筑前国(つくしのみちのくちのくに)の志賀の白水郎(あま) 巻16-3869
   筑前国の志賀の白水郎の歌
  大船に 小舟引き添へ 潜(かづ)くとも
  志賀の荒雄に 潜き逢はめやも
   右は、神龜年中に、大宰府の筑前國宗像郡の百姓宗形部津麻呂を差して、對馬に粮を送る舶の柁師に充てき。
   時に、津麻呂、滓屋郡志賀村の白水郎荒雄の許に詣りて語りて曰はく、「僕小事あり、若疑許さじか」といふ。
   荒雄答へて曰はく、「走、郡を異にすれども、船を同にすること日久し。
   志は兄弟よりも篤く、死に殉ふにあり。豈、復辞びめや」といふ。
   津麻呂曰はく、「府官僕を差して對馬に粮を送る舶の柁師に宛てしも、容齒衰老して、海路に堪へず。
   故来り祇候す。願垂はくは相替れ」といふ。
   於、荒雄許諾なひて、遂に彼の事に従ひ、肥前國松浦縣美祢良久の埼より舶を發だし、直に對馬を射して海を渡る。
   登時忽ちに天暗冥くして、暴風に雨を交へ、竟に順風無く、海中に沈み没りき。
   斯に因りて妻子等、犢の慕に勝へず、此の歌を作りき。
   或は云はく、「筑前國守山上憶良臣、妻子の傷を悲感しび、志を述べて此の歌を作れり」といふ。
口訳   たとえ大船や小舟を出して、大勢の人が海中に潜って捜しても
  志賀の荒雄に逢えようか、いやもう逢えないのだろうな。  
原文    筑前國志賀白水郎歌
  大船尓 小船引副 可豆久登毛 志賀乃荒雄尓 潜将相八方

   右、以神龜年中、大宰府差筑前國宗像郡之百姓宗形部津麻呂、宛對馬送粮舶柁師也。
   于時、津麻呂、詣於滓屋郡志賀村白水郎荒雄之許語曰、僕有小事、若疑不許歟。
   荒雄答曰、走、雖異郡、同船日久。志篤兄弟、在於殉死。豈、復辞哉。
   津麻呂曰、府官差僕宛對馬送粮舶柁師、容齒衰老、不堪海路。
   故来祇候。願垂相替矣。
   於、是荒雄許諾、遂従彼事、自肥前國松浦縣美祢良久埼發舶、直射對馬渡海。
   登時忽天暗冥、暴風交雨、竟無順風、沈没海中焉。
   因斯妻子等、不勝犢慕、裁作此歌。
   或云、筑前國守山上憶良臣、悲感妻子之傷、述志而作此歌。
場所  福岡県福岡市東区志賀島・志賀島国民休暇村 (揮毫者・石橋犀水・書家)
写真  

  




2016.7.10
志賀島第5号万葉歌碑。
五島から対馬までの食糧運搬の難役を買って出た海人の荒雄が、暴風で遭難したという伝説に基づく歌です。



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