによれば、三山が争うと聞いて出雲の阿菩大神(あぼのおおかみ)が仲裁にやって来て、争いが止んだ。
そこで、その地、播磨の国印南野に船を逆さに伏せて留まり、それが丘になったといいます。

この歌からは、額田王をめぐる、弟・大海人皇子との妻争いを連想させます。
額田王は初め大海人皇子の妻で、十市皇女(とおちのひめみこ)を生みましたが、
後に天智天皇となった中大兄皇子の後宮に入りました。
2011.5.5



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