大伴家持 巻20-4468 | |
病に臥して無常を悲しび、道を修めむと欲して作れる歌 うつせみは 数なき身なり 山川の さやけき見つつ 道を尋ねな |
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口訳 | 人のこの世は数えるに足りないはかないものだ。 山や川の清らかなものを見ながら道を求めて行きたいものだ。 |
場所 | 奈良市大安寺町・大安寺境内 (元暦校本より) |
原文 | 臥病悲無常、欲修道作歌 宇都世美波 加受奈吉身奈利 夜麻加波乃 佐夜氣吉見都々 美知乎多豆祢奈 |
写真 | 2012.2.15 |
大安寺は官寺として聖徳太子が建立した熊凝精舎にはじまる。 後に百済大寺、大官大寺となり、平城遷都後に移され、大安寺と改称された。 大伴家持が5年の越中国守の任を終え、都へ帰ってきたのは751年。 政権の中心は橘諸兄から藤原仲麻呂へ。 名門大伴氏の涸落していく悲しみが仏の道に救いを求めたのでしょうか。 この後、奈良麻呂の反乱がおこり大伴氏からも一部のものが加わったことが事前にもれ、 参加者はことごとく逮捕、処罰され大伴家はここで力をなくしてしまいます。 |
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