有間皇子(ありまのみこ) 巻2-142
   
  家にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を 草枕
  旅にしあれば 椎(しひ)の葉に盛る
口訳   家にいるときはいつも食器に盛っていた飯を、
  今は旅の途上であるので、椎の葉に盛っている。
原文    
  家有者 笥尓盛飯乎 草枕 旅尓之有者 椎之葉尓盛
場所  和歌山県海南市黒江・名手酒造 (揮毫者・犬養孝)
写真  


2012.4.27
場所  和歌山県海南市藤白・藤白坂(揮毫者・佐々木信綱)
写真  

  
2012.4.27
有間皇子は36代孝徳天皇の皇子で、皇位継承の有力な資格者でした。
一方、斉明天皇(37代=35代皇極天皇)と皇太子・中大兄皇子(38代天智天皇)にとっては、
皇位をスムーズに引き継ぐため、有間皇子は除いておきたい人物だったのです。
そんな中の658年、皇子は、斉明天皇と皇太子・中大兄皇子が紀の湯に行幸中に謀叛を企てたとして捕えられます。
留守役の蘇我赤兄(そがのあかえ)にそそのかされたもので、中大兄と赤兄によって仕組まれたものだともいわれています。
この歌は、旅先の不自由さを詠んだとも、飯を神に供えて祈ったともいわれます。
このとき皇子は、皇太子の訊問に対して申し開きができるものと信じていたのかもしれません。
しかし結局、中大兄の訊問を受けた帰りに、藤白坂で絞首刑に処せられます。
謀叛とはいえ、これといった何の行動にも結びつかないままの、悲劇の結末でした。享年19歳。



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