聖徳太子 巻3-415
   上宮聖徳皇子(かみつみやのしやうとこのみこ)の竹原井(たかはらのゐ)に出遊(いでま)しし時に、
   龍田山(たつたやま)の死(みまか)れる人を見て悲傷(かな)しびて作りませる御歌
   [小墾田(をはりた)の宮に天の下知らしめしし天皇(すめらみこと)の代(みよ)。
   小墾田の宮に天の下知らしめししは豊御食炊屋姫天皇(とよみけかしきやひめのすめらみこと)なり。
   諱(いみな)は額田(ぬかた)、諡(おくりな)は推古(すいこ)]

  家にあれば 妹が手まかむ草枕
    旅に臥(こや)せる この旅人(たびと)あはれ
 
口訳   家にいたなら、妻の腕を枕としているであろうに、草を枕の旅路に倒れて亡くなったこの旅人が哀れである。
場所  桜井市上之宮・春日神社境内 (揮毫者・間中定泉)
原文    
  家有者 妹之手将巻 草枕 客尓臥有 此旅人阿怜
写真  
2011.12.9
「行路死人歌」は、旅先で飢えて倒れた、または不慮の災難に遭った死人を歌った歌。
旅する人は、素性の知れない異人でもあったから、たとえ人里近くで難事に遭っても、たやすく援助を受けられなかったのでしょう。
野ざらしとなった死者は、「死」そのものが「けがれ」だったために、村落の人々にも、同じ道を旅行く人々にも、恐れの対象となったのです。
ですから、行路死人歌は、異郷の土くれとなっても魂が荒ぶることのないよう、鎮魂の祈りを込めて歌われています。



トップページへ