笠朝臣金村 巻4-543
   神亀元年甲子の冬の十月、紀伊国に幸(いでま)しし時に、
   従駕(みとも)の人に贈らむがために娘子に誂(あとら)へらえて作る歌

  大君の 行幸のまにま もののふの
  八十伴(やそとも)の雄(を)と 出で行きし
  愛(うつく)し夫(つま)は 天飛ぶや
  軽の路より 玉たすき 畝傍を見つつ あさもよし
  紀路(きぢ)に入り立ち 真土山
  越ゆらむ君は 黄葉の 散り飛ぶ見つつ にきびにし
  我れは思はず 草枕 旅をよろしと 思ひつつ
  君はあらむと あそそには かつは知れども しかすがに
  黙然(もだ)もえありえねば 我が背子が 行きのまにまに 追はむとは
  千たび思へど 手弱女(たわやめ)の 我が身にしあれば 道守の
  問はむ答へを 言ひやらむ すべを知らにと 立ちてつまづく
口訳   天皇の行幸に従って、もののふの百官の廷臣たちと共に出発していった愛する夫は、
  天を飛ぶ軽の道から玉襷をかける畝傍の山を見ながら、
  麻裳よし紀の国に入り、 真土山を今、越えようとしているのだろう。
  そんなあなたは、黄葉の散り飛ぶのを鑑賞しつつ、
  親しんだ私のことも考えずに草枕の旅を楽しく思っているのだろう。
  そうだろうとは、うすうすは一方で知りながら、
  それでも黙っていることは出来ないので、
  愛しい夫が出かけて行った通りに、追いかけて行こうと何度も思いはする。
  でも、かよわい女の身なので、途中で番人がとがめるのに答えを
  どうしたらいいのかと、術を知らずに
  立ち上がってみるものの、ためらってしまうことだ。
場所  和歌山県橋本市隅田町真土 (揮毫者・鈴木重隆)
原文    神龜元年甲子冬十月、幸紀伊國之時、為贈従駕人、所誂娘子作歌
  天皇之 行幸乃随意 物部乃 八十伴雄与 出去之
  愛夫者 天翔哉 軽路従 玉田次 畝火乎見管 麻裳吉
  木道尓入立 真土山 越良武公者 黄葉乃 散飛見乍 親之
  吾者不念 草枕 客乎便宜常 思乍 公将有跡 安蘇々二破
  且者雖知 之加須我仁 黙然得不在者 吾背子之 徃乃萬々 将追跡者
  千遍雖念 手弱女 吾身之有者 道守之 将問答乎 言将遣
  為便乎不知跡 立而爪衝
写真

 
2013.8.15
「従駕の人」は、「娘子」の夫。
「娘子」は、結婚期にある若い女性。また若い未婚の女性。ここでは、結婚間もない若い女性をいうか。
「誂へらえて」は、頼まれて。天皇の行幸に従駕する夫の新妻が、「笠朝臣金村」に頼んで作らせた。
「まにま」は、事の成り行きに任せて。思うままに。
「物部の」は、武人の用いる「矢」から、「八十」(やそ)に掛かる枕詞。
「八十伴の雄」の「とも」(伴)は、天皇に従う意で、伴の造は廷臣。「八十」は数が多いこと。
「天飛ぶや」は、空を飛ぶとろこから「雁」(かり)に、その類似音から「軽」(かる)に掛かる枕詞。
「軽の路」は、藤原京西端の大路が軽に至り、ここに市が開かれた。路は主としてその地点を指す。
奈良県橿原市。近鉄線橿原神宮から岡寺駅に向かう近鉄線東側に走る道(下つ道)は、その名残かという。
「玉襷」の「玉」は接頭語で、たすきの美称。「たすき」をうなじにかけるところから、「うね」に掛かる枕詞。
「麻裳よし」は、麻の裳の生産地であったことから、「紀」に掛かる枕詞。
「真土山」は、和歌山県橋本市真土の県境一帯の山。
「親し」は、心が和らぐ。慣れ親しむ。
「草枕」は、「旅」に掛かる枕詞。
「あそそに」は、うすうす。ほのかに。
「かつ」は、一方では。
「しかすがに」は、しかしながら。そうは言うものの。
「手弱女」は、かよわい女。しとやかで優しい女。
「道守」は、道や関を守る人。



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