柿本人麿 巻2-210
   柿本朝臣人麿の妻死(みまかり)し後に泣血(いさ)ち哀慟(かなし)みて作れる歌
  うつせみと 思ひし時に たづさへて わが二人見し 走出(はしりで)の 堤に立てる 槻(つき)の木の こちごちの枝(え)の 春の葉の 
  茂きが如く 思へりし 妹(いも)にはあれど たのめりし 児らにはあれど 世の中を 背(そむ)きし得ねば
  かぎろひの 燃ゆる荒野(あらの)に 白栲(しろたへ)の 天領巾(あまひれ)隠(がく)り 鳥じもの 朝立ちいまして 入日(いりひ)なす 隠りにしかば 
   吾妹子(わぎもこ)が 形見に置ける みどり児の 乞ひ泣くごとに 取り与ふ 者し無ければ 男じもの 腋はさみ持ち 吾妹子と
  二人わが宿(ね)し 枕つく 嬬屋(つまや)の内に 昼はも うらさび暮し 夜はも 息づき明し 嘆けども せむすべ知らに 恋ふれども 
  逢ふ因(よし)を無み 大鳥の 羽易(はがひ)の山に わが恋ふる 妹は座(いま)すと 人の言へば 石根(いはね)さくみて なづみ来し
  吉(よ)けくもそなき うつせみと 思ひし妹が 玉かぎる ほのかにだにも 見えぬ思へば
口訳   生きていると思っていた時に、手を携えて私たち二人が見たすぐ近くの堤にそびえる欅の木のあちこちの枝に
  春先の葉が一面に茂るように幾重にも恋した妻ではあったが、末永くたのみにした女性であったのに、この世の運命にそむくことはできないから
  陽炎の燃え立つ荒野に純白の領巾に包まれて、朝鳥のようにとびたち、落日のごとく姿を消してしまったので
  妻が形見として残した幼な子が乳を乞うて泣くたびに与えるものとてなく、男らしくもなく腋にかかえあげて
  妻と二人で寝て枕を交わした嬬屋の中で、昼は一日をわびて過ごし、夜は切なく明け方を迎え、いくら嘆いてもどうしようもなく
  会えるわけもないから、大鳥が羽を交わすあの山に恋しい妻はおいでだと人が言うので、岩をふみわけ苦しみながら来たことだ。
  でも少しもよくはない。生きていると思っていた妻が玉のゆらめくようなほのかさの中にすら見えないことを思うと。
場所  高市郡明日香村橘 (揮毫者・坂本信幸)
原文    柿本朝臣人麿妻死之後、泣血哀慟作歌
  打蝉等 念之時尓 取持而 吾二人見之 走出之 堤尓立有 槻木之 己知碁知乃枝之 春葉之 茂之如久 念有之   
  妹者雖有 馮有之 兒等尓者雖有 世間乎 背之不得者 蜻火之 燎流荒野尓 白妙之 天領巾隠 鳥自物
  朝立伊麻之弖 入日成 隠去之鹿歯 吾妹子之 形見尓置有 若兒乃 乞泣毎 取與 物之無者 鳥徳自物
  腋挟持 吾妹子与 二人吾宿之 枕付 嬬屋之内尓 昼羽裳 浦不楽晩之 夜者裳 氣衝明之 嘆友 世武為便不知尓 恋友
   相因乎無見 大鳥乃 羽易乃山尓 吾恋流 妹者伊座等 人之云者 石根左久見手 名積来之 吉雲曽無寸 打蝉等
  念之妹之 珠蜻 髣髴谷裳 不見思者
写真  

  
2011.2.13 
あまりに長い歌なので字をうっていてへたりかけました。



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