京都シティハーフマラソン2004

「ピリカラ隊京都遠征前泊班は11時37分橿原神宮前発京都行き急行にご乗車ねがいますー。」
…で、尾上隊員と待ち合わせて出発しました、京都シティハーフの前日受け付け&開会式イベント。

竹田で地下鉄に乗り換え、烏丸御池でさらに東西線に乗り換え東山で下車。
しかしそれにしてもええ天気だなも。
つきぬけるような青空に春の陽気。
受付会場のみやこめっせに向かう。
桜咲くのももうすぐだな。
お、平安神宮の大鳥居や。あいかわらずでかい。

  朱(あか)い巨塔-第7部-

ポチ隊長はいままで6回チャレンジして制限関門に食べられずにゴールできたのは最近の2回だけ。
関門に食べられるときは必ず9.9kmの第3関門・下鴨本通り北山でぱくっと食べられちゃってます。
以前の抽選方式ではずれたりしてた時の頃から考えると本当に遠く長い道のりです。
そう考えてこの大会の象徴である鳥居さんをみあげると、果てしなく高く感じます。
”あの頃と、第3関門の遠さは、変わったのだろうか。”
チャララララ〜(白い巨塔ふうに)
さて、ポチ隊長は不惑の年を迎えて最初の挑戦、
明日の本番で、ゴールでもあるこの朱(あか)い巨塔にたどりつくことができるんでしょうか…

と、長い前ふりをしたあと、さくっと明朝やってくる当日班のエントリーもすませて
恒例となった天そばサービスをいただきます。

「いやー、しかし今回はやけに受付がスムーズでしたなー。」と尾上隊員(別名むねくん)。
「せやなー、しかしここのそば、だんだんそば粉減ってきて細いうどんみたいになってきたなー。」
とポチ隊長(別名サビキ次郎)。
たしかに受付の出足が異常に悪かったのですが理由はじきにわかりました。
つまり今大会唯一の海外招待選手、シドニー五輪の男子覇者アベラが背中が痛いとかで欠場だったんですな。
去年のように男子マラソン世界記録保持者のハヌーチや弘山晴美さん、君原健二さん、さらには増田明美さんなど
たくさんの有名人がきてたときは開会イベントもにぎやかだったんですが、
ミーハー草ランナー・ポチクンにとっては今回数少ない注目選手だったアベラが欠場ではなー、と思いました。

ま、しかし恒例でありますんで開会式は見ておこうと、
体力測定コーナーやらランニンググッズなどを見たりしながら
開会式までには前方の席を確保いたしました。
セレモニーは京都市消防音楽隊の演奏からはじまります。
最近こういうのが好きなんだよねー、隊長は。
心がわくわくしてきます。

  すごいなー、気分がもりあがるなー!

そして、招待選手紹介。
大学生が多いですが、
やはりこういうところに出てくる選手たちをみてると
気持ちが高揚してきます。
地元京産大の選手が意気込みを熱く語ります。
「おーおー、明日がんばれやー、自分はおまんらの1時間あとにゴールできるようがんばるき!」
(わたし最近、新選組に入れ込んでます)

ランニングクリニックでお越しの谷川真理さんも紹介されます。
隊長にとっては2002年の富里スイカロードレース以来です。
元気で、こまかわいくて、人柄がすごく良くてお気に入りです。

  選手紹介。お目当ての谷川さんは中央だ!

開会式にひきつづき、ナイキ・ランニングクリニックということで
1時間のトークショーがありました。
お話もメリハリがあり、チャキチャキの江戸っ子ふうでハギレ良く、
草ランナーにとってはたいへん収穫の多いお話会でした。
って、彼女は実は福岡市出身でしたな。

  運良くサイン&写真ゲット!!素敵なひとだ!

勉強メモ
1 呼吸法、というより息を吐くことに意識をおくこと。
2 靴ひもの結び方。
3 最後の5kmの意識の持ち方
4 片足あげるストレッチ
とりあえず彼女の著作「完走BOOK」買いました。

アトラクションのじゃんけんゲームでスポーツドリンクゲットしたりして
いい時間まで遊んじゃったので次はカーボローディング晩ご飯ということで
毎年恒例で尾上隊員に紹介している”京都のおいしいラーメン店めぐり”
今回は、丸太町智恵光院のめん馬鹿一代の爆発ねぎらーめん(ボーッ)に行きました。
わたしはほぼ10年ぶりくらいか。
タクシーの中で運転手さんから「あぶらっこいでー」と話をきかされて
尾上隊員は引き気味で「やめとこかなー」
などとゆうたはりましたが、
結局チャレンジすることに。

「はいはい、ちゃんと紙エプロンしてー」
「コップはカウンターの下に入れてくださいよー。コップが汚れますからー
「はい、手を後ろ手に組んでのけぞってー、わめいたり大声だしたりしないでねー」
「それと絶対立ち上がらないでよー、イスが汚れるからー
大将のポンポンと調子のいい説明というか事前注意に
「うおー、どうなるんじゃー」みたいな感じで尾上隊員は目をシロクロさせています。

ほどなく”じゅううううううー”と煙を噴き上げ、はては炎まであげて
爆発ねぎらーめんが完成しました。
見た目によらず香ばしい味で奈良のサイ○や天○スタミナラーメンよりはずっとあっさりしてます。
おいしくラーメンをいただき、
その後は翌朝のバナナやらゼリーやらコンビニで仕入れて
ピリカラ隊の前泊班の夜はサックリとふけていくのでした。

朝7時に会場入り。
「さあ今日は気合いはいっとるでー。」
8時までに当日会場入りのしーちゃん(別名・てつごろう)、辻井さん(別名・ピリカラ99号)
と落ち合い、ナンバーカードを渡す。

で、スタート前30分、隊列のほぼ最後尾に並びに行く。(申告時間による番号順なので…)
ここからはスタートの鳥居さんすら見えない。ま、いつものことです。
例年スタートロスも2分くらい。
「しゃーないわなあ。おそいねんし。いちびって前の方へいって踏み倒されてもかなわんし…。」
「しかし、このロスのせいで制限関門に食べられるのもいややなあ。」
などと毎度おきまりの緊張感を感じます。
周りで並んでる人たちも似たようなことゆうたはります。
同志たちよ、おきばりやす!

9時号砲!
鳥居さんまではゆっくりあるきます。
「ありゃ、もうスターターがいてへんわ。去年は山口監督(元伏見工監督)と目があってうれしかったのに…。」
はちゃー、時計を見るともう3分たってます。
こりゃ困ったことになったな。

スタートラインを超えてから川端通りまでは芋洗い状態。
こんな後ろのほうでもいちびった人たちが気の小さいわたしにボディーブローかましながらガツガツいきます。
「もー、やめてよねー!」って感じ。いったいわしがなにしたってゆうの…。
その後も御池通り、烏丸通りを経て同志社の角、今出川通りまで芋洗い状態は続きます。
わたしの属する部団は"2時間ぎりぎり〜関門で食べられてしまう集団"なので
実力も似たり寄ったり
しかし、毎回思うのだがトラブルでもないのに急に減速したり蛇行したりする人はいただけない。
しんどくてペース落とすんだったらじわーと端に寄るのが草ランナーのマナーでっせ。
突然進路変更したりする人のとばっちりで消耗が激しい。
できるだけ隊列を乱さんようにしながら沿道応援者とのふれあいを楽しみたいもんです。

過去の判例によると、5km関門(第1関門)は29分台でいかないと第3関門ピンチです。
丸太町からなんとか気張って第1関門をクリア
烏丸今出川交差点、何もかもが懐かしい。
20年前、スクーターで走り倒したあたりをいま、ランで進む。
徹マン明けでフラフラでよく走ったなー。
学生時代の3つ目の下宿が室町上立売下がったところのワンルームマンション。
さて河原町今出川を過ぎると加茂街道にはいる。ずーっとゆるやかな登りだ。
入口の道しるべ、今は無粋な看板で囲まれちゃってるが
その下に隠れちゃってる実物は女房の曾祖父の筆によるものだ。

そろそろ息が苦しい。
おまじないで左手に握りしめているアミノバイタルゼリーをちびちびなめる。
給水はとらない。
なんとかしてスタートロスを埋めないといけない。
ここから北大路橋までが長い。なんしか長い。
で、やっとこさ北大路橋手前(7.6km第2関門)。
ここは女房の実家に近く、いつも女房のお母さんが応援にきてくださる。
ここがいちばんへたってしまうところなのですごくうれしい
橋の下にくだる手前でたっててくれている。
いつものことながらうれしい。
すこしはやめに通過したので、
「今年はすこし余裕ありますー。」って手を振ったら
「最後まで頑張ってくださいー。」とお義母上。「はいー(^_^)v」
元気をだしていつも子供と正月に凧揚げをする賀茂川河川敷を眺めながら走る。走る、走る。
北山大橋を渡る。
いつのまにか貯金ができちゃってて目標の第3関門を55分台で通過できそうだ。
なにがうれしいって第3関門で捕まるときはもうこの辺から走路員さんが
「もうなんぼ頑張っても必ず次の関門で捕まりますから、歩道にあがってくださ〜い。
っていうもんねー。
そういうわけで、北山通りに入ってすぐの中学生のブラバンにも余裕で目がいく。
沿道の人の「がんばれー!」にも「ありがとおーー!」と手を振る。
最高だー。

第3関門(9.9km)通過。
ほどなく10km地点。55分29秒。
ほー、優秀、優秀!
第2給水所が近づくが、自分は相変わらずアミノバイタルをちびちびいきながら通過。
単調なゆーるい登りを進む。
この辺は学生時代はすごく細かった道だわ。
(最初の下宿は修学院)
松ヶ崎橋を渡るあたりから沿道の声がヘン。
「がんばれー!」やったのが、なぜか
「あのひとあかんで、顔まっ青やったもん」の連鎖になる。
どうもアブナイ状態で走ってる人の少しあとを自分が走ってるみたいだ。
結局最後まで追い抜く人の顔見ながら走ってたわけじゃないのでよくわからんが
去年も死亡事故が起こってるだけに、各自、自分の体調には慎重になったうえで楽しみながら走りたいところ。
がんばりたい気持ち、わからんでもないけど、な。
国際会議場で折り返してきた人とすれ違いながら第4関門(13.8km)をめざす。
なんかもう、いっぱいいっぱいの状態
でも、関門閉鎖の声もきかへんし、案外いけてるんかなー、と思う。
自分は第3関門だけしか時間の意識がないのでどのくらいではしってるのかよくわからない。

第4関門、国際会議場折り返し。
時間忘れたが、やはりけっこう余裕持って通過できたみたい。
ブラバンの中学生にもこっちから大声で「ありがとー!」
折り返したので、今度はこちらに向かってくる人たちとすれ違う。
対抗する人が自分よりへたっているのがよくわかる。
このへんからだ、脳みそのなかで何かけったいな物質がどばどば分泌されてるのを実感する。
足、というかふとももだな、が痛くていっぱいいっぱいなんだが意識は最高というか至福の状態。
またやってきました”ランナーズ・ハイ”
結局、この状態が最後まで続いた。ラッキー。
で、この状態で最高の難関・叡山電車の跨線橋を登る。
これがすんだらあとは北白川別当町など少々の登りがあるが
ほとんどゆるやかな下りだ。
これがこのコースのいいとこだよねー。
現に最高に混雑するものの私はこの大会以外では2時間を切ったことがない

いままでの2回の完走劇と違って今回は気持ちにもえらく余裕がある。
修学院道。
大学1年のとき住んだところで、家庭教師にかよった魚屋さんの前を通過。
今日はお休みにしているみたいだ。
大将はいるかな?
私学落ちちゃってあわてたけどそのあと特訓がんばって北稜高みごと合格したさっちゃん、元気にしてるかな?
って自分が40才だから彼女も36か、
”さんじゅうろくー!!”想像つかんわ!

白川通りをひたすら南下する。
自分は原チャリで、連れの大(ダイ)ちゃんはチャリンコで
大ちゃんに肩を貸しながらよくゲームセンターに通った道だわ。
一乗寺、なか卯がまだある。うれしい。
第5関門、サックリ通過。
天一(てんいち)の本店過ぎる。
北白川バッティングセンター、なんか名前変わってそうだがまだある。
1ゲーム50円で、食費を削ってまでして朝までよくやったもんだわ。ギャラガ
しかし、はやい、はやい。
あっというまに景色が過ぎていく。
銀閣寺道、当時まんがの”めぞん一刻”にあこがれて住んだ2つ目の下宿があったところだ。
まだあるのかな、平和荘。

天王町、このあたりで20kmだ。
例によってぐっと熱いモノがこみあげてくる。
国内では京都ハーフでしか感じたことがない、
しかも完走した京都ハーフではかならず感じる胸の締めつけられるような思い。
あ、決して心臓の疾患ではありません。
”感動”というやつです。
ウルウルしながら最後、なんとか1時間57分を切って、笑顔でゴール!

第3関門は練習しただけ近くなっていました(^_^)v

  ゴール直後、興奮気味のポチクン

きょう、同じ場所で、同じ時間に、それぞれの目的に向かって同じ空間を共有できたみなさん、
おつかれさま、そしてどうもありがとう。楽しかったです。

  会場3階にて
尾上隊員(むねくん)、辻井さん(ピリカラ99号)
しーちゃん(てつごろう)、ポチクン(サビキ次郎)

あとはここ2年お決まりになってる聖護院御殿荘でのおふろ+昼食で打ち上げましたです。
「ピリカラ隊の皆の衆、全員完走おめでとう!」
っていちばん完走危なかったわたしが言ったりして…。

この日は五輪最終選考レース、名古屋女子国際マラソンがあり、
土佐礼子さんが驚異的な粘りで感動の優勝を果たし、切符をみずからの手でつかんだ日でもありました。

  疎水で。もうじき桜も咲くなー。




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