年男です、謹賀新年
ケガなく病気なくすごせたら
それがいちばんだと思います。

今年は仕事が2周目に入ります。
ふだんの努力が報われる1年であってほしいと
思います。
そうなるよう努力したいと思います。

長野マラソン、過去4回挑戦して
1回完走、3回は最終関門で撤収させられていますので
今年こそ5時間の制限時間内に完走したいと思っています。

あとは自然体でいけたらいいな。
2011年01月03日 21時01分38秒
ちょっときびしいです
正月以降、スランプが続いています。
2011年01月16日 19時06分35秒
近況
スランプが続いています。
しばらくマラソンもキャンセルです。
眼性ヘルペスはすぐに気がついたので広がらずになんとかおさまりました。
明日になったら奥歯の欠けたのも治してもらえます。これ、大きいです。
花粉症はこれから本番だし、気長にいくしかありません。
メンタルの方は昨日また薬をふやしてもらいました。
「すべてが解決する問題ばかりでないこと」「一人でしょいこまないこと」をしっかり心にきざんでいきたいと思います。
なんかいっつも同じことで悩んでるような気がする。

去年の夏場は、やや回復したところに秋からの行事ラッシュでしんどいとか言ってられなくなった感じでした。
そんな状態の疲れがでた感じです。
この心、この身体とどうつきあっていくか。
それと与えられたポジションで最善をつくすこと。
実に悩ましいです。
2011年01月23日 11時23分36秒
本日の教訓
今日、力をふりしぼってでたとある会合でわかったこと。

職務上悪人を演じている善人がいっぱいいる。これ大事。

帰宅して読んだ夕刊でめちゃめちゃタイムリーな記事がありました。
曽野綾子さんへのインタビュー記事。
「年齢とともに得るものは?」
「人から良く思われようと悪く思われようと仕方ない、という考え方。」
ふむ。
「人間って大して良くも悪くもないんです。」
ふむふむ。
「老年は病気が増えるのが普通です。健康が当たり前と思わず、
 年をとったらみんな気がめいると思ったらどうでしょう。」
はあ。
「日本人は、今あるものを数えず、ないものばかり数えています。
 引き算の生き方では幸福になれません。」
ちょっと言い過ぎのような気もするが、そうかなあ、と。

しんどい思いをしながら生きてる人のほうが多いと思います。
先週は目やら歯やら4つもいっぺんに医者にかかってましたが
今週になって2つはなんとかなりました。
ちょっと楽になったと思えば多少はましかな。
2011年01月27日 23時50分20秒
本日の収穫
ちょっと難しい話だけど自分自身の将来のために心のメモ。
外の人たちは「国への陳情」。
菅さんが責め立てられるのは、彼が菅さんだからではなく
彼が一国の宰相だから。
「ひとりでしょいこまない」と何日か前に考えたはずなのに
また一回転してる。
忘れないこと。国への陳情!

引き算でなく足し算で発想する。
これも昨日考えたことだ。

そういえば最近、物に執着しなくなってきたなあ。
年とってきたということか。
そういえば顔がシミだらけになってきたものなあ。

いずれにしてもしょせんは仕事。
命より、家族より大事なものではありません。
2011年01月28日 23時11分31秒
不安感に苛まれた日でした
何人かの友人に「落ち込んだときにどうするか」尋ねたら
一番多いのが「寝る」でした。

最近マイブームの曽野綾子の言葉
「努力と結果が結びつかない、
 というところに、救いがあるのだし、
 言い訳もなりたつのである。」
2011年01月29日 20時33分51秒
受け入れること
すべての事を受け入れること。
否定しないこと。

そうした中でそれぞれの良さを引き出すこと。

世の中に不要な人なんていない。

困ったことをする人も何かで役に立っている。

曽野綾子シリーズ
「人間にとって大切なのは、
 自分があることをどう把握して、どう行動するかであり、
 他人がそのことについてどう思うか、などということは、
 実に瑣末なことであるはずである。
 どう思われても、やるべきだと思ったらやるのが人生なのだし、
 それで悪意を持たれるなら、
 それは悪意を受けているより仕方がない。」

「私はこの世に「安心して暮らせる」状態などないこと、
 生きることは運と努力の相乗作用の結果であること、
 したがって人生には予測などということは全く不可能であること、
 しかしそれゆえに人生は驚きに満ち、生き続けていれば
 びっくりするほどおもしろいことだらけだと、
 謙虚に容認できるようになった。」
2011年01月29日 21時06分19秒
よくわかんないや
頭の中と胸の内が大混乱中。
腰も痛い。
2011年01月30日 13時02分31秒
夕食後の薬が効いてきた
不安な気持ちを消してくれる。
結論を急がないでいこうと考えられるようになる。
夜しか飲めないのがつらいけど、
朝・昼とはだいぶちがう。

また翌朝が不安だけれど、いまは穏やかな気分。
やはり休養が必要なのかもしれない。
2011年01月30日 19時08分50秒
教訓
あせるな。あわてるな。あきらめるな。
2011年02月20日 19時51分10秒
おためし勤務
関係各位のご配慮により
おためし勤務をさせてもらっています。

体調をくずしてあらためて
多くの人に支えられて生きていることを実感します。
また、多くの人を支えて生きてきたことも実感します。

あせらないでじっくりと立て直しています。
いま、大事なのはできることをしっかりやること。
写真は鳥しゃんからいただいたお見舞いのお花。
2011年03月04日 22時46分05秒
ちょっといい話
ある本で読みました。
「成功はよいことで、失敗は悪いこと」
という考えは正しくない。

なぜなら、失敗のない成功はないからだ。
100の失敗の先にひとつの成功があるからだ。
だから失敗をおそれてはいけない。

人生がもしトーナメント戦だったら
絶対に失敗は許されない。
でも人生はトーナメント戦ではない。
負けても先へ進める。

「失敗は成功のもと」とよくいうではないか。

写真は庭先の梅。
春は近い。
2011年03月12日 21時01分03秒
巨大地震についての思い
3月16日の天皇陛下のお言葉

このたびの東北地方太平洋沖地震は、マグニチュード9.0という例を見ない規模の巨大地震であり、
被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。
地震や津波による死者の数は日を追って増加し、犠牲者が何人になるのかも分かりません。
一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています。
また、現在、原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ、
関係者の尽力により事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています。

現在、国を挙げての救援活動が進められていますが、
厳しい寒さの中で、多くの人々が、食糧、飲料水、燃料などの不足により、
極めて苦しい避難生活を余儀なくされています。
その速やかな救済のために全力を挙げることにより、
被災者の状況が少しでも好転し、人々の復興への希望につながっていくことを心から願わずにはいられません。
そして、何にも増して、この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、
これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。

自衛隊、警察、消防、海上保安庁をはじめとする国や地方自治体の人々、
諸外国から救援のために来日した人々、
国内のさまざまな救援組織に属する人々が余震の続く危険な状況の中で日夜救援活動を進めている努力に感謝し、
その労を深くねぎらいたく思います。

今回、世界各国の元首から相次いでお見舞いの電報が届き、
その多くに各国国民の気持ちが被災者と共にあるとの言葉が添えられていました。
これを被災地の人々にお伝えします。

海外においては、この深い悲しみの中で、日本人が取り乱すことなく助け合い、
秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。
これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。

被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、さまざまな形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。
被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体(からだ)を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、
また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、
被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています。


…このようなお言葉があったので、少々の厳しい思いや辛い職務にもたえられます。
いきなり休養前の爆業に戻ってしまいましたが、
願わくばマスコミが被災者と支援活動者の状況に思いをいたして、冷静で確実な報道をしてもらえますよう…。
関西広域連合には参加していないが、奈良県や奈良県民は被災者・被災地に心を痛め、支援のためにいろんな取り組みをしています。
2011年03月19日 21時58分03秒
おたがいさま
天災はいつ、どこに起こるかわかりません。
心が痛いのは、いつ自分の身の上に起こってもおかしくない事態が
おこっているからです。

「救援」「避難」「支援」「復旧」「復興」と、
必要な人やモノなどのちからは徐々にシフトしていきます。

誰の身の上に起こってもおかしくないことだからこそ
誰でもできることは自分もやって力になりたいし、
自分にしかできないこともがんばって力になりたいと思うのです。
現在の自分は、「復旧・復興」パートの裏方をしています。

情報の伝達がうまくいっておらず、必要なところに必要な力が
届いていないという声を聞きます。

被災地、病院、物資集積地などいろんなところで
コーディネーターが力を発揮することが求められています。

自分は「いま」何をすることができるのか、
「おたがいさま」だからこそ常に自分に問い続けています。
2011年03月20日 11時58分35秒
戦友
家族・友人や会社のひとにずいぶん心配や迷惑をかけましたが
個人的には、なんとかもとの生活に戻っています。

迷惑かけたと思う同僚に詫びたら
「なにゆうてんねん。戦友が戻ってきてくれて心強いで!」と返されました。
そのように考えてくれる同僚がいることがうれしく、誇らしい。
そのように考えてくれる付き合いをしてきたことが財産です。
2011年03月21日 20時38分02秒
桜は一分咲き
娘が高校にあがりました。
今週後半に入学式があります。
入学式のころには桜が満開でしょう。
ワタシは子供の入学式・卒業式の類には
いったことがありません。

自分が小さいころ、親が当時としてはめずらしい「共稼ぎ」だったため
母親が勤務先を休んで出てくれた思い出しかありません。
そのせいかもしれませんが男親はそういう式典にはでないもの
と思い込んでしまっています。

息子は今年高三、じっくり考えて悩んでくれたら
出した進路の結論に口出しはしないつもり。
2011年04月03日 19時26分46秒
鳥しゃん、おつかれしゃん!
昨日、3月で退職された鳥しゃんの送別会をしました。
今になった理由は、アタシが体調くずしてたから。
スミマセン。

やかましい人はやかましく、いじられキャラのおのっちさんはいじられまくって楽しく盛り上がりました。

記念日新聞も喜んでもらえたし、赤いちゃんちゃんこも着てもらえました。

思い返せば13年来のお付き合い。
しんどい時はよりそってくれたし、
仕事はテキトーといいながらもキツい時はいつも逃げずにフォローしてくれたし、
よく一緒に遊んでもくれたし、
こんな上司はそういません。

一市民にならはりましたが、これからも大事なボーズサビキ釣り師仲間です。

それにしても男前は何を着せても似合ってますなあ!
2011年04月16日 17時58分38秒
とても悲しいのです
キャンディーズのスーちゃん、田中好子さんが
乳がんで亡くなったニュース。

今日の告別式で、3月に起こった東日本大震災の
被災者を励ます彼女のメッセージが流されました。

聞いていて泣かされました。
涙が止まりませんでした。
消え入りそうな声なのに、凛としていて
人間としての誇りが感じられる、
そんなメッセージでした。

アイドル歌手として、また存在感のある名女優として皆を励ますため
最後の力をふりしぼってくれていたように思います。

自分には3才年上の兄がいるので、
なんでも年齢よりやや先取りの幼少期をすごしました。

キャンディーズも、ちょうど兄の世代とリンクしていたように思いますが、
中1の私はとってもスーちゃんファンだったのでした。
アイドル歌手といっても、それまでの天地真理さんや南沙織さんなどとは
ちょっと違った、近所のおねえさん的な存在でした。

ドリフの「8時だヨ!全員集合」でもボケまくっていたし、
「見ごろ、食べごろ、笑いごろ」では小松政夫さんやばってん荒川さんと
チョーおもしろいコントをやってくれていました。
この番組の大ファンでした。
「もうワタシ、のうしたらいいの!」って懐かしいなあ。
西田敏行がカバ大将として売り出してたなあとか、電線音頭の電線マンおったなあ、
あれで3年生を送る会の出し物にしたなあとか、いろいろと思いだされます。
歌手として絶頂の時の解散引退、女優としての再デビュー。
中3の時、後楽園球場での解散コンサートのライブレコード予約して
特典でもらったキーホルダーを長いこと大事にしてたこととか思い出されます。

自分も思えば遠くへきたものだ、と。

長い闘病生活、いろいろと思うこともあったでしょう。
安らかにおやすみいただきたいと思います。
愛してやまないおねえさんです。
なんだかとりとめなくなってきたなあ。

なぜか、「暑中お見舞い申し上げます」の裏声がリフレインするのです。

合掌。
2011年04月25日 23時04分38秒
キャンディーズ・スーちゃんのメッセージ
こんにちは、田中好子です。

きょうは3月29日。東日本大震災から2週間が経ちました。
被災された皆さんのことを思うと、心が破裂するように痛み、
ただただ、亡くなられた方のご冥福をお祈りするばかりです。

私も一生懸命、病気と闘ってきましたが、
もしかすると負けてしまうかもしれません。
でもその時は必ず、天国で被災された方のお役に立ちたいと思います。
それが私の務めだと思っています。

きょうお集まりいただいている皆様にお礼を伝えたくて、
このテープに託します。

映画にもっと出たかった。
テレビでもっと演じたかった。
もっともっと女優を続けたかった。
お礼の言葉をいつまでも、いつまでも皆さんに伝えたかったのですが、
息苦しくなってきました。

いつの日か、義妹・夏目雅子のように支えてくださった皆様に
社会に少しでも恩返しができるように復活したいと思っています。
一(かず)さん…よろしくね。
その日まで、さようなら。
2011年04月25日 23時52分18秒
伊勢詣で
年初来の体調不良から快癒したので、
先週末、おふくろとふたり
親子水入らずで伊勢へお礼まいりにいってきました。

泊まったのは「かぐらばリゾート千の杜」というところ。
無意味にだだっぴろい館や散策コース、
入ってすぐに「元公共の宿」と感じました。

以前アダモちゃんと血の汗を流しながら取り組んでいた
「かつらぎの空」が懐かしく思い出されます。
古いガイドブックで確認すると
「厚生年金休暇センター・ウエルサンピア伊勢」
と表示されていました。やはり…。

でも、骨休めのためにきたのでのんびりゆったりできて
最高のシチュエーションでした。
部屋は、きっとかつては「特別室」と呼ばれていたであろう
1室限定の和洋室。畳の上でゆっくり休めました。

ごはんは伊勢エビづくしのフルコースで
おふくろにも喜んでもらえました。

不眠症は相変わらずなので、翌日は5時に目が覚め、
散策コースを1時間ほどジョギりました。
「かぐらば」というのは神楽場と書き、
神々の遊ぶところ、という意味だそうです。

伊勢詣での移動は、車いすを借りて
手押しで玉砂利の上を押していきました。
親孝行のまねごとをしているような気分になれました。

ゆったりできて、いい骨休めになった伊勢旅行でした
病気して、悪いことばかりでもなかったかな、と思えた週末でした。
2011年04月29日 00時15分21秒
県庁おもてなし課
今をときめく有川浩の作品。

綿密な事前(内部)取材に基づいて
かかれたのではないかと思います。

行政のよくないところをおもしろおかしく描きながら
結末は当初予想されるサヤにうまくおさめられていて、
安心しながら読み進むことができました。

観光・農林・交通政策などに携わる行政職員に
ぜひ読んで欲しい傑作。

「それ、県民の前で言えますか?」

くだらんいいわけばかり考えている役人や
石橋を叩いて渡ろうとして、
その石橋を叩きこわしてしまうような役人に
県民目線での行政のありかたを教えてくれます。

小説はおもしろいが、きっと現実の県庁はおもしろくないのではないかと思う。
「おもてなし」をいいわけにして仕事を押しつけあってるような
レベルの低いことじゃいけないな。
せっかく働くんだもの、「おもしろがって」働きませんか?
掛水君や多紀ちゃんのように。
2011年05月01日 17時02分28秒
大和浪漫回廊からのごほうび
昨年秋からこの3月まで「大和浪漫回廊」なる
キャンペーンを某県土木部でやっていました。

ぶったおれるまでの12月いっぱいまでのワタシは
よく明日香路や葛城路に出没して
「古墳カード」を集めまくっていました。

そのキャンペーンで大和のおみやげプレゼント企画というのもやっており、
なにげに応募していたのですが当選したようで、自宅に荷物が届きました。

キャンペーンの委託会社からとなっており
なんとA賞「飛鳥米5kgと健康たまご・まもるくん50個」当選です。
明日香村と橿原市からの「おみやげ」とのこと。
市民が当てちゃって恐縮ですが、テンションあげあげです↑↑↑

自分のホームページでもキャンペーン期間中にリンクバナーをはっていたし
けっこう個人的にも応援してたのでとてもうれしいです。

ご近所におすそ分けしてまわりました。

今は「よーおいで南大和」キャンペーンというのをやっています。
五條や吉野の吊り橋を巡る企画です。
連休後半に集中して行くつもりです。
みなさんもいかがですか?
2011年05月01日 22時21分42秒
いま、吊り橋がおもしろい!
GWにぜひいきたかった奈良県南部を巡る企画
「よーおいで!みなみ大和・吊り橋を巡ろう」
に行ってきました。
今回は国道168号ルート。
7つも「巡って」しまいました。
写真は十津川村・猿飼橋。
(長さ:143m、幅員:2.6m、高さ:34m)

吊り橋巡りって思いのほか楽しかったです。
谷瀬の吊り橋は有名だけれど、
奈良ってこんなにたくさん吊り橋があるのだ、と
感心しました。

ゆらゆらゆれるのが怖くていいカンジです。
ちっさい吊り橋のほうが楽しいです。
地元のひとはみんな親切でいろんな話を聞かせてくれます。
某温泉地の管理人さんは
子どもの頃、吊り橋からぶら下がって遊んでいて先生に
「死ぬ気かっ!」と怒られたそうです(^^;)
皆さん一様に単車であたりまえのように橋の上を走ってるのにも
ビビりました。(橋そのものが村道だったりします)

吊り橋カードがもらえたり、
地元産のプレゼントが当たるキャンペーンは6月30日まで。
機会をとらまえて国道309号ルートにも行きたいと思います。
2011年05月06日 19時07分53秒
人にとって何がいちばん大切か
毎日新聞の本日の「余録」より

避難した地域住民の一時帰宅は、
住民が永久的な退去を強いられたチェルノブイリ原発事故でもあったそうだ。
着のみ着のままで避難した後に、1度だけものを取りに戻る機会があったそうだ。

人々が持ち出したのは豪華な「宝」ではなく
親しい人の写真、愛読した本、古い手紙など
一見滑稽だが思い出のこもる「小物」などだったという。
「それらは深く個人的な世界、現在だけでなく、過去と未来に生きる人間の非常に傷つきやすい世界を作り上げる品々であった」という。
(ユーリー・シチェルバク著「チェルノブイリからの証言」)

福島第1原発の警戒区域でも、厳重な被ばく管理の下で一時帰宅が行われた。

「仏壇に水を供えたい」
「アルバムと両親の位牌を持ちかえる」
「年賀状のファイルを取ってくる」
などが、一時帰宅の先陣を切った住民の声である。

今後、一時帰宅する住民の中には津波で行方不明の肉親の写真を
取ってかえりたい、という人もいる。

災害で奪われた未来と、ばらばらにされた過去を
現在どんな形でつなぎ合わせ、
自らの人生を取り戻す「よすが」とするか。

人にとって本当に大切なものとはなんだろう。
深く、重い問いかけだけれど
日常気づかないことの中に本質があるように思う。
やはり、人と人とのかかわりの中にしかそれは見いだせないと思う。
自分は、つい最近日常を失って、
心ない言葉に傷ついたこともあったけど
「心ある人」のほうがずっと多かったので
まだまだ救われた人生を歩んでいるな、と思うのです。
2011年05月11日 22時21分49秒
腹立たしいのを通り越して…@
おったまげているのです。以下の二人のやりとり。
記事を引用します。

毎日新聞 2011年6月9日(木)東京朝刊
・特集:「家庭内野党」伸子夫人に聞く 菅さんが総理になって−−
◇何も変わっちゃおらんわ
市民運動家から一国のトップにまで上りつめた菅直人首相、永田町の政争にもみくちゃになりながら、その座から降ろされようとしている。
でも、当のご本人はすぐに辞める気配がない。「一定のメドがついた段階で……」。
どんな思いなのか?「家庭内野党」を自任する夫人の伸子さん(65)に聞いた。【鈴木琢磨】

◇けど“カネの力”封じ込めと、浜岡原発停止は大きいかな
◇「なりゆきを決然と生きる」ただいま菅家の座右の銘
6日夜、首相公邸にお邪魔した。伸子さんいわく「首相の社宅」。
ドタバタ引っ越し準備でもしているかと思いきや、どこにも段ボール箱は見当たらない。
ダイニングテーブルには、すしにポテトサラダ、卵焼き、そして豆の含め煮が並んでいる。ご亭主は今夜も遅いのだろう。
「引っ越し? ええ、決まれば、いつでも。
だって、この社宅、家具はすべてちゃんとそろってたし、洋服と調味料、広辞苑くらいしか持ってこなかったもの。
すぐ(東京都内の)吉祥寺の自宅に帰れますよ」

拍子抜けするくらいあっけらかんとしている。「ちょっと飲もうかしら」。
酒豪で鳴らす。ビールでのどをうるおせば、首相の辞意の真相もぽろり飛び出すに違いない。
むろん、こちらもお付き合いするが、しーんとした日本一警戒厳重な社宅でのビール、なかなか酔えそうにもない。
なんだかゲリラのアジトに潜入している気分にもなって。

「アハハ、そうね。菅さんの原点はゲリラ、市民ゲリラだってこと、もっと思い出してもらわなくちゃ。
昔の菅さんを知る支持者のみんなからさんざん言われるの。あと少ししかないなら、何かやってくれなきゃ。
面白くないよって。私もそう思う」。
そういえば、首相就任後、間もなく出た伸子さんの著書のタイトルは「あなたが総理になって、いったい日本の何が変わるの」。
何が変わりました?

「大して何も変わっちゃおらんわ!
ただ東日本大震災があって、浜岡原発を止めたのは大きいんじゃないかなあ。突発の思いつきなんかじゃない。
菅さん、国会議員に初当選した1980年にアメリカに出かけ、風力発電を視察しているんです。
風力や太陽光エネルギーこそ、次の時代の基幹エネルギーになると信じてきた。
それに究極は植物によるバイオマスエネルギーも夢見ている。
いろんな政党を経験してきたけど、僕の最後は植物党をつくることだって、今も真顔で言ってますから」

で、政界も変わらない?

「うーん、やっぱり、おカネの力でものごとを動かそうとする人が強いのよねえ。
あのDNAをわが民主党に残されちゃかなわん。
菅さんは違う。震災の復旧・復興はほかの人でもできるけど、“政治とカネ”の封じ込めだけは菅さんじゃなきゃできないって、誰かが言ってた。
それにしても、永田町の男って政局で元気になるのね。ねたみと、そねみが渦巻いて」

名前こそあげないものの、小沢一郎民主党元代表のことが気になってしょうがないんだなあ。

いつしか伸子さん、大好きな赤ワインをぐいぐい飲みだした。顔が赤らんでくる。
さては愛するご亭主を、谷垣禎一自民党総裁に「人徳がない」とののしられたり、
鳩山由紀夫前首相に「ペテン師」呼ばわりされたことに怒りがこみ上げてきた?
「ええ、ええ、うちの菅直人に徳なんてございません。今の政治家はみんな小粒でしょ。
ペテン師?古いわねえ。昭和の言葉でしょ。まあ、ハラが立つより、くすっと笑っちゃう。鳩山さん、憎めないのよ」

なるほど、敵のあいくちをさらりかわすのも百戦錬磨のゲリラの妻ゆえか。
とはいえ、すでに四面楚歌(そか)、激しくなるばかりの「菅降ろし」の風圧に耐えているのはなぜ?
2日の民主党代議士会で菅さん、こう語りかけた。
「大震災に取り組むことが一定のメドがついた段階で、私がやるべき一定の役割が果たせた段階で、
若い世代のみなさんにいろいろな責任を引き継いでいただきたい」。
ほかでもない、一国のトップの言である。自然に解釈すれば、即辞任と受け取れる。

「そうかなあ。これまで首相がいともあっさり、簡単に辞めちゃった方が不思議ですよ。
日本は、男の引き際だとか、男の美学だとかってすごく好きでしょ。江戸時代の切腹がそう。よくない」。

【長いので記事を分けます】
2011年06月12日 23時27分47秒
腹立たしいのを通り越して…A
【続き】

コピーを持ってきた。
「読んでみて。菅さんも読んだ」。
塩野七生さんの「日本人へ リーダー篇」(文春新書)の一節。
<拝啓 小泉純一郎様>と手紙スタイルになっている。
<私があなたに求めることはただ一つ、刀折れ矢尽き、満身創痍(そうい)になるまで責務を果たしつづけ、
その後で初めて、今はまだ若造でしかない次の次の世代にバトンタッチして、政治家としての命を終えてくださることなのです>

驚いた。あの代議士会でのスピーチと重なっている。
菅さん、塩野さんの大ファンで、全15巻の「ローマ人の物語」も読破したらしい。
「もうひとり、ハマッてる作家がいる。福島のお寺の住職でもある玄侑宗久さん。
たまたまテレビを見ていたら、出ておられて、おっしゃった。『なりゆきを決然と生きる』。
これよ、これ! この言葉だなあって。
私が生まれたのもなりゆき、菅さんと一緒になったのもなりゆき、首相夫人になったのもなりゆきですから。
どこへ行くかわからない。それでも決然と進んでいく。菅さんも、いいねって。ただいま現在、菅家の座右の銘でございます」

飲んで、飲んで、と日本酒をつがれ、はぐらかされている気がしないでもないが、菅さんが即辞任しない理由だけはおぼろげに浮かぶ。
まだやりたい、そして言いたいことが山ほどあるんだな、と。
持ってきたCDをかけてもらった。食道がんから生還した桑田佳祐さんの新しいアルバムの中の一曲「いいひと」。

♪お辞任(やめ)になる前に総理(ボス)よ そっとツブやいておくれ Baby!! Tweet!! Baby!!
 “現代(いま)”が何処(どこ)に向かって何を唱(うた)うべきかを……。

鳩山政権時代に書いた詞らしい。

「へえーこんな歌、あるんだ。よく見てるわねえ」。
2人してクワタワールドに遊んでいると、そこへふらっとご亭主が帰ってきた。
なんだそれみたいなけげんな顔をし、そのまま消えた。
ひょっとしてお遍路の旅支度でも?と伸子さんに水を向けたら、ガハハと笑った。
「私も行くかなあ」。しばらくしてリビングに戻った菅さんに言った。
「桑田さんの歌、いいわよー。あなた、つぶやかなきゃ、もっと、もっと」

…あまりに無責任すぎる。インタビューするほうも受けるほうも。
一国の宰相の妻が官邸で受けるインタビューの受け答えなんだろうか。
毎日新聞の記者も何を、どんな視点で伝えたいがためにこのような取材をし、記事にかいたのか。

毎日新聞はいつから三流ゴシップ紙になりさがったのだ!!
毎日の生活に苦しみ、ふるさとに戻ることも許されず、
明日の暮らしに怯える庶民がどう受け取るかを考えたのだろうか。
どう好意的に解しても取材するほうもされるほうも不謹慎きわまりない。

なんだかねむれそうにないのだ。
2011年06月13日 00時21分39秒
ユネスコ「Peace of mind」キャンペーン
…というのがはじまっています。

去年の平城遷都1300年記念祝典での
「大和路シンフォニー」大合唱がご縁で
城之内ミサさんから時おり「合唱団再結成」の
お声かけがあり、
いちびりの私はそのつどいそいそと出かけてしまっています。

今回は彼女の「ユネスコ平和芸術家」という活動の一環で取り組んでおられる
教育・世界遺産保護継承キャンペーン「Peace of mind」のテーマ曲に
1300年祭記念祝典でのアンコール曲「Peace of mind」が決定したことに伴い、
この曲を録音・録画し、世界に発信しようというものでした。

先週日曜の夕方奈良に集合、当初は県庁屋上で「絵撮り」をしてから
県文化会館で録音という予定だったのですが、
1300年記念式典同様、「雨女」のだれかさんのおかげか(?)
県庁屋上にあがったとたんに大雨が降りだしました(^^;

ずぶぬれになって映像をとり、そのあと約2時間かけて録音しましたが
雨のおかげで皆異常に盛り上がりました。
集まったのは70人だったそうです。
記念祝典が200人だったことからすると、
事前に出席もとらずに告知はがきだけでこんなに集まったのはすごいと思います。

城之内さんの人徳によるところもとても大きいと思います。
ほんとうにおおらかな、こころの豊かな方です。

また集まりたいと思った2度目の再会でした♪
2011年06月14日 22時19分44秒
東北六魂祭
東北六魂祭 開催によせて

未曾有の被害をもたらした3月11日の大震災。
東北エリアには、その破壊の爪跡がまだ生々しく残っています。

しかし私たちは決して、この困難に屈しません。

東北の誇り高き魂をもう一度奮い立たせ、
まだまだ続くこの試練の時を乗り越えるために。

この夏、東北6県を代表する祭りの数々が
仙台の地に集い、復興への狼煙をあげます。

青森ねぶた祭、秋田竿燈まつり、盛岡さんさ踊り、
山形花笠まつり、仙台七夕まつり、福島わらじまつり。

東北人の不屈の魂を示す6つの祭りが、
長い歴史の中で初めてひとつになるのです。

私たちはこれまで、日本中からたくさんの温かい応援をいただきました。
その声に応えるためにもこの祭典を、
皆様と力を合わせて素晴らしいものにしてゆきたいと願っています。

新しい東北のために、そして新しい日本のために。
東北六魂祭へのご支援・ご協力をどうぞよろしくお願いいたします。
2011年5月31日

青森市長 鹿内 博
秋田市長 穂積 志
盛岡市長 谷藤 裕明
山形市長 市川 昭男
仙台市長 奥山 恵美子
福島市長 瀬戸 孝則


…自分にとってこの夏のメインイベントになると思うのです。
報道発表直後にホテルは楽勝で確保できました。
今でもまだネット検索で当日のホテルがあいているのです。

ピリカラ隊は7月17日、酒田砂丘マラソン参加のあと
このお祭りに行くのです。

イベントとしてもすごいとは思うけど
なにかよいめぐり合いがあればよいなと思っています。
2011年06月18日 19時15分46秒
毎度のことながらドックはつらいよ
マーゴンちゃん(台風6号)は国内あちこちに騒動と被害をもたらしながら
とりあえず近畿地方を過ぎて行きました。
被害にあわれた方、難儀な思いをされた方にお見舞い申し上げます。

本日は夜勤明けで人間ドックでした。
結果は後日わかりますが、感触はよくなかったです。
数年ぶりに採血で気を失い、そのままざっくり倒れてしまいました。
意識回復まで思いのほか時間がかかったようで
病院スタッフのみなさんにはたいへんご心配とご迷惑をおかけしました。
初めての病院だったのですが、見栄を張ってしまい
横になって採血してもらうことを自己申告しなかった私が悪うございました。
やはり私はドックとの相性がめちゃ悪いです。
どこの病院で受けても必ずといっていいほど気を失います。
現在おなかの調子も最悪です。
精密検査はどこで受けようかしら…。
2011年07月20日 19時31分26秒
常識
常識のない人に常識を教えるのってほんとうに難しい。

昔は放置しておいたら自分で勝手に頭をうってくれたのだけれど
いまはなかなかそうもいかなくて
自分もふくめていろんな人にとばっちりがまわってくる。

どっちかっていうと自分は面倒見のいいほうだからほんまに悩みます。
2011年07月29日 23時07分48秒
わがまちの記紀万葉
自治会の文化(?)企画で
猪熊兼勝先生のお話を聞きながら
地元の文化資源を歩いてまわる機会に恵まれました。

先生は軽妙な語り口で
ふだんなじみのある御陵やお寺のゆかりについて
興味深いお話をしてくださいました。

高校時代、こんな授業だったら歴史嫌いにならなかったのに、と思う一方で
このトシにならないとこうしたものの良さはわからないだろうな、ワタシ
ってつくづく思った夏の1日でした。
2011年07月30日 23時46分04秒
10年前の自分たちから手紙がとどいた
2001年8月13日の日付で10年前の自分たちが自分たちにあてて
書いた手紙が届きました。

2001年に神戸でやっていた
「21世紀みらい体験博」の未来ポストに家族で投かんしたもの。

息子は「ぼくは、いま九九のれんしゅうをしています。八のだんがややこしいけどがんばっています。」
…いちばんまともだな。

奥さんは「2001年、この夏休みにママは二人に”今は良いことと悪いことを覚える年齢だよ”という話をしました。
まわりの人にも目を配り、恥を知っている人になっていてほしいです。」
…なにかよっぽど腹にすえかねてることがあったんだな。

娘はまだ字が書けないのでかわいい女の子の絵を描いてありました。

私は「君たちが自分のたてた目標にむかって努力してくれているとパパはうれしいです。
ママはもう少しやさしくなっていてほしいな。パパは自分なりに世の中の役に立つ仕事をしていたいです。」
…まあ、総合で及第点かな、と思います。
当時は体調不良と必死で戦っていた時期だし。

10年か。
ひとむかしだなあ。
2011年08月06日 19時26分07秒
告白します。私は夏に弱かったのです。
小学校の時は水泳部で「カッパ小僧」と呼ばれ、
中学校の時はテニス部で真っ黒になっていました。

当時は水も飲まないで練習ぶっとおしでやったり
平気でやっていたので
自分は「夏っ子」だと思い込んでいました。
ただ、当時は精神論がさかんだったので「気合」でやっていただけなんだろうと思います。

この夏、思い立ってクーラーなし生活をいろいろ工夫して続けてきました。
でも、さすがにまいってきました。
家族はまだ平気みたいです。

よくよく考えると、自分はクーラーなしの生活を
ここ何十年もしたことがなかったのです。

今日はクーラーをかけて部屋をひやしてから寝ようと思います。
だって体力の消耗がはんぱじゃないもの。

あと10日ほどしたら暑さもましになるでしょうか。
吉野川祭りとユーミンのコンサートを楽しみに
この暑さに耐えたいと思います。
楽しみがあるだけありがたいことだ。
2011年08月10日 22時20分25秒
失敗は成功のもと
失敗を恐れて何もしないよりは
失敗しても次の成功につなげる気持ちが大事。

できない理由(言い訳)をうだうだ並べ立てて、無理だ不可能だと考えるよりも
できる方法を模索する。

そういえば、今はつぶれてしまったが自分がかよっていた予備校のキャッチコピーは
「可能性への挑戦」だった。
もう30年近く前の話だけど、
いろいろと若かったころのことを考えています。
2011年08月13日 11時54分56秒
夏バテなのか
昨日は中学の同窓会。
お昼に水防配備がでて、悲惨な思いで奈良へ行ったけど
夕方解除になり、遅刻でしたが五條へとんぼ帰りで参加できました。
それにしても忙しい午後でした。

せっかくの再会だったのに自分の体調が最悪だったようで
たくさんの懐かしい顔に会えて楽しい話もできたのに
くたくたでした。

「なんでも背負い込んで自分を追いつめないで」
という有難い言葉をかけてくれた旧友がいました。
わたし相当顔色が悪かったようです。

実家にも久しぶりに泊まることができ
おふくろとゆっくり話ができました。

体調が悪いのは「節電がまん」が原因だったらわかりやすいのですが…

暑さのピークはもう少しの辛抱かしら。
2011年08月14日 15時10分17秒
薬をふやしてもらいました
春以来、調子が戻ってきていて
薬の量も減らす方向で順調に来ていたのですが
先月からまた逆戻り傾向があり、
今日、久しぶりに薬を増やしてもらいました。

原因に心当たりはあるのですが、なんとかしのいでいきたいので。

体重の減少傾向もなんとかならないかな。
このままだと10月になったらスーツのウエストのサイズを
全部詰めないといけなくなってしまう。
この調子だと秋のマラソンなんてとんでもない状態。
2011年08月20日 10時50分00秒
リセット
先々のことはその時になってから考えることにします。
今は今の状態を切り抜けるのを考えることでせいいっぱいです。
2011年08月24日 20時09分33秒
教訓
休養とは先を見通すことではなく、
足もとをかためることなのです。
2011年09月24日 19時46分58秒
おのっちさん
十津川へ派遣されているおのっちさんとメール交信しているうちに
ずいぶんこころの持ちようが改善されてきたと思います。

要は職分を理解したうえでベストをつくすこと。
なんでもかんでも背負い込んでいたら結局なにもできない。

自分ができることを受け持つのもお互いさまだし
自分ができないことまで受け持たないで断ることもお互いさま。
この前提に立って、自分が求められていることに対してベストをつくす。
2011年10月05日 20時49分55秒
ポジティブカード
ある先輩からお見舞いのはがきが不定期に届きます。

「仕事の道場主」と尊敬している人ですが、
今回、「人生の道場主」にもなってくださっています。

ありがたいことです。

せっかくだし、将来忘れないためにも、
また、同種の悩みを抱えることになった将来の同胞のためにも
はがきの言葉を残しておこうと思います。

9月27日分
良いことも
悪いことも
メッセージ。

9月28日分
見えない力に
素直に従うと
物事がすべて
うまくいく。

10月4日分
人生の価値は
「どれだけ人を
幸せにしたのか」。

10月7日分
あきらめなかった、
捨てなかった。
だから今がある。

「まだまだ人生先は長いんやから」
と言ってくださる職場の先輩もいます。
リハビリの励みになります。

薬は強い副作用もなくなってきて、
療養は次のステージにやっと移ってきたように思います。
2011年10月10日 10時17分25秒
やっと原点
必要なことはこの本に全部書いてあるというものを
やっと見つけました。

自分の考えでは、メンタルには
・ステージ1
「マイナスに向かうこころを止める」
・ステージ2
「マイナスからプラマイゼロへもっていく」
・ステージ3
「ゼロからストレスに耐えられるところまで引き上げる」
・ステージ4
「マイナスへ逆戻りしないように社会順応していく」
という段階があると思うのだけれど、
「ステージ3」にふれた書物がなかなか見つけられなかった。

ゼロから再スタートするから息切れしちゃうんだと思います。
結局、ストレス社会に復帰できないと治療の意味がないので
この本を大事にしながらリハビリに励みたいと思います。

食べ物の味がしない時があっても大丈夫。
甘いものを無性にドカ食いする時があっても大丈夫。
薬と休養と時間が解決してくれると信じています。
あせらず、あわてず、あきらめず。
2011年10月13日 09時03分32秒
ウコッケイ
鳥しゃんに相手をしていただきました。

ウコッケイの卵、むかご、カリン、ゆずなどいただきました。

じわっと良くなってきているように思います。
今度は失敗しないように。
あせらないように。
2011年10月20日 21時13分06秒
ゆるい低波
逆もいえてて、「もうあかん」と思うと
たいてい「必ずだめ」になります。

いっときはもう大丈夫かと思いましたが
本日は低い波にのまれていました。

症状がぶりかえしてもあせらない。
悪かった時があるからいい時がある。
状況はかわって当たり前。
2011年10月24日 19時09分17秒
季節は変わった
人生山あり谷あり。
休むときも、前向きでさえいれば道は開ける。と、思う。
2011年10月26日 19時38分20秒
パッション
パッションが大事なのはよくわかります。

今日はちょっと「パッション下げ分子」のおかげで
調子がよくないです。

どうして世の中にはひねくれ者がいるんでしょうね。

素直な人間にはこたえることの多い一日でした。
2011年11月03日 21時40分36秒
ワクワクするもの
いまはちょっと難しいもんだいです。

やっぱり疲れはてていたんだな。

じっくりいくしかないんだな。
2011年11月09日 13時55分32秒
波があります
夕方は調子が出てくるのですが、
午前中は概してよくないです。

でも、世間は午前から動き始めるので
起きるだけはきちっと起きてふとんをたたむようにしています。
これができてなかった時のことを思うとかなりの進歩です。

そして、午前中はできるだけ頭が疲れないように
散歩をしたり、図書館へ行って本を借りてきたりします。

午後は読書をすることが多いです。

夕方、頭が動くようになると
テレビのニュースを見ます。

21時には就寝します。

この毎日です。
毎日を過ごしていけることに感謝しなさいと
お医者さんに言われています。
ほんとうにそう思います。
2011年11月12日 08時46分36秒
きっかけがほしい
波の底にいると何かきっかけがないかなあと思ってしまいます。

なかなか苦しい昨今です。
2011年11月20日 09時25分14秒
すっとした
あー、久しぶりにすっとした〜
2011年11月20日 19時44分30秒
方向性
きっと寛解、完治はないのだと思う。

いままで12年間そうであったように
「病気とのつきあい方」を工夫するしかない。

それがわかってもらえない人には
そのようにつきあうしかない。
わかってもらえた人が大多数だから、
それでいい。
2011年11月24日 12時51分50秒
ぼうぼうです
復帰が決まったら
3か月伸び放題だった髪の毛を切ろうと思います。
いまはへんちくりんな格好なので帽子なしには表にでられません。
2011年11月26日 08時30分08秒
今日までそして明日から
わたしは今日まで生きてみました
時にはだれかの力をかりて
時にはだれかにしがみついて
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと

わたしは今日まで生きてみました
時にはだれかをあざ笑って
時にはだれかにおびやかされて
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと

わたしは今日まで生きてみました
時にはだれかにうらぎられて
時にはだれかと手をとりあって
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと
わたしには わたしの生き方がある
それはおそらく自分というものを
知ることから始まるものでしょう

けれど それにしたって
どこで どう変わってしまうか
そうです わからないまま生きてゆく
明日からの そんなわたしです

わたしは今日まで生きてみました
わたしは今日まで生きてみました
わたしは今日まで生きてみました
わたしは今日まで生きてみました

そして今 わたしは思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと

(吉田拓郎)
2011年11月27日 12時17分33秒
緊張
明日、半年ぶりにスーツを着ることになりました。
緊張します。

変化は「ゆっくりと」
急ぐところんでしまいます。
2011年11月28日 18時38分54秒
脳に効く生き方の知恵
@早寝早起き

Aじっとしていないで体を動かす

B一つのことばかり突き詰めて考えない

C家族にも他人にも挨拶をし、なごやかに付き合う

D子供やお年寄り、弱い人をいたわって手助けする

E何事にもほどほどを心がける

Fよい子は外で遊ぶ

G食べ物はよくかんで、バランスよく食べる


2011年12月01日 19時45分22秒
波はありますがOK
体調に波はありますが、
お医者さんからOKサインをいただきました。

期待半分、不安半分。
でも、いまの生活から変われることはとても幸せなこと。
ゆっくり、じっくり。
あせらず、あわてず。
次のハードルをクリアすること。
2011年12月07日 20時51分52秒
やっと年がかわる
あと2週間で年が明けます。
今年はなにかにつけて不調でした。

精神の安定も欠いたし、
体重がずっと減少傾向にあったり、
環境にもうまくなじめませんでした。

反省すべき点がたくさん。
それでも生きています。
ばつが悪くても、恥ずかしくても生きていきます。
いいこともあるだろうから。
2011年12月17日 11時09分36秒
今年のできごと
・「荷降ろし症候群」が多発。天敵は去らず。

・「大うつ」の再発(双極性であることを知る)。

・東北大震災でアップアップ。

・しまなみ海道、あと5キロで撤収。

・夏場、息切れとともにへたる。

・へたったところに台風災害。毎日家の上を行き来するヘリに打ちのめされる。

・「大うつ」が定着。つらい夏〜秋〜冬をすごす。

・おのっちさんを見て元気づけられる。友人は大きな支え。

・鳥しゃんと毎日メールで交信している。心配してくれる先輩のありがたさ。

・やっとのことで日常をもどす。家の中はいろんな意味で火の車。

・「できることをあたりまえのようにする」ことの大事さを改めて知る。

・定期券を買えることのありがたさを知る。

・「状況」を楽しむ。楽しんでうまくいったらなお楽しい。
 これが年末に紺グレが示してくれた教訓。
2011年12月29日 08時35分20秒
2011年のよかったこと
・長女が高校進学したこと

・母親が元気でいてくれること

・家族、友人のありがたさを痛感したこと

さて、もうすぐ年が暮れます。

よくなかったこと、反省すべきはしっかり振り返って
2012年がおもろい1年になるよう
気分を入れかえてスタートします。
2011年12月31日 13時05分19秒



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