大伴旅人 巻6-957 小野老 巻6-958 宇努首男人 巻6-959 | |
冬十一月、大宰の官人等の香椎の廟(みや)を拜(をろが)み奉り訖(を)へて退(まか)り歸りし時に、 馬を香椎の浦に駐(た)てて各(おのおの)懐(おもひ)を述べて作れる歌 帥大伴卿の歌 いざ子ども 香椎の潟に 白栲の 袖さへ濡れて 朝菜摘みてむ 大貳小野老朝臣の歌 時つ風 吹くべくなりぬ 香椎潟 潮干の浦に 玉藻刈りてな 豊前守(とよのみちのくちのかみ)宇努首男人(うののおびとをひと)の歌 行き帰り 常に我が見し 香椎潟 明日ゆ後には 見むよしもなし |
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口訳 | さあ皆さん、香椎の干潟に白い袖までも濡らして、朝の海藻を摘もうではありませんか。 満潮の風が吹きそうになっている香椎潟の潮干の浦に、早く玉藻を刈りたいものだ。 行きにも帰りにも、いつも見てきた香椎潟を、明日から後には見るすべもないことだ。 |
原文 | 冬十一月大宰官人等奉拜香椎廟訖退歸之時馬駐于香椎浦各述作懐歌 / 帥大伴卿歌 去来兒等 香椎乃滷尓 白妙之 袖左倍所沾而 朝菜採手六 大貳小野老朝臣歌 時風 應吹成奴 香椎滷 潮干浦尓 玉藻苅而名 豊前守宇努首男人歌 徃還 常尓我見之 香椎滷 従明日後尓波 見縁母奈思 |
場所 | 福岡県福岡市東区香椎勅使道・香椎頓宮 (揮毫者・三条実美) |
写真 | 2016.7.10 |
香椎潟、昭和の初めまではまだ香椎宮のあたりから海が見えたそうです。 今は埋め立てられてしまっていて、万葉の風景が消えてしまっています。 |
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