孝謙天皇(こうけんてんのう) 巻19-4268
   天皇(すめらみこと)と、太后(おほきさき)と、共に大納言藤原の家に幸(いでま)しし日に、
   黄葉(もみち)せる沢蘭(さはあららぎ)一株(ひともと)を抜き取りて、内侍(ないし)佐々貴山君(ささきのやまのきみ)に持たしめ、
   大納言藤原卿(ふぢはらのまへつきみ)と陪従(べいじゆ)の大夫等(だいぶら)とに遣賜(たま)へる御歌
   命婦(みやうぶ)誦(よ)みて曰はく

  この里は、継ぎて霜や置く 夏の野に
  我が見し草は 黄葉ちたりけり
口訳   この里は、いつも霜が降りるほど寒いのでしょうか。夏の野で私が見た草(澤蘭(さはあららぎ))は、色づいていました。
場所  奈良市西大寺芝町・西大寺境内 (揮毫者・田村豊幸(薬理学者))
原文    
  此里者 継而霜哉置 夏野尓 吾見之草波 毛美知多里家利
写真  


2011.12.9
文学的には落日の予感という捕らえ方ができますが、
生物学的にはウィルス感染による葉脈黄化症の最古の事例だとする解釈もあるそうです。

西大寺は、奈良市西大寺芝町にある真言律宗総本山の寺院。
奈良時代に孝謙上皇(重祚して称徳天皇)の発願(恵美押勝の乱平定祈願)により、
僧・常騰を開山(初代住職)として建立された。
南都七大寺の1つとして奈良時代には壮大な伽藍を誇ったが、
平安時代に一時衰退(興福寺の支配下)し、鎌倉時代に叡尊によって復興された。
山号は勝宝山。
本尊は釈迦如来。
西大寺の創建当時は僧・道鏡が中央政界で大きな力をもっており、
西大寺の建立にあたっても道鏡の思想的影響が大きかったものと推定されています。
室町時代の文亀2年(1502年)の火災で大きな被害を受け、現在の伽藍はすべて江戸時代以降の再建です。

大茶盛(毎年1・4・10月に行われる)で有名。
直径30センチ以上、重さ6〜7キロの大茶碗と長さ35センチの茶筅でお茶を立て、参拝客にふるまわれます。
叡尊が西大寺の鎮守八幡宮に茶を奉納し、お下がりの茶を参詣人にふるまったのが起源とされています。



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