山上憶良 巻5-802、803 | |
子らを思へる歌一首 并せて序 釈迦如来の、金口(こんく)に正に説きたまはく、 「等しく衆生(しゅじゃう)を思ふことは、羅ご羅の如し」と。 又説きたまはく、「愛(うつくし)びは子に過ぎたるはなし」と。 至極の大聖すら、なほ子を愛ぶる心あり。 いはむや世間(よのなか)の蒼生(あをひとくさ)の、誰かは子を愛びざらめや。 瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ いづくより 来りしものぞ 眼交(まなかひ)に もとなかかりて 安寐(やすい)し寝(な)さぬ 反歌 銀(しろかね)も 金(くがね)も玉も 何せむに 勝れる宝 子に及(し)かめやも |
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口訳 | 瓜を食べれば子どものことを思い出す。 栗を食べれば子どもがいとおしい。 子どもはどこからやってきたのだろう。 子どものことが目の前に浮かんで、なかなか寝付けないなぁ。 銀も黄金も玉も、いったい何になるというのか そんな勝れた宝でさえ、子どもに及ぶものがあろうか。 |
原文 | 思子等歌一首并序 釈迦如来、金口正説、等思衆生、如羅ご羅。 又説、愛無過子。至極大聖、尚有愛子之心。 況乎世間蒼生、誰不愛子乎。 宇利波米婆 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯提斯農波由 伊豆久欲利 枳多利斯物能曽 麻奈迦比尓 母等奈可可利提 夜周伊斯奈佐農 反歌 銀母 金母玉母 奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母 |
場所 | 長野県千曲市上山田・千曲川萬葉公園南側 (揮毫者・山野井竹埜) |
写真 | 2013.4.21 |
場所 | 福岡県太宰府市観世音寺・観世音寺公民館前 (揮毫者・山内勇哲) |
写真 | 2016.7.9 |
場所 | 奈良市油阪町・西方寺境内 (揮毫者・犬養孝) |
写真 | 2019.11.25 |
山上憶良が、離れて暮らす子どもらを思い詠んだ長歌と反歌。 この歌の前には、次の意の序文が付いています。 『釈迦如来がその貴いお口で正に説かれたのには、 「等しくあらゆる生き物をいつくしみ思うことは、わが子を思うのと同じである」。 また、「愛は子に対する愛に勝るものはない」ともおっしゃった。 この上ない大聖人ですらわが子を愛する心がある。 まして世の中の人々のなかに、誰が子を愛さない者があろうか』 |
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