息子がいないよ謹賀新年
今年の正月は娘が受験でずーーと塾なので
奥さんの実家のある京都への帰省をとりやめ
ずっと自宅です。

大晦日はいつもどおり飛鳥寺で
除夜の鐘をつきましたが
初詣は近所の牛滝神社ですませました。
だからといってネジリはちまきで
どうこうしているといったわけでもなく、
五條のばあさんと朝からずーっと遊んでます。

自分は受験をなめていて、大学受験で痛い目にあった
苦〜い経験があるので、やきもきしてるんだけど
当の娘は受験がすんだあとの楽しみのことばかり話してはります。
ま、なんとかなってくれりゃいいんだけど
親ってのは、無力なもんだからねー。
たかだか試験の日に会場までつれてってやるくらいしかでけんもんね。
あとはお祈りするだけ。

かたや息子はひまをもてあましていて
よく家事を手伝ってくれてます。
夕方、守護矢を買いに2人で橿原神宮へ行って来ました。

私こと、小さい頃から「テキ屋遊び」の王者でしたので
息子に射的の指南をいたしました。
親子で5打数3安打。
ラムネを自力でゲットして息子もゴキゲンです。
(父親が高校時代に着ていたスタジャンを
 「レトロでかっこいい」といって着てくれるのがうれしい。)

その息子は、さっき京都へ旅立ちました。
今年は、京都のじいさんと龍安寺へいくとか。
だんだん子離れしていかなあかんなー。
2008年01月01日 19時16分45秒
徹マン状態
学生時代は麻雀が大好きでした。
大宮上立売の「斉藤のとっつあんの下宿」にあつまって
よく徹マンをやりました。

徹マンのなにがおもしろいっていうと
まず、突然寡黙になるモンと逆に突然雄弁になるモンがでてくる。
ほんで、無意味に笑い始めるヤツがでてくる。
明け方には、なぜか笑い始めると発作みたいにケタケタ笑い続けて止まらなくなる。
こういう脳みそがぐらぐら沸きたった状態を「徹マン状態」といいます。

今日、久しぶりに仕事で脳みそ沸きました。
仕事がたてこんで、追い込まれてくると
徹マン状態になることがあります。
第三者的には、悲惨で目も当てられない状態なんですが
当の本人はこの状態を楽しんでる時がたまにあります。
異常ではありますが、
そうでもないと「火事場の馬鹿力」って発揮できないし
実力も向上しません。

体もアタマもフラフラやけど
案外充実してて楽しかった今日一日。
2008年01月10日 00時08分54秒
めでタイ、スコタイ
昨日、職場と学校で後輩の西本君の
結婚式の2次会におよばれしました。

朝からは奈良検定で爆発炎上。

そのあと、気をとりなおして気分転換をかねて
しーちゃんに以前から勧められてた日本橋の
タイ式マッサージ「スコタイ」へ。
2時間みっちり「いたきもちいい」思いをしました。
しかし、一晩たつと、「もみかえし」というのかなんというか
思いっきり肩やら首やら「ぐりぐり」されてたもんやから痛い痛い。

夕方からはお目当ての西本君と「ももちゃん」こと「よねどん」の2次会。
人情深いおふたりにぴったりのアットホームな雰囲気のいい集まりでした。
ばかさわぎしてごめんよ。
だって楽しかったやもん。
めでたかったし。
2008年01月14日 14時11分21秒
高松塚で
久しぶりに休日のジョグコースを変えて
石舞台周回コースから
高松塚の方へまわってみたら
入り口でこんなものをみつけました。

四神をなかなかじょうずにつくってます。

お客さんも増えてきたし
春が近いと感じます。
2008年03月02日 19時08分12秒
春でありますっ
4月から娘が電車通学するようになったので、
毎朝一緒に自転車で駅までかようことになりました。
少しうれしいぞ。
娘のクラスは1年D組。
「デー組」ではなく「ダー組」というのだそうだ。伝統で。

仕事の爆業状態はおさまりそうにないけど、
関係者にはまためぐまれたように思います。
桜も盛りをすぎました。
新緑の季節にはいいペースができるようがんばるどー。
2008年04月10日 23時31分04秒
シュガー社員というのだそうだ
「ゆとり教育」と「超売り手市場」の中で
いまの新入社員は生まれてきているのだそうだ。

団塊世代退職の反動で景気がよいとは決していえないにもかかわらず
求人数はバブル期以上である。
一方、ゆとり重視の学習指導要領の下、育ってきた今の新卒世代は
大学までもが「顧客満足」なんて言葉を使い始めた時代のお子たちなので
物心ついた時から常にサービスの受け手であった。

だから、就職してからも自分がサービスを提供する側になったという自覚がなく、
常に「この会社は自分に何をしてくれるんでしょう?」
という姿勢なのだという。

「私生活のために仕事をしている」と平気で言い放ち、
「きちんと教育してこなかった社会に原因がある。自分らにいわれてもしょうがない。」が口癖で、
叱ると急に落ち込んで、突然診断書を持ってくるのだという。

人事担当にとっては「新入社員が顧客」の立場になってしまい、
経営上このうえなく困った状態が発生しているのだそうだ。

就職氷河期に生き残ってきた現在の中堅社員は
門戸を閉ざした企業の門前で会社と対峙し、働くとは何か、
どんな働き手になりたいか、
どんなふうにして社会に貢献したいか、と
必死に自問自答してきた。
いきおい自我の強すぎる者が多かったが、
いわゆる即戦力は多かった。

社員構成の星形ピラミッドのなかで
さほど教育を必要としなかった中堅世代が
こんどは「ゆとり世代」の教育者たることを求められている。
自分が教えてもらえなかったものだから
とまどいというか不公平感があるのでしょう。
もちろん自らの仕事にも余裕がないから非常に困ってしまっている。

ゆゆしき事態である。

自分は決して若手とも中堅ともいえないんだけど
何かのご縁で新人の教育係もしている。
幸い、私の教え子は体育会系で、苦労すること、チームワークの意義を
よくわかった大人で助かっているが
会社全体としてシュガー社員は大量発生しており
ほんとうに辛く、難儀な状態が続いている。
2008年05月17日 22時36分51秒
本物はやはりすごい
高松塚の壁画(修理作業室)公開にいってきました。

ガラス越しながら生まれて初めてこの歴史的傑作をみました。
やはりすごかった。
カビや盗掘による劣化はあるものの
教科書や新聞でみるものとはまったく違いました。
これが7世紀の人類の手によるものであると思うだけで感激。

管理のしかたがどうとか、情報公開がどうとかいうまえに
長い人類の歴史の中で、ほんの数十年しか生きられない自分が
この壁画・この飛鳥美人に実際にあうことができたという事実に
感激しました。

人の営みを「文化」というなら、これはまさに最高レベルの文化財。

写真でみるのとちがって3次元の世界でみると
壁面がぼこぼこになってることもわかるし、
実際の色合いもよくわかる。

形あるあるものは必ずこわれるのだから、
徐々にいたんでいくこの壁画をそのまま残そうなんて、
デジタルぼけしたこと言わないで
いま、この傑作に会えた幸せを思い知ればいい。

こう思う一方で、このお墓を作った人や葬られている人にとっては
千何百年も先に自分のお墓があばかれてみんなにしげしげと見られるとは
思いもしなかっただろうなあ、
と考えながら手を合わせて被葬者の冥福を祈った初夏の一日。
2008年06月07日 13時02分19秒
奈良支部同窓会にいってきました
大学の奈良支部同窓会なるものに
いってきました。
卒業後21年にして初めて。
ま、それなりに楽しかったです。
気分転換にもなってよかった。

ワタシは応援歌とか、チアリーディングとか
そういうものが大好き。
久しぶりに「若草もえて」うたえて
いい気分でした。
2008年07月05日 22時44分34秒
混乱中
イベント目白押し
仕事伸び悩み
気候最悪
などなどで、地に足がついてない状態。

じっくりいかんといけんね。
2008年08月03日 21時06分42秒
大峯山にて修行
大峯山に登ってきました。
夕方から水行。めちゃつめたかった。
というか、痛かった。

夜は速攻で就寝して翌日午前2時起床。
女人結界門から懐中電灯を照らして
大峯山寺をめざしました。

けっこうきつかったです。
「西の覗き」はマジすごかった。
終わった後、涙ぽろぽろでした。
なんでかわからん。
ご来光はサイコーでした。
山上が岳で煩悩やらなんやら下界へ捨て去ったつもりでしたが
下界へおりてきたとたんにその煩悩をまた拾ってしまったように思います(^^;;
2008年08月11日 21時50分59秒
10秒に1人アタル!
昨日やっとあたりました。
挑戦8回目。ちなみに陸上タイプ。
「10人に1人」やったらようわかるねんけど
「10秒に1人」て応募する人ふえたらふえただけ
あたりにくくなるゆうことですやんか。
「やられた!」と気づいたのは
5回くらい挑戦したあと。
そのときはもうすでに「日課化」してたので
毎日おなかタポタポになりながら
惰性で応募してました。
しかし、送ってくるの1ヶ月後て遅すぎるなー。
2008年08月16日 10時09分02秒
ただお前がいい
また会う約束などすることすることもなく
それじゃ、またなと別れるときのお前がいい。

ふっくんの強引な(?)リクエストのおかげで
またもや中学の同窓会が実現しました。

急だったので人数集めに苦労しましたが
くーちゃんやアゴの協力があって
なんとかできたよ。
今年も楽しかった。
みんなどうもありがとう。

幸せな中学時代をすごしてた、すごさせてもらってたんだと
つくづく思う。

「人生一度きりだもんね」という彼女の言葉が大好き。

またあしたから頑張ろうっと!!
2008年08月17日 20時10分52秒
夏休み最終企画〜
手っ取り早く
”回転寿司・君は何皿食べられるかな?食べ放題大会”
を開催しました。

息子と私が15皿で同点優勝、
娘は10皿、奥さんが5皿でした。

なんかもう朝晩は秋だねー。
2008年08月30日 23時12分02秒
ピンチ脱出
生まれてはじめて「胃カメラ」による内視鏡検査なるものを受けました。
ドックで「慢性胃炎」という判定はしょっちゅうもらってたのですが
「胃潰瘍の疑い」て書かれたのははじめてです。
ドックの後、2ヶ月放置してましたが
とうとう会社の健康管理者から督促されて行った次第。

「鼻から胃カメラ」というのを知り
それを扱ってるところへ行ったのですが
えぐいえぐい。
だいたい、あんなもんつっこんで涼しい顔で
「苦痛はありませんでした」というほうがおかしい。

麻酔やら薬やらはうまくきいてたと思うのですが
カメラがのどのあたりをとおるころから
おえっとなってげげっとなって
涙ぽろぽろでしかも意識失いかけで
半死に状態で検査を終えました。

あれで「口から」やったらどうなるねんやろ???

結果は、「安心してよい」ということでしたが
これから先、胃透視で精密検査って判定もろたら
どうしよう?
2008年09月08日 20時37分03秒
授業参観
遅い夏休みをもらって娘(中1)の学校の「夏休み自由研究発表会」に行ってきました。

パワーポイントを用いてみんな聞き手の興味をひくようにしながら
じょうずに説明してくれました。
すごいなーと思い、感心することしきりでした。
みんなよくできていましたが、興味深かったものをいくつか。

姫路城の石垣から好奇心をひろげて
街の防犯グッズ、さらにはバイオメトリクス認証まで研究した「防犯の歴史」。
すごいわ、感心したわ。
中1とは思えんじょうずな説明やった。ユーモアも十分!

「なぜ日本人は缶コーヒーを飲むのか?」
これも仮説のたて方がすぐれてた。
結局、日本人はせっかちな民族なんだ、という結論が妙に説得力あったわ。

「せんとくんはどうすればかわいくなるのか?」
あれこれ調べているうちに愛着わいてきて
カワイイのかキモいのかわからなくなってしまった発表者に
感情移入(!)してしまうとともに
「ほんとうにせんとくんはかわいくないのか」検証するために
奈良公園、大阪城公園、京都清水寺にて
日本人、外国人各100人に対して果敢にアンケートを挑んだバイタリティに拍手。
外国人の半数以上がかわいいと思っているという衝撃の結果も
まさにサプライズでした。

いちばん笑わせてもろたのが「プチプチ」。
そう気泡緩衝材の「プチプチ」。
大阪の学生ならではの発想とノリで
プチプチの緩衝力を、体を張って実験していて
ここまでやれば悪ふざけの域を超えていて、先生も怒れないなーと思いましたわ。
@プチプチを全身に巻きつけて坂道をころげたら痛いかどうか?
Aプチプチを全身に巻き付けて川に飛び込んだら果たして浮くのか?
Bプチプチをお腹に巻き付けてボクサーにどつきまわしてもろたら痛いのか? など
家族が実験の状況を写真に撮ったのだと思うけど
ほんま、探偵ナイトスクープ以上の出来でした。
ぜったい吉本いける!
しかも発表者がかわいい女の子だというのが
すぐれてました。

脳みその掃除になったし、
仕事でも案外いいヒントもらえたし
親としても、大人としても、遊び心をもった単なるオッサンとしても
非常に参考になった有意義な1日でした。
2008年09月19日 21時48分55秒
時代は変わる
京都鴨川おこしやすマラソンに行ったついでに
同志社のクラーク館に寄ってきました。
改修が終わったとのことでしたが、
屋根というか塔のてっぺん部分が銅から鉄に変わっていました。

自分たちがなじんでいて「なつかしい」と
感じるクラーク館は銅がさびて緑色だったのですが
なんか頑強なドイツ軍の鉄兜みたいになっていて
あたりの雰囲気まで変えてしまっており
「もう、自分の居場所はないなー」と感じました。

以前のクラーク館を知る人はどう感じるでしょうか。
創建当時の鉄製にした、ということですが、
銅は銅でその歴史があるねんけどなあ。

これからここで学ぶ学生諸君は、この黒っぽいクラーク館を
「クラーク館」と感じていくのでしょう。
ぼろぼろでがたがたの「緑のクラーク館」を
2年の時だったか、授業で使ってたことをなつかしく思い出します。
2008年10月05日 20時33分25秒
おトクな1日
昨夜は劇的なG軍の逆転Vデー。
ゆえに本日はジョーシンさんで
タイガース応援感謝セール。
子機の調子が悪かったFAX電話を
お安く買い換えできました。

夕方、明日香をジョグしてると
石舞台公園で「天響祭2008」というのをやっていました。
和太鼓フェスティバルみたいなものです。
楽しそうだったので、いっぷくして見ました。
楽しかったよ。

そのフェスティバルの第2部で
大学時代大好きだったレベッカのNOKKOが
特別ゲストだということでしたので
晩ご飯すんでから夜8時に自転車こいで
またもや石舞台へ行ってしまいました。
「cotton time」「人魚」「フレンズ」など
涙ちょちょぎれでした。
こんなのタダでみれて、
しかも間近で、
しかも握手までしてもらって
めちゃめちゃオトクな1日でした。

NOKKOは自分のこと、「今はただの「おかん」です。」てゆうてたけど
そんなことない。
パンチ力のある歌唱力は健在。
「girls bravo!」とか、大好きだったな〜。
2008年10月11日 22時50分42秒
いつもと違う、関西大学ラグビーAリーグ
第2週を終えて、同志社は1勝1敗。
負けた相手が関学だったのであわてています。
現在2戦全勝は関学のみ。(vs同志社、京産大)
京産大が2戦2敗で
残る6チームはすべて1勝1敗。
これは下位チームが底上げしてきているのか
上位チームの力がおちてきているからなのか。
関学の力がアップしているのは否定しないけれど、
わが同志社の調整がうまくいってないのも事実。

ことしの選手権もおもしろくないのかなあ。
正月までにおわっちゃうのかなあ。
なんかつまらんなあ。

花園でも第2グラウンドでの試合やし、
これというのも客数があつまらんからなわけで
関西大学ラグビーは、ますます地盤沈下していくんやろか。
2008年10月19日 20時38分20秒
大坂夏の陣図屏風
NHK「その時歴史が動いた」の再放送でみました。
”戦国日本のゲルニカ”と表現されていましたが
わたしもそう思います。

市民の怒り、悲しみが伝わってきます。

番組で言及されていたとおり
黒田長政の自戒の気持ちがこの絵をつくらせたのだと思いたいです。

先祖の武勇を残すための屏風でなく
いくさの悲惨な裏側をも描いている稀な屏風、
長いこと大阪城天守閣には行っていませんが
次に大阪城公園に行く機会には
じっくりみてこようと思います。
2008年12月06日 11時00分31秒
2008年をふりかえる
マラソン
いびがわマラソン時間内完走が思い出深いです。
あと、仮装ランもたくさんしました。
仮装がきっかけでお知り合いもふえて楽しかったです。
長野マラソンは2回目の強制撤収。
次回はぜひ雪辱したいです。
雨の富士吉田遠征も印象に残ってるなー。
今年のトータル走り込みは686キロ。

競馬
一口出資しているドリームパスポートが怪我、引退しました。
この馬にはほんといろんな意味でいい思いをさせてもらいました。
だいぶ励ましてもらったなー。
今は北海道で乗馬になるための訓練を受けています。
元気でやっていってほしいです。

釣り
はじめてツバスを釣ったのが印象深いです。
マリーナシティ大波止は、すごくいい釣り場なんだけど
マナー悪いのが玉にキズ。
これからもマリーナシティは釣り公園へ行く機会の方が多くなりそうです。

家族
娘が無事進学できました。
いろんな思いをした受験時期でした。
いま学校生活、楽しんでくれてます。よかった。

仕事
アダモちゃんと達成感をもってとあるプロジェクトを終えることができました。
きつかったぶん、乗り越えたときに得られた充実感も大きかった。
こんな思い、あと何回できるだろうか。
2008年12月30日 00時55分35秒
今年も暮れてゆく〜
うちの自治会では年末夜警という行事があります。
いちおう昭和40年代には「ニュータウン」ということで
開発されたところなんだけど(^^;

でも、アパート住まいからいまの住まいを探すときに
新興住宅地という選択肢はなくて
それなりに熟成した住宅地をさがした結果が
いまの住まいで、それなりに満足しています。

こころのふるさと飛鳥にも近いし
ジョギングし放題だし(^_^)v

年末夜警は、21時過ぎに自治会館に三々五々集まってきて
あたま数がそろった時点で町内を「火の用心、カチカチ♪」とやりながら
30分ほどかけて周回。
自治会館にもどって雑談しながらお酒などのんで
22時半ごろからまた「火の用心、カチカチ♪」。
新入りの頃は、つきあいがめんどうだった時もありましたが
ご近所の顔がみえる、というのは非常に心強いことです。
結局、「お互いさま」感覚ということですな。

今年は29日に夜警当番があたりましたが
息子と娘が「おとうさんの仕事、地域振興やねなぁ(?)」と言って
夜警を手伝ってくれました。
息子はいままでもよく手伝ってくれてます。
「地域振興」とか「地域づくり」って言葉は聞こえはいいのだけれど
実像がなくて非常につかみにくい言葉です。
人の交流といわれる場合もありますが、
経済活性のことでもあり、福祉のことでもあり、
もちろん安全・防犯のためでもあります。
ただ、こうしたちっちゃな取り組みに世代を紡ぎながら参加していくことは
自分たちのまちをつくることであり、自らを守るためでもあるのは
まちがいないだろうと思っています。

いろんな意味で自分の住むまちが住みよいまちであったらいいな
と、思う今日この頃。
そう強く思うくらいけったいな出来事が何度も報道をさわがせた1年でした。

来年がよい年となりますように!
来年もよい年でありますように!
2008年12月31日 21時21分35秒



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