弓削皇子 巻2-111 / 額田王 巻2-112 | |
吉野の宮に幸(いでま)しし時に、弓削皇子の額田王に贈り与へたる歌 古に 恋ふる鳥かも 弓絃葉(ゆづるは)の 御井(みゐ)の上より 鳴き渡り行く 額田王の和(こた)へ奉れる歌 大和の都より奉り入る 古に 恋ふらむ鳥は 霍公鳥 けだしや鳴きし わが念(おも)へる如(ごと) |
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口訳 |
昔を偲んでいる鳥なのでしょうか、弓絃葉の御井の上を鳴き渡ってゆきます。 あなたが「昔を偲ぶ」とおっしゃる鳥は、ホトトギスでしょう。おそらくそのホトトギスが、私が昔を恋い慕うように鳴いたのでしょう。 |
原文 | 幸于吉野宮時、弓削皇子贈与額田王歌 古尓 戀流鳥鴨 弓絃葉乃 三井能上従 鳴済遊久 額田王奉和歌 従倭京進入 古尓 戀良武鳥者 霍公鳥 盖哉鳴之 吾念流碁騰 |
場所 | 桜井市粟原(おおばら)・粟原寺跡 (揮毫者・金本朝一) |
写真 | 2011.12.27 |
弓削皇子は天武天皇の第九皇子。 額田王は斉明天皇の時代に活躍がみとめられる代表的な女流歌人。当時、弓削皇子は20代、額田王は60代。 持統天皇の吉野行幸の折に弓削皇子が額田王に贈った歌に対する額田王の返歌。 「弓絃葉の御井」は吉野離宮近くにあった水汲み場。 弓削皇子は遠ざかる鳥の声に父帝天武天皇との在りし日を思い出し、 重ねて若き日に寵愛をうけ今はその思い出に生きる人、額田王にあたたかい同情をよせています。 粟原の地には、額田王終焉の地という伝承があります。 それはさておき、国道筋から粟原寺跡までの登り道はとんでもない坂でした。 |
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場所 | 高市郡明日香村野口・野口植山城跡 (揮毫者・上野凌弘) |
写真 | 2012.1.18 |
野口植山城も小学校の裏手になってなかなか登りにくいところです。 お城の跡はなく、歌碑だけがぽつんと建っています。 でも、その歌碑が天武持統陵を望むように建っているのが意味深です。 |
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