腰が痛いよ、謹賀新年
皆恙無く新年を迎えることができました。

しかし、今年は元日から腰痛がでて
つらい三が日でした。

初ジョグも中止。

恒例になっている、
女房の実家へ行ったついでの京都散策は
今回は三十三間堂、養源院、豊国神社、方広寺と
東山七条近辺にいたしました。

三十三間堂の千体の観音様はみごとでした。
そして血天井で有名な養源院、俵屋宗達の絵が多すぎてありがたみが
半減するほどでした。
今回とくにすごいなと思ったのは豊国神社の唐門。
社務所の人が、方広寺の梵鐘の「国家安康」と「君臣豊楽」について
親切に教えてくれました。
でっかい梵鐘もさることながら、梵鐘の天井もすごかったぞ。
2007年01月03日 21時11分45秒
腰が痛いよ、続編
腰痛がまだ続いています。
湿布して、じっとしてるだけ。

4日、5日はコルセット巻いてのフル残業でした。
きつかった。
週明けもタイトなスケジュールが予想され、
予断を許さない状態。

口内炎も症状ひどく、辛い辛い。

全般的に睡眠不足なのもつらいわなー。

はやくトンネルが抜けられるように、
と願いながらじっと横になってる本日でした。

昨日のように暴風雨のなか
法事というのもつらかったけど…。
2007年01月08日 11時36分33秒
時間外をかぞえる
やっと予算の仕事にメドがついたような感じ。
3週続けて土日返上でした。

今日も朝からお勤め。
さすがにへたってきました。
ちなみに今月の時間外勤務を数えてみると120時間。

しかし、霞ヶ関の200時間の時より気持ちはずっと楽。
話しに乗ってくれる友人がいる環境というのはそれだけありがたい。

明日1日寝たおしたいような気もするが
気晴らしを兼ねて大阪女子国際マラソンの前座の
市民ハーフマラソンにいってきます。
今月はラン距離も0キロでまったく稽古なしですが、
とにかく大阪の町の中をたのしくジョグして
関門に食べられてこようと思います。

写真は13日、最初の土曜日返上でスタッフとして参加した「若草山山焼き」
あのあとずっとお休みなしで今日までくるとは思いませんでした(^^;

それと、今日はおふくろの80才の誕生日。
2007年01月27日 22時39分00秒
う゛ー、苦しい〜
予算編成もなんとか終わり、
昨日やっと会派要望の調整も終わったと思ったとたん
今日はとある爆弾が爆発炎上。

今日は、というか昨日は、というかやはり今日、
会社をでたのは1時30分。
もちろん午後でなく午前。
明日もどんな突風が吹き荒れるやもわかりません。

タクシーの運転手さんは
「見てる人は見ててくれてまっせ」とゆうてくれるが
「からだこわしてもだれもほめてくれまへんで」ともいわはりました。

ま、今日はこんくらいにしといたろ。
平成19年2月7日、自分がここ1年間で積み上げてきたものを
一瞬にしてこわしてしもたヤツがおったことをしばらくは忘れまい。。。
2007年02月08日 02時59分09秒
王様の耳はロバの耳〜
…と、いってみたい気がする今日このごろ。 2007年02月10日 01時32分55秒
漢字検定
娘が漢字検定(6級)を受けるというので
引率がてら自分も2級を受けてきました。

1時間1本勝負でしたが、
「へん」とか「つくり」をこたえるあたりは撃沈。
テストが終わった頃には
脳みそが溶け出していました。
パソコンに慣れると
読めるけど書けないんだよねー。

帰宅してからは爆睡〜。
2007年02月10日 20時54分10秒
昨日は結婚記念日
昨日は14回目の結婚記念日でした。
久しぶりに早く帰れたので、
おみやげ買って帰ったら、
チョコケーキ焼いてくれてありました♪

娘もチョコクッキー作ってくれてました。

しかしご飯食べておふろあがったら
すぐに爆睡〜
2007年02月15日 21時11分35秒
氷点
ひさしぶりにまったりした週末です。
朝からは今度買うパソコンの品定め。
購入はもう少し先と決めました。

午後からは5月の
黒部名水ロードレース参加の奥さん決裁。
無事決裁おりました(^^)v

その後、去年から
たまりにたまっていたDVD録画チェック。
まず、11月下旬に2夜連続で放送された
「氷点」を見ました。

案外よかった。
キリスト教的テーマにけっこう心ブルブルきました。
それだけ自分が歳をとったということか。
竹下景子、
ほんまに一瞬で演技できるいい女優さんだと再認識。
その裏返しで下手な俳優さんも多かった。
2007年02月24日 20時36分29秒
久しぶりに普通に帰宅
智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。

というわけで、なかなか難しいよ。
でも、みんなと仲良くしたいと思う。
人はみないいひとであると思いたい。
2007年03月07日 21時18分14秒
とあるご縁で
とある大学入試のお手伝いをしました。
試験監督補助。

目標にむかってひたむきにとりくんでいる若い衆の姿をみていると
なんだか気持ちが引き締まります。

「チャンスをモノにして、将来を切り開いて欲しい」
と、願わずにはいられません。
そんな1日。
2007年03月08日 20時42分26秒
春分の日
朝から明日香ジョグ。
体調がよくないらしくあまり続かない。
それにしても気候がよくなってきたこともあり
アスカウォーカーがいっぱい。
あちこちで道をきかれる。
これがまたなかなかうまく答えられない。
高松塚壁画館前で甘樫丘へ行く道をきかれたが
道を知ってる人になら簡単に説明できるが
簡単なイラスト地図を持ってる人にはなかなか。
それだけ道がまがりくねっていて、そのぶんアスカウォークはおもしろい。
結局走ったのは15km、1時間30分。

午後からは五條の墓参り。
次回に備えて雑草対策が懸案。

そのあと友人宅のお通夜。
母親が元気でいてくれることをなによりもありがたく思う。
2007年03月21日 21時54分36秒
旧約聖書より
怒りやすい者は愚かなことを行い、
賢い者は忍耐強い。

思慮のない者は愚かなことを自分のものとする、
さとき者は知識をもって冠とする。
2007年03月30日 00時51分23秒
従姉がなくなった
今朝未明、従姉が亡くなりました。
54才、あまりにもはやすぎる。

きれいでやさしい敬ちゃんでした。
ここ10年は、ガンとの闘いで、つらかったと思います。

小さいとき、優しくしてくれた思い出。
結婚前によくうちのオフクロに相談にきてた思い出。

………。
2007年04月22日 15時22分11秒
敬ちゃんのこと
敬ちゃんの出棺の時
セカチューのサントラがかかっていた。

敬ちゃんもがんだった。
抗がん剤で治療をしながら
入退院をくりかえしていた。

ドラマの世界でも
あんなにせつなく
無常で確実にせまってくる「死」
自分では耐えられないほどこわい。

そのときの敬ちゃんの心中を思うと
なんともいえない気持ちになる。
2007年05月11日 22時45分13秒
ねむくてねむくてたまらない
そんな年頃なんですかな…

ま、ねむいときは寝るのがいちばん。
2007年05月22日 23時33分02秒
ホッケー
ホッケーの試合を初めてみました。

中学校の県大会が地元であったから。

息子は思いの外
かっこよかった。

いつのまにかたくましくなっていた。
大きくなっていた。
2007年06月02日 22時12分58秒
春のワルツ
春先忙しくて
録りダメしてた韓ドラ「春のワルツ」、
やっと5話までみました。

だんだんストライクゾーンに
はいってきてます。

昨日はいろいろと忙しくて
晩ご飯の後、
バタンキューだったけど
今日は久しぶりの休養になりました。

メガマック2、テリヤキでメガマックにすると
さすがにたべにくいぞ。
2007年06月10日 15時59分04秒
爆業もいいもんだ
最近爆業つづきで、電車の中やお昼休みに
意識を失うくらいになっていましたが、
その状態に奥さんが同情してくれて
「伊達ももマラソン」の決裁をくれました。

めちゃラッキー!!

8月下旬には
高速バスにてももたべまくりの旅マラソンダス〜♪
2007年06月16日 00時03分43秒
世界の中心で愛をさけぶ・リターンズ
ほんの少し、爆業がおさまりました。
ひょんなことから2年前、再放送で見て
大爆涙したセカチューをまた見ています。
現在、第2話まですすみました。
「まるでアキなんていなかったかのように
青いアジサイが咲いている…」

このシーンにかぎらず、胸がしめつけられるシーンの連続です。
2007年07月03日 21時10分05秒
久じゃる
久しぶりに”じゃるだん”でランチ。
やっぱりうまい。

奥さんに「お客さん5組はへったで〜。ポチクンを含めて!」と。
「ほんまにゆうたろか、思うわ。」やて。

ゆうたって!ゆうたって!
ゆう相手は人事課やで!!

4月からけったいな決めごとのせいで
お昼休みが45分になっちゃってるわが社でした。
2007年07月10日 23時34分51秒
幽玄
言葉に表されない、余情を感じさせる深い趣。

人間は炎がゆらゆらゆれてるのを見ると
なんだかこころ落ち着かなくなるというか
胸騒ぎがするというか
虫がさわぐというか
ときめくんですな。

夕立にはあっちゃいましたが
いい気分転換になりました。

なら県庁燈花会試験点灯でのこと。
2007年07月18日 22時34分12秒
涙の井戸【春のワルツ】
佳境にはいってきました。
春のワルツ。

イナがえらいこと知ってしまいましたなあ。

しかし、イナもかわいそうですわ。
サンヒョクとうちゃんと「カンドックの妻」のエゴにふりまわされたかちになってるし。

チェハも複雑。
ますます目がはなせなくなってきたじょ。
2007年07月22日 16時26分16秒
夏休み?
息子のクラブ、娘の塾、
奥さんのお仕事の都合が唯一そろったので
きょうはプチ夏休み。

朝から某市場見学。
自分は小さいときから
五條の小さい市場を見てきたので
市場なんてあまりめずらしくなかったけど
子どもらにはえらく新鮮に映ったよう。
「テレビでみたそのままや」と。
あたりまえなんやけどなんかいい体験。

お昼はその市場の食堂でバイキング。
これがスゴイ人気でえらい人があつまってる。
やはり夏休み。
家族づれが多い。

その後、なぜか3人の希望で健康ランドのプールへ。
日程決めうちだったので、全天候型(?)屋内プールは苦肉の策か。
それにしてもこれも好評だった。
ここは自分がいつもAMS友の会の平和杯をやってる会場でもあります。
最近できてないけど。

さらにシダックスまで戻って家族カラオケ。
なんだか不思議な1日だったけど、
思いの外楽しい1日でした。
2007年07月24日 21時40分18秒
ノコギリクワガタ
仕事から家に帰ったら
玄関にクワガタさんがいてはりました。

ひと夏に数回
こんなことがあります。

なんかうれしいよ。
2007年07月26日 21時33分04秒
奈良新聞にて
息子のクラブが県総体で優勝。
といっても県内に3校しか
ホッケー部はありません。

ますます日に焼けて
黒くなっていく息子に
30年前の自分を重ね合わせてます。

30年前の自分は
テニス部のキャプテンやってて
明けてもくれてもテニスでした。

お盆に中学の友達と会える予定。
わくわくしてます。
2007年07月28日 19時48分26秒
風林火山
人は石垣 人は城
情けは味方 仇は敵
という歌(竹田節)を一時期、毎日のように歌いました。
というか、歌わされました。
民謡クラブに入ってたときのこと。5年ほどまえか。

戦国最強を誇った武田軍の強さのキーワード。

戦に際して必要なものは強固な人の団結・和であるという。
会社・企業においてもしかり。

人材をもって石垣となす。
一人一人の個性、才覚を最大限尊重するところから絆は生まれる。
そこから組織としての強さがうまれる。
人をないがしろにし、一人を大切にしない軍勢は瓦解する。
烏合の衆は捨て身の一人にすら勝てない。

親方がそう思っていても、
取り巻きがそう思っていなければ結局いっしょなんだよねー。
無駄に人材をつぶしてばかりいると
最後に自分の首を絞めてしまうよ。
2007年07月29日 20時21分17秒
五小・五中のプチ同窓会
ひょんなことから集まった30年ぶりの約30人。
この夏の最大・最高の思い出になりました。

なんしか、みんな元気でいたらそれだけでいい。
向こう5年ぶんくらいの元気をもらえた。

傷つけたり、傷つけられたり、
いちびりで慎重さのたりない当時の(今も?!)自分は
友達を傷つけたことのほうがずっと多かったけど
あのときの君のやさしい気持ちや思いやりを
今は身にしみてわかってる。
よかったことも、そうでなかったことも、
ほんまに幸せな少年時代をすごせたんだと実感できる。

五小万歳!五中万歳!
幹事さんどうもありがとう。
そしてみんなどうもありがとう。

また集まろうよ。
2007年08月13日 00時25分18秒
戦中と戦後の境目
朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ
非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ
茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク

朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ
其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ

抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ
皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所
曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦
実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ
他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス
然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦
朕カ百僚有司ノ励精
朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽クセルニ拘ラス
戦局必スシモ好転セス
世界ノ大勢亦我ニ利アラス
加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻リニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所
真ニ測ルヘカラサルニ至ル
而モ尚交戦ヲ継続セムカ
終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス
延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ
斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ
皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ
是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ

朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ
遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス
帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ
職域ニ殉シ
非命ニ斃レタル者
及ヒ其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク
且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ
朕ノ深ク軫念スル所ナリ
惟フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス
爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル
然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所
堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ
以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス

朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ
忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ
常ニ爾臣民ト共ニ在リ
若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ
或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ
信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム
宜シク挙国一家子孫相伝ヘ
確ク神州ノ不滅ヲ信シ
任重クシテ道遠キヲ念ヒ
総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ
道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓ツテ国体ノ精華ヲ発揚シ
世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ
爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ

御名御璽
昭和二十年八月十四日


昔は意味がよくわからなかったけど
今朝の新聞記事で読むとそのときのお国の事情とか
教育の様子とかがよくわかります。

親父のお尻には鉄砲玉がかすめたあとがあった。
オフクロは女学校をでてすぐに挺身隊にでた。
何かの因果で自分は今、生きていられる。
2007年08月15日 21時03分35秒
キム部長
今週はハードな1週間でした。
福島へのマラソン遠征から帰って
その日の夜に、
日中韓シンポジウムレセプションに出席。

普段の業務もきつかったところに
さらに木曜には月曜から来県している
韓国メディアのファムトリップに1日同行。
でも興味深い体験でした。

親切に話しかけてくれたKBSのキム部長(冬ソナみたいじゃ)と記念写真を撮ったら
「名刺にかいてあるアドレスにe-mailで送ってくれ」ですと。
トホホ。
悩みに悩んだ挙げ句、結局英語でちょこっと来県の御礼を書いてe-mailで送信。

返事来たらうれしいねんけどなあ。
2007年09月02日 14時39分49秒
ウネコウサイ
新聞で催してるという情報を得てウネコウサイ
なるものに昨日息子といってきました。

簡単に言うと私の母校(高校)の文化祭です。
卒業して以来なので二十何年ぶりかしらん。

最初はおばけ屋敷や着ぐるみきた生徒を見て
「高校生も幼稚になったなあ」と思ってましたが、
だんだん雰囲気になれてくるにつれて
生徒が発散している「若さのエネルギー」が感じられるようになり
異常に盛り上がって帰ってきました。

息子は化学部の実験が気に入ったよう。
2007年09月02日 14時58分02秒
お前、おもろい芸をする
今日、やっと楽天ブックスから本がとどいた。

9月1日発売だったので
直後から注文かけてたんやけど
2回も「在庫切れ」で契約不成立になってた。
こちらもあきらめて書店で探しゃいいものを
意地になって何度もオンライン発注かけてた(^^;
10月5日、初版第5刷とある。

著者は「川村誠一」さん。
ペンネームなので本名とはビミョーにちがうが
実はふるさと五條で小学校までの同級生、
高校時代は一緒に寺子屋式で英語を習ってた「チング」である。
彼は大阪外大へ進んだが、自分の知る限りでは
まさに語学と文才で身を立てるのが天職というイメージである。

自分は、中途半端に語学も理数系もできたために
結局どうにもつぶしのきかない現在の職業についている。

さて、その彼の小説、
日中、大阪での駅伝大会でくたびれた目で本をひらいたが、
あまりに情景がおもしろすぎる。
もっと想像力が100%スタンバイできた状態で読まないともったいないと思い、
20ページほどで翌日送りにした。

今日はこれからこの主人公にどんなことがおこるか、
楽しみにしてまだまだ暑さの残る初秋の1日を過ごします。

ちなみに彼のご尊父様も著名な童話作家であります。
2007年09月17日 09時29分01秒
お前、おもろい芸をする(2)
1週間かけてじっくり読み上げた。

おもろい。
最初はおもろいだけだった。

でも、読み進むにつれて著者のメッセージが伝わってきた。

「生きる」ことを「生きる」。
最近自分が意識しているこのことを実にみごとに描いている。

生きていればこその人生。
つまらん奴や、苦しいことが多くてせつないけれど
前向きに生きていればこそ
なんとかなるし、道もひらける。

生きていればこそいいことがある。

故郷からおもしろい作家が出た。
2007年09月24日 19時30分05秒
お前、おもろい芸をする(3)
川村誠一氏と連絡をとる機会があり、メールしたら
「おーちゃんのことニチニチに書いていい?」とのこと。

「おーちゃん」とは自分が「ポチクン」を名乗るまでのニックネームで
小学校から大学までこう呼ばれていた。
ほかに人によっては「オオジ」「オーパン」など
頭文字の「お」からひっぱりだされたと思われるニックネームが多い。
とにかくあまり名前そのもので呼ばれた記憶がない。
田舎だったこともあり、人と人の密着感がつよく
学校の先生からもほとんどニックネームで呼ばれていた。
おかげさまで今でも遊び友達はむちゃむちゃ多い。

「ニチニチ」とは奈良の超地方紙である。
「奈良日日新聞」といい、先日まで休刊しており、最近また復活した。

彼は、10月からここで週何回かエッセイを連載している。
同郷で、一緒に幼少時代をすごした者としてはなつかしい話や
「昔ネタ」でない話にも共感することが多い。

で、「いいよー」と返事しといたら
さっそくブログで引用してくれた。
↓↓↓
http://blog.kawamuraseiichi.jp/article/5818891.html

自分は田舎に多い典型的「ハタチすぎればタダの人」タイプだけど
こんなふうにかいてもらえたらちょっとうれしい。
いろんな伝説があったとは本人は知らなかった。
でも大学受験前日に酒を飲んでたというのは真実ではありません。
受験前日に同じホテルに泊まってたのだけが真実。
本当は、気がちいさいもんだから眠れなくて「風邪薬をのんだらねむくなる」
という話を思い出して薬をのみ、
でも結局眠られず、試験当日「ぼー」とした頭でテストを受けて
みごとに大学落っこちたというのが真相です(^^ゞ
(ちなみにとしき君はちゃんと現役で京大受かってます)

あと、県で重要な企画をまかされてるんじゃなくて
重要な企画の超裏方として涙、涙の毎日を過ごしてるってことは
現在の職場のお友達はよくしってるところ(T_T)

昔の友達って、なんかほっとするし、元気だしてがんばるぞー、て気になるよねー。
2007年10月13日 11時49分18秒
鷺池浮見堂殺人事件
裁判所、検察庁、弁護士会合同開催の
模擬裁判員劇を傍聴してきました。

保険金殺人を題材にしたドラマ仕立ての劇で
ストーリー自体も興味深い内容でした。

要約すると、
まじめな夫(市役所職員)に愛想をつかし、
自身が経営する小料理屋も借金を抱え込んでいた妻が、保険金を増額したうえで
不倫関係にあった男と共謀して夫を殺害し、
奈良公園内、鷺池の浮見堂欄干から夫の死体を投げ落として遺棄した、というもの。

実行犯である不倫相手(男)は殺人を認めている設定で、妻について、
殺人及び死体遺棄の罪(いずれも共同正犯)につき公訴提起されているという設定。

弁護士会長が脚本を書いただけあって、検察官質問、弁護人質問と
入れ替わるたびに傍聴人である自分の心証も二転三転しました。

結局、決定的証拠に欠けたまま、捜査当時の自白調書しかないという理由から
自分は「無罪」に投票したけど、劇に出演した裁判員は「有罪」と評決しました。

平行して6つの裁判員グループが評決を行いましたが、半分以上のグループが
「無罪」としていました。
殺人につき有罪、死体遺棄につき無罪としたグループもありました。

弁護人側の申請した証人(仮にA女と呼ぶ)が、「本当の共犯」らしく描かれたこともあり、
裁判員の心は、被告人(妻)かA女のどちらかが真犯人である、という
心理状態になったよう。(2時間ドラマの影響か?)
真実は1つしかなく、不倫男が実行犯である以上
1 妻と不倫男が共犯
2 A女と不倫男が共犯 のほかに

3 妻とA女以外の第3者と、不倫男が共犯
4 不倫男のみの単独犯 という選択肢があるということに思いが
至らなかった人も多かったみたい。

結局、「何を裁いているのか」という視点がぐらつくと
2時間ドラマでは、かならず最後に真犯人がでてくるので
「どちらかが犯人のはず」ということになってしまうんでしょう。

刑事裁判は「疑わしきは罰せず」の原則のもと、
自己に不利益な唯一の証拠が自白のみである場合には刑罰を科せられないんだから
ドラマ以外の展開もあることを考えてみた方が
テレビドラマを見るときも楽しいと思うんだけどねー。
実際の裁判は、「人を裁く」のではなく「事実を裁く」んです。

ちなみに傍聴人投票では、有罪83票、無罪132票、その他3票でした。

ところで、評議の時間中に、地裁所長、地検検事正、弁護士会長と一緒になって
意見交換する機会があったんだけど、
その時に心動かされるできごとがありました。

とっつあんや、リタイアした人生の大先輩たちがほとんどであるなかで
自称「16才の高1」という女の子がしっかり手をあげて、
「裁判員の守秘義務て、評決で迷ったり悩んだりしたときに、
 家族に相談することもだめなんですか?」と質問したこと。

最初、地裁の所長は、笑いながら答えてたけど
となりにいた検事正と対話しながら答えを返しているうちに
「ひとの人生を左右する評決を法律の素人が下すにはそれなりの勇気が必要で、
 おおいに悩むことだってあると考えられること」
「そのことで、配偶者や親に相談したってインターネットで個人情報をもらすのと違って
 プライバシーの権利を侵すことにはならないと考えられること」
「まだ成人していない女子高生が、個人的に興味をもって
 こうした模擬裁判に参加していること、
 さらにこんな深い考えをもって堂々と現役裁判官相手に質問をぶつけていること」
に思いが至ったのでしょう、最後には会場全体が神妙な雰囲気になりました。

日本の将来も捨てたモンじゃないぞ。
久しぶりにすがすがしい気持ちになった休日のひととき。
2007年10月21日 00時20分10秒
経営者のモラル欠如
「ミートホープと赤福、どっちが悪いか?」
という問いには「ミートホープ」、という答えがあるらしい。

で、この答えをする人に
「ミートホープと船場吉兆では?」
と尋ねると、やはり「どっちもどっち」という答えになる。

自分の考えでは
前者は赤福、後者は船場吉兆である。

理由はこうだ。
たしかにこの3つの会社は、全部食品の表示に関する法律を守っていない。
でも、事の本質はコンプライアンスの問題ではない。
決して法律が厳しくなったことに会社がついていけなかったといった
技術的な問題ではないと思う。
結局は「モラルの問題」。

赤福にも船場吉兆にも「名前」という「大きな看板」がある。
「ミートホープ」なんて名前、自分はニュースになるまで知りもしなかった。
ミ社の場合は、結局「やっぱりその程度の会社が、そんな商売をするのだ」で、
納得してしまう。

ところが、赤福や吉兆はそうではない。
消費者の絶大な信頼があった。
この2社には、それだけで「たしかなモノ」という金看板があった。
だから「騙された消費者」はそれだけくやしいのだ。

神代の時代から人をだまして商売をすることは犯罪である。
しかし、赤社と吉社は、さらに「どんな有名ブランドですら信用できない」
という致命的な風潮を生み出してしまった。
これはミ社では犯し得ない強烈な罪である。
名のある会社は大きな迷惑をこうむっている。

「客に喜んでもらってそのうえ儲けがでる」がいい商売の神髄ではなかったか?!
2007年11月24日 23時35分09秒
かなしみ
ライオンの悲しみを
キリンは知らない
キリンの悲しみを
ライオンは知らない

傷つける悲しみを
傷つけられる悲しみを
彼らは互いに知らない

草むらに落ちた美しい
朝露が
夜空を見上げながら
こぼした互いの涙だと
いうことを

彼らは知らない


…産経新聞11月25日朝刊の17歳の詩

17歳でここまでわかってるってすごいよ。
17歳の自分は、こんなことぜんぜん知らなかった。
2007年11月29日 22時47分07秒
風邪でダウン
してました。

熱、のど、下痢、関節。
鼻水以外のすべての症状。

会社にもいけんし、家におっても受験生おるし、
へたに病気できないトシゴロです。

注射うってもらってなんとか熱、おさまってきました。
明日からは平常営業できそうです。

ところで、昨日から息子が中学校の「職場体験学習」ということで
近くの「ガスト」さんにお世話になっています。
体操服きて接待してるようです(^^;

お皿洗いとか、片づけとかやらせてもらっているようですが
初日の昨日は
ドリンクバーで席立った人を食事すんだと勘違いして
片づけはじめてえらいおこられたそうです。
「働くってきついわ」やて。
そうやで。

でも、人間失敗はつきもんやし
「しまった」て思ったときにどういう行動がとれるか、やで。
素直にこころからお詫びするのが基本。
次から気をつけることもできるでしょ。
最初からいいわけばっかり考えてるどこかの役所の人みたいに
なったらあかん。
2007年12月05日 20時20分24秒
Oh! タカラヅカ!!
この夏にコーナンさんで自転車を買いまして
その時応募したのが当たって
今日、宝塚歌劇なるものを生まれて初めて見てきました。
運良く1階4列目のかなり前の席をゲット。

小さい頃、中学のころだったか
「ベルばら」がはやったのは記憶していますが
所詮「女子だけの特異な世界」と当時は認識していただけだったと思います。
しかし、見てみてびっくったわー。
40すぎてまたもや「生きててよかったわー」の世界。
こんな世界がこの世にあったとは!て感じ。
人間の営みの力(=文化ともいう)てすごい!
歌と踊りでこんなに人の心を動かすことができる。
若い頃、そこそこミュージカルとか演劇みてきたつもりでしたが
やはり、この歳になって感じることの違うこと。

まだまだすてたもんちゃうな。
人生ずっと成長できるぞ!
席に恵まれたこともあったんやろうけど
来年もまたコーナンさんで自転車こうて宝塚申し込んだろと思いましたわ(^^;
2006年07月06日 23時52分54秒
A1リットル型インフルエンザ
TVドラマ「1リットルの涙」を先月再放送でみてから
「A1リットル型インフルエンザ」にかかっています。
(ちなみに巷ではAソ連型インフルエンザが流行の兆し)

もう、DVDで3周みました。
毎日いくら帰りが遅くなっても1話ずつ見て
深夜に大泣きしてるもんやから女房に
「あ、またインフルエンザの発作でとる」て言われます。
原作も読みました。

主人公は昭和37年生まれで、自分より1歳年上。
でも、どうしても親の目線に感情移入してしまう。
主人公本人もさることながら
難病の進行をどうしてやることもできない親の心情を考えると
たまらない気持ちになる。

原作でも、ドラマでも主人公・亜也ちゃんは、
すこしずつ、しかし確実に奪われていく運動能力と格闘しながら、
前向きに
「失われた能力を嘆くより残された能力を生かすこと」
「自分に力をつくしてくれる社会にいかに現状のなかで役に立つか」
を問い続けていた。

難しいなあ。
自分におきかえてみると。

いつも自分に問いかけてないと
忘れてしまいがちなテーマです。
2007年12月10日 22時46分32秒
精密検査
ドックの精密検査で大腸診てもらいに高田の土庫病院へ。

今日はカメラ。
かなり屈辱的なポーズをしいられます。
というか、診察内容。
やったことある人ならわかると思うけど。

自分はもう2回目。
3年ぶりくらい。
ポリープあるのはわかってたけど放置してた。
このくそ忙しい時に
ドックで再検査て言われたもんやから
「もう、とりあえず切ってもらお!」て強気におもてたけど
昨日くらいから弱気になってた。

で、診察待合い。
なんか大腸肛門科てゆうだけで恥ずかしい気持ちやったけど
若い女性も年寄りのとっつあんもいる。
みんな心痛な面持ち。
「そや、みんな治療に来ている」
簡単な問診のあと、今日はカメラで、数日後大腸レントゲンをとることに。
前回といっしょ。
で、カメラつっこまれることになってから
前回の激痛を思い出した。
空気いれられてお腹、むちゃむちゃ張ってるとこに
ずんずんカメラ入れてくる。
むちゃくちゃ痛くて歯をくいしばると
こんどはおしりが痛い。
口でヒーフー息してると
「痛いですか?」て聞いてくる。
「(たのむ。返事させんといてくれー。声だそ思たら腹に力いれなあかん…)」

最後にポリープの写真みせられた。
「これですけど、いますぐ切らなあかんような性質のものではありません」やて
「(ホッ…)ありがとうございます」
しかし、ポリープがすごく大きく見えた。

結局、その大きさも聞けず、
切らんでええことに安堵。
腸をさわるってこんな痛くてつらいことやった。

  今度は前日から検査食になって大腸バリウム。
へとへとになった1日でした。
2007年12月11日 22時12分04秒



トップページへ