大伴家持 巻4-715
   大伴宿祢家持の娘子に贈れる歌
  千鳥鳴く 佐保の川門の 清き瀬を
  馬うち渡し いつか通はむ
口訳   千鳥が鳴く佐保川の川門の清らかな浅瀬を馬で渡り、あなたのもとへ通うことができるのはいつのことでしょう。
場所  奈良市法蓮町・佐保川堤、夢窓庵入口 (揮毫者・未詳)
原文    大伴宿祢家持贈娘子歌
  千鳥鳴 佐保乃河門之 清瀬乎 馬打和多思 何時将通
写真  


2016.4.6
 大伴家持(718?〜785年)は、大伴旅人の長男。
 万葉集後期の代表的歌人で、歌数も集中もっとも多く、繊細で優美な独自の歌風を残した。
 少壮時代に内舎人・越中守・少納言・兵部大輔・因幡守などを歴任。
 天平宝字3年(759)正月の歌を最後に万葉集は終わっている。
 その後、政治的事件に巻き込まれたが、中納言従三位まで昇任、68歳?で没した。

 家持の作歌時期は、大きく3期に区分される。
 第1期は、年次の分かっている歌がはじめて見られる733年から、内舎人として出仕し、越中守に任じられるまでの期間。
 この時期は、養育係として身近な存在だった坂上郎女の影響が見受けられ、また多くの女性と恋の歌を交わしている。
 第2期は、746年から5年間におよぶ越中国守の時代。
 家持は越中の地に心惹かれ、盛んに歌を詠んだ。生涯で最も多くの歌を詠んだのは、この時期である。
 第3期は、越中から帰京した751年から、「万葉集」最後の歌を詠んだ759年までで、
 藤原氏の台頭に押され、しだいに衰退していく大伴氏の長としての愁いや嘆きを詠っている。
 



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