柿本人麿 巻1-45
   軽皇子の安騎の野に宿りましし時に、柿本朝臣人麿の作れる歌
  やすみしし わご大君 高照らす
  日の御子(みこ) 神ながら
  神さびせすと 太(ふと)敷かす 京(みやこ)を置きて 隠口(こもりく)の
  泊瀬(はつせ)の山は 真木(まき)立つ 荒山道(あらやまみち)を 石(いは)が根
  禁樹(さへき)おしなべ 坂鳥の 朝越えまして 玉かぎる
  夕さりくれば み雪降る 阿騎(あき)の大野に 旗薄(はたすすき)
  小竹(しの)をおしなべ 草枕 旅宿りせす 古(いにしへ)思ひて

口訳   わが皇子、日の御子は神であるままに神として行動なさるとて、
  立派な都をあとにして、泊瀬の山は真木の立つ荒い山道だが、
  それを岩や禁樹を押しなびかせて朝越えていらっしゃって、
  夕方になると、雪の降る阿騎の広い野に、
  旗すすきや小竹を押し伏せて草を枕に旅やどりをなさる。
  亡き父君草壁皇子のいらした昔のことを思って。
場所  宇陀市大宇陀町迫間・かぎろひの丘 (寛永版本より)
原文    軽皇子宿于安騎野時、柿本朝臣人麿作歌
  八隅知之 吾大王 高照 日之皇子 神長柄 神佐備世須等 太敷為
  京乎置而 隠口乃 泊瀬山者 真木立 荒山道乎 石根 禁樹押靡
  坂鳥乃 朝越座而 玉限 夕去来者 三雪落 阿騎乃大野尓 旗須為寸
  四能乎押靡 草枕 多日夜取世須 古昔念而
写真  
2011.10.20
軽皇子(かるのみこ)は草壁皇子(くさかべのみこ)の皇子で、後の文武天皇。
この時10歳。
作者は、かつて軽皇子の父君である草壁皇子の狩りのお供をして安騎野に来た時のことを回想し、
草壁皇子に対する追憶と憂愁とを歌いました。
草壁皇子は、皇位継承者として天武・持統天皇に期待されながら、689年、28歳の若さで他界しました。
持統天皇が即位したのは、軽皇子に皇位を継がせるまでの中継ぎ的なものでした。
 



トップページへ