高市皇子(たけちのみこ) 巻2-158
   明日香清御原宮御宇天皇代(あすかのきよみはらのみやにあめのしたしらしめししすめらみことのみよ)
   [天渟中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)、諡(おくりな)して天武天皇といふ]
     十市皇女(とをちのひめみこ)の薨(かむあが)りましし時に、高市皇子尊の作りませる御歌

  山振(やまぶき)の 立ち儀(よそ)ひたる山清水 酌(く)みに行かめど 道の知らなく
    紀に曰はく「七年戊寅(ぼいん)の夏四月丁亥(ていがい)の朔(つきたち)の癸巳(きし)、
    十市皇女卒然(にはか)に病(やまひ)発(おこ)りて宮の中(うち)に薨りましき」といへり。
口訳   山吹(やまぶき)の花が咲いて黄色に装われた山の清水を汲みに行こうと思っても、道がわからないのです。
原文    十市皇女薨時、高市皇子尊御作歌
  山振之 立儀足 山清水 酌尓雖行 道之白鳴
場所  桜井市茅原・玄賓庵裏 (揮毫者・安田靫彦)
写真  

  
2011.5.15
場所  高市郡明日香村岡・犬養万葉記念館 (揮毫者・犬養孝)
写真  
2011.11.19
十市皇女(とおちのひめみこ)が亡くなった時に、高市皇子がつくった歌です。
十市皇女は天武天皇と額田王との娘。
高市皇子は天武天皇の長子。
山吹の花にも似た姉の十市皇女が急死し、どうしてよいのか分からないという心が含まれています。
一方、あざやかな黄色い花をつける山吹が咲いている場所の清水を汲みに行きたいという表現は、
死者の赴く「黄泉国(よみのくに)」へ行きたいという心情を表すものだともいわれています。



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