大津皇子(おほつのみこ) 巻3-416
   大津皇子(おほつのみこ)の被死(みまか)らしめらえし時に、
   磐余(いはれ)の池の般(つつみ)にして涙(なみだ)を流して作りませる御歌一首

  ももづたふ 磐余(いわれ)の池に 鳴く鴨を
  今日のみ見てや 雲隠(かく)りなむ
原文    大津皇子被死之時、磐余池般流涙作御歌一首
  百傳 磐余池尓 鳴鴨乎 今日耳見哉 雲隠去牟 
  
口訳   磐余(いわれ)の池に鳴く鴨を見ることも今日までか。私は、もう死ななくてはならないのだ。  
場所  橿原市東池尻町・妙法寺 (揮毫者・入江泰吉)
写真  

  
2011.11.8 
場所  桜井市吉備・吉備池堤 (揮毫者・中河幹子)
写真  


2011.11.28 
大津皇子は天武天皇の御子。
「詩賦の興(おこり)は大津より始まる」といわれたほど文筆を愛し、容貌も大柄で男らしく人望も厚かったといわれます。
草壁皇子に対抗する皇位継承者とみなされていましたが、
686年、天武天皇崩御後1ヶ月もたたないうちに、反逆を謀ったとして処刑されました。
草壁の安泰を図ろうとする皇后の思惑がからんでいたともいわれます。
この歌は、大津皇子が刑の宣告を受けて詠んだ歌です。
大津の妻・山辺皇女(やまべのひめみこ)は、夫の死に際して悲しみのあまり裸足で外へ飛び出し、後を追ったといいます。
「ももづたふ」は「磐余」にかかる枕詞。



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