額田王 巻1-17・18 | |
額田王の近江国に下りし時に作れる歌、井戸(ゐのへの)王のすなはち和(こた)へたる歌 味酒(うまさけ) 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際(ま)に い隠(かく)るまで 道の隈(くま) い積(つも)るまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放(みさ)けむ山を 情(こころ)なく 雲の 隠(かく)さふべしや 反歌 三輪山を しかも隠すか 雲だにも 情(こころ)あらなも 隠さふべしや 右の二首の歌は、山上憶良大夫(やまのうへのおくらのまへつきみ)が類聚歌林(るいじうかりん)に曰はく 「都を近江国に遷す時に三輪山を御覧(みそなは)す御歌なり」といへり。 日本書紀に曰はく「六年丙寅(へいいん)の春の三月辛酉(しんいう)の朔(つきたち)の己卯(きばう)、都を近江に遷す」といへり。 |
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口訳 | なつかしい三輪山が奈良の山の端(はし)に隠れるまで、いくつもの道の曲がり角を過ぎるまで、たくさん見続けていたいのに。 何度も見たい山なのに、雲が隠したりしていいものでしょうか。 名残惜しい三輪山を、どうしてこんなに隠すのか。せめて雲だけでも心があってほしい。どうか隠さないでおくれ。 |
原文 | 額田王下近江國時作歌、井戸王即和歌 味酒 三輪乃山 青丹吉 奈良能山乃 山際 伊隠萬代 道隈 伊積流萬代尓 委曲毛 見管行武雄 數々毛 見放武八萬雄 情無 雲乃 隠障倍之也 反歌 三輪山乎 然毛隠賀 雲谷裳 情有南畝 可苦佐布倍思哉 |
場所 | 桜井市三輪・狭井川 (揮毫者・千田憲) |
写真 | 2011.5.5 |
場所 | 桜井市穴師・景行天皇陵東南 (揮毫者・中河与一) |
写真 | 2011.11.24 |
場所 | 桜井市芝・芝運動公園 (揮毫者・川端康成) |
写真 | 2011.11.30 |
場所 | 桜井市東新堂・桜井西中学校校庭 (揮毫者・保田与重郎) |
写真 | 2011.12.22 |
三輪山がとても美しく見えます。 663年の白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した中大兄皇子は、唐の侵略に恐れおののきます。 そのため、都を内陸深く近江に遷し、各地に城を築きました。 しかし、『日本書紀』によれば、この遷都は民には喜ばれず、風刺の童謡が歌われたり原因不明の火事が相次いだといいます。 そうしたなか強行された遷都の途上、額田王が中大兄皇子になり代わってこの歌を詠んだとされます。 三輪山は山全体が大神神社の御神体であり、しばしば祟りを及ぼすと畏れられていました。 そのため、山の魂を鎮め、同時に自分たちの行路の安全と新都の繁栄を祈りつつ、朝夕見慣れた三輪山との別れを惜しんだのです。 長歌に詠われている、道の曲がり角ごとに幾度も振り返ってなつかしむさまは、国境を越える際の儀礼だったともいわれています。 |
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