山部宿禰赤人(やまべのすくねあかひと) 巻3-378
   山部宿禰赤人の故太政大臣藤原家(なきおほきおほまへつきふじはらのいへ)の山池(しまのいけ)を詠める歌
  古(いにしへ)の 古き堤は 年深み
  池の渚に 水草(みくさ)生ひにけり
口訳   昔むかしの古い堤は主を失って年を重ね、池の渚には水草が生い繁っている。
原文    山部宿禰赤人詠故太政大臣藤原家之山池詠歌
  昔者之 舊堤者 年深 池之瀲尓 水草生家里
場所  奈良市法華寺町・法華寺境内 (揮毫者・久我高照(法華寺門跡))
写真  

  
2012.3.10
「池の渚(なぎさ)」は、池の水際のこと。
故(すぎにし)太上大臣(だじょうだいじん)藤原は、藤原不比等(ふひと)のこととされています。

山部 赤人は、奈良時代の歌人。
三十六歌仙の一人。姓は宿禰。
神亀・天平の両時代にのみ和歌作品が残され、行幸などに随行した際の天皇讃歌が多いことから、聖武天皇時代の宮廷歌人だったと思われる。
作られた和歌から諸国を旅したとも推測される。
同時代の歌人には山上憶良や大伴旅人がいる。

法華寺は、奈良市法華寺町にある仏教寺院。
奈良時代には日本の総国分尼寺とされた。山号はなし。
本尊は十一面観音、開基は光明皇后。
元は真言律宗に属したが、平成11年(1999年)に同宗を離脱し、光明宗と称する。
光明皇后ゆかりの門跡尼寺として知られる(門跡寺院とは、皇族、貴族の子女などが住職となる格式の高い寺院の称)。
東大寺が全国の総国分寺であったのに対し、法華寺は総国分尼寺と位置づけられ、詳しくは法華滅罪之寺といった。
法華寺の地にはもと藤原不比等の邸宅があり、不比等の没後、娘の光明子、すなわち光明皇后がこれを相続して皇后宮とした。
皇后が千人の病人の垢を流したという浴室があります。
法華寺は平安遷都以後は次第に衰微し、平安時代末期にはかなり荒廃していたことが当時の記録から伺える。
場所  群馬県高崎市山名・山名貯水池 (揮毫者・高井紫風)
写真  

  
2023.7.9
山名貯水池は昭和初期に県営ため池整備事業で整備されたもの。
石碑の裏側に万葉歌が刻まれていました。
2023.7.9



トップページへ