柿本人麿 巻3-239,240,241
   長皇子の猟路(かりぢ)の池に遊(いでま)しし時に、柿本朝臣人麿の作れる歌一首併せて短歌
  やすみしし わご大王 高光る
  わご日の皇子の 馬並(な)めて
  み猟(かり)立たせる 弱薦(わかこも)を
  猟路の小野(をの)に 猪鹿(しし)こそば
  い匍(は)ひ拝(をろが)め 鶉(うづら)こそ
  い匍(は)ひ廻(もと)ほれ 猪鹿じもの
  い匍(は)ひ拝(をろが)み 鶉(うづら)なす
  い匍(は)ひ廻(もと)ほり 恐(かしこ)みと
  仕(つか)へ奉(まつ)りて ひさかたの
  天(あめ)見るごとく 真澄鏡(まそかがみ)
  仰ぎて見れど 春草の
  いや愛(め)づらしき わご大王かも

     反歌一首
  ひさかたの 天(あま)ゆく月を 網に刺し
  わご大王は 蓋(きぬがさ)にせり

   或る本の反歌一首
  皇(おほきみ)は 神にし坐せば 真木(まき)の立つ   荒山中(あらやまなか)に 海を成すかも 
口訳   天下を隅々まで統治なさる我が大王、天上の世界まで高く光る我が日の御子が、馬を並べて猟にお出かけになる。
  若い薦を刈る猟路の野には、猪や鹿たちは御子に狩られて腹ばい拝みなさい、鶉たちは捕らえられ腹ばいまわりなさい。
  私たちも猪や鹿のように待ち伏せの地に伏しておがみ、鶉のように狩りの大地をはい廻って、恐れ多いこととしてお使え申し上げよう。
  彼方の空を望むように、清らかな鏡を仰ぐように見ても、春草の萌え出るように慕わしいわが大君よ。

  天空を渡っていく月を網でからめとり、わが大君はその月を蓋になさっている。

  皇は現御神であられるので、真木の生茂る荒山の中に雲で海(雲海)をお作りになったことだ。
場所  宇陀市榛原下井足・榛原西小学校 (揮毫者・橋本聖準(東大寺長老))(2-241(碑表)、2-239・240(碑裏))
原文    長皇子遊猟路池之時、柿本朝臣人麿作歌一首并短謌(碑裏)
  八隅知之 吾大王 高光 吾日乃皇子乃 馬並而
  三猟立流 弱薦乎 猟路乃小野尓 十六社者 伊波比拜目 鶉己曽
  伊波比廻礼 四時自物 伊波比拜 鶉成 伊波比毛等保理 恐等
  仕奉而 久堅乃 天見如久 真十鏡 仰而雖見 春草之 益目頬 四寸 吾於富吉美可聞
     反歌一首(碑裏)
  久堅乃 天帰月乎 網尓刺 我大王者 蓋尓為有
   或本反歌一首
  皇者 神尓之坐者 真木乃立 荒山中尓 海成可聞
写真  
2012.3.15
榛原西小学校は、もとは大王小学校といいました。
大王小学校の改築に際して調査された「大王山遺跡」で
弥生時代の住居跡や古墳時代の方形台状古墳、中世の墳墓群など、たくさんの遺構が発掘されました。
場所  桜井市多武峰・談山神社東門 (揮毫者・山岡荘八)(2-240)
原文    反歌一首
  久堅乃 天帰月乎 網尓刺 我大王者 蓋尓為有
写真  


2011.5.7
長皇子が狩りをしたときの姿をほめたたえた歌。
蓋は絹織物を張った柄の長い傘で、古代貴人のうしろからさしかけたもの。
場所  桜井市倉橋・森林組合前 (揮毫者・宇野哲人)(2-241)
原文    或本反歌一首
  皇者 神尓之坐者 真木乃立 荒山中尓 海成可聞
写真  
2011.12.27
猟路は桜井市南部の鹿路(ろくろ)あたりといわれています。
歌碑は倉橋ため池の公園の中にあります。



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