柿本人麿 巻2-207
   柿本朝臣人麿の妻死(みまかり)し後に泣血(いさ)ち哀慟(かなし)みて作れる歌
  天飛(あまと)ぶや 軽(かる)の路(みち)は 吾妹子(わぎもこ)が
  里にしあれば ねもころに 見まく欲しけど やまず行かば
  人目(ひとめ)を多み 数多(まね)く行かば 人知りぬべみ 狭根葛(さねかづら)
  後(のち)も逢はむと 大船(おほふね)の 思ひ憑(たの)みて 玉かぎる
  磐垣淵(いはかきふち)の 隠(こも)りのみ 恋ひつつあるに 渡る日の
  暮れぬるが如(ごと) 照る月の 雲隠る如 沖つ藻の
  靡(なび)きし妹(いも)は 黄葉(もみちば)の 過ぎて去(い)にきと 玉梓(たまづさ)の
  使(つかひ)の言へば 梓弓(あづさゆみ) 声(おと)に聞きて 言はむ術(すべ)
  為(せ)むすべ知らに 声(おと)のみを 聞きてあり得ねば
  わが恋ふる 千重(ちへ)の一重(ひとへ)も 慰(なぐさ)もる 情(こころ)もありやと 吾妹子が
  止まず出で見し 軽の市(いち)に わが立ち聞けば 玉襷(たまだすき)
  畝火の山に 鳴く鳥の 声も聞えず 玉桙(たまほこ)の
  道行く人も 一人だに 似てし行かねば すべをなみ 妹が名喚(よ)びて 袖そ振りつる
口訳   軽の地はわが妻の里なので、よくよく見たいのだけれど、
  絶えず行くと人の目が多いので、度々行くと人が知ってしまうだろうから、
  また後で逢おうと、大船をたのむ気持で、
  玉となって輝く石にかこまれた淵のように逢いもせずこもって恋い慕っていたのだが、
  空を渡って日が暮れていくように、明るく照っている月が雲に隠れるように、
  長い藻のごとく靡き寄った妻は黄葉が散るように死んでいったと、
  玉あずさを携えた使いが来ていうので、梓弓の音を聞くようにしらせを聞いて、
  どうしたらよいのか途方にくれて、しらせだけを聞いてじっとしてはいられないので、
  この恋心の千分の一も慰められるだろうかと、妻がいつも出て見ていた軽の市に私もいって、
  立ち止まって聞いてみると、畝火の山で鳴く鳥の声も聞こえて来ないし、
  玉桙の道を通る人も、誰ひとりとして似た人は行かないので、
  しかたなく妻の名を呼んで袖を振ってしまった。

場所  橿原市見瀬町・牟佐座神社 (揮毫者・昆布富明)
原文    柿本朝臣人麿妻死之後、泣血哀慟作歌
  天飛也 軽路者 吾妹兒之 里尓思有者 懃 欲見騰 不已行者
  人目乎多見 真根久徃者 人應知見 狭根葛
  後毛将相等 大船之 思憑而 玉蜻
  磐垣渕之 隠耳 戀管在尓 度日乃
  晩去之如 照月乃 雲隠如 奥津藻之
  名延之妹者 黄葉乃 過伊去等 玉梓之
  使乃言者 梓弓 聲尓聞而 将言為便
  世武為便不知尓 聲耳乎 耳而有不得者
  吾戀 千重之一隔毛 遣悶流 情毛有八等 吾妹子之
  不止出見之 軽市尓 吾立聞者 玉手次
  畝火乃山尓 喧鳥之 音母不所聞 玉桙
  道行人毛 獨谷 似之不去者 為便乎無見 妹之名喚而 袖曽振鶴
写真  
2011.2.17
近鉄吉野線岡寺駅のすぐそばにあります。



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