吹黄刀自(ふきのとじ) 巻1-22
   明日香清御原宮の天武天皇の時代(673〜689年)、
   十市皇女(とをちのひめみこ)が伊勢神宮に参拝したときに、
   波多(三重県一志郡一志町)の横山の巨岩を見て、吹黄刀自(ふきのとじ)が作った歌

  河上(かわのへ)の ゆつ岩群(いはむら)に 草生(む)さず
  常にもがもな 常娘子(とこをとめ)にて
   吹黄刀自はいまだ詳らかならず。ただ、紀に曰はく「天皇四年乙亥(いつがい)の春二月乙亥の朔(つきたち)の丁亥、十市皇女、阿閉皇女、伊勢の神宮に参赴く」といへり。
口訳   川のほとりの神々しい岩々に草が生えないように、変わらずにいてください、いつまでも若い乙女のままで。
場所  奈良市高畑町・比売神社 (揮毫者・福川涼(書家))
原文    明日香清御原宮天皇代 [天渟中原瀛真人天皇、謚曰天武天皇]
   十市皇女、参赴於伊勢神宮時、見波多横山巌吹黄刀自作歌

  河上乃 湯津盤村二 草武左受 常丹毛冀名 常處女煮手
   吹黄刀自詳也。但、紀曰、天皇四年乙亥春二月乙亥朔丁亥、十市皇女、阿閉皇女、参赴於伊勢神宮。
写真    

  
2022.6.30
十市皇女は天武天皇の皇女、母は額田王。弘文天皇の后となり天武七年薨。
波多=三重県一志郡一志町。

比売神社は、新薬師寺に接してひっそりとたっています。



トップページへ