長田王 巻3-245・246 | |
長田王の筑紫に遣はさえて水嶋に渡りし時の歌 聞くが如(ごと) まこと貴(たふと)く 奇(くす)しくも 神さび居(を)るか これの水島 芦北の 野坂の浦ゆ 船出して 水島に 行かむ 波立つなゆめ |
|
口訳 | 聞いていたように、真に貴く御目出度く神々しくあることです。この水島は。 芦北の野坂の浦から船出して水島に行こうと思う。ゆめゆめ波立つなよ。 |
原文 | 長田王被遣筑紫渡水嶋之時謌 如聞 真貴久 奇母 神左備居賀 許礼能水嶋 葦北乃 野坂乃浦従 船出為而 水嶋尓将去 浪立莫勤 |
場所 | 熊本県八代市水島町・八代市立第六中学校校門内(巻3-246) (揮毫者・学校長 谷光) |
写真 | 2020.2.15 |
校門を入ってすぐのところにありました。 干拓地内にある中学校と思われ、奈良県民にとっては驚くことばかりです。 昭和49年度卒業生寄贈って、自分が小学生の時に建った歌碑だと思うと歴史を感じます。 |
|
場所 | 熊本県八代市水島町・万葉の里公園入り口(巻3-245) (西本願寺本万葉集より) |
写真 | 2020.2.15 |
平成2年10月、水島万葉の里つくりの会・水島町建立とあります。 |
|
場所 | 熊本県八代市水島町・万葉の里公園(巻3-245・246) (揮毫者・浅野千穂) |
写真 | 2020.2.15 |
平成22年3月、八代市による建立です。 八代を訪問したときは雨の中、車を走らせていったのですが 歌碑の写真を撮っているときだけ雨があがっていたという不思議な経験をしました。 |
トップページへ |