筑前国(つくしのみちのくちのくに)の志賀の白水郎(あま) 巻16-3867
   筑前国(つくしのみちのくちのくに)の志賀の白水郎(あま)の歌
  沖つ鳥 鴨といふ船は 也良(やら)の崎
  たみて漕こぎ来(く)と 聞こえ来ぬかも
口訳   荒雄の乗った沖の鳥の鴨という船が、能古島の也良の崎のところを漕いできたという知らせが、聞こえてこないことだ。
原文    筑前國志賀白水郎歌
  奥鳥 鴨云舟者 也良乃埼 多未弖榜来跡 所聞許奴可聞

場所  福岡県福岡市東区志賀島・棚ヶ浜海岸 (揮毫者・入江英雄・九州がんセンター院長)
写真  



  


2016.7.10
志賀島第9号万葉歌碑。
志賀島南西部の棚ヶ浜に建てられている。
奈良時代に、大宰府が対馬に食料を送る船の舵取りとなった宗形部津麻呂に代わって出航し、
途中の暴風雨により帰らぬ人となった志賀の荒雄にまつわる歌であり、
荒雄を失った妻子の心の痛みを山上憶良が詠んだとも伝えられる。
荒雄の帰還に一縷の望みをたくす家族にとって、荒雄の生還はかなわない事を意味している。



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