未詳 巻9-1675
   
  藤白(ふぢしろ)の み坂を越ゆと 白栲(しろたへ)の
    わが衣手(ころもで)は 濡れにけるかも
口訳   悲しい事件があった藤白の坂を越えると、私の白い衣は涙に濡れてしまった。
原文    
  藤白之 三坂乎越跡 白栲之 我衣手者 所沾香裳
場所  和歌山県海南市黒江・名手酒造 (揮毫者・犬養孝)
写真  


2012.4.27
場所  和歌山県海南市藤白・藤白神社、有間皇子神社 (揮毫者・雑賀紀光)
写真  

  
2012.4.27
場所  和歌山県海南市藤白・藤白神社、有間皇子神社 (揮毫者・未詳)
写真  
2012.4.27
有間皇子は36代孝徳天皇の皇子で、皇位継承の有力な資格者でした。
一方、斉明天皇(37代=35代皇極天皇)と皇太子・中大兄皇子(38代天智天皇)にとっては、
皇位をスムーズに引き継ぐため、有間皇子は除いておきたい人物だったのです。
そんな中の658年、皇子は、斉明天皇と皇太子・中大兄皇子が紀の湯に行幸中に謀叛を企てたとして捕えられます。
留守役の蘇我赤兄(そがのあかえ)にそそのかされたもので、中大兄と赤兄によって仕組まれたものだともいわれています。
中大兄の訊問を受けた帰りに、有間皇子は藤白坂で絞首刑に処せられます。
謀叛とはいえ、これといった何の行動にも結びつかないままの、悲劇の結末でした。享年19歳。

藤白坂は今の和歌山県海南市藤代坂で、 謀叛の疑いをかけられた有間皇子が追手によって絞殺された場所です。



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