NAHAジョガーズフェスティバル2004

今回は辻隊員と2人という小編隊でいってまいりました。沖縄遠征。
週間天気予報によると週末の沖縄地方は
12月にもかかわらず台風がきそうだというけったいな予報がでておりました。

<第1日(木曜)>
那覇空港に着きました。
自分にとってははじめての沖縄。
こころが洗われるようなエメラルドグリーンの海。
からっと晴れわたった空。

が、しかし空港でいきなり
「バリバリバリバリーーー」
と空が破れたかと思うような音に度肝を抜かれました。
自衛隊か米軍かどっちなのかよくわかりませんが、
その方面の飛行機(戦闘機?)が編隊を組んでものすごいスピードで飛び去っていきます。
「あー、これが(も)沖縄なんだ。」といきなり違和感を感じました。

で、まずは「ゆいレール」で首里をめざします。
お昼時でもありましたのでさっそく沖縄そばで腹ごしらえ。





  首里駅そばの「首里そば」。
  あ、ギャグすべりましたか?
  あちゃー。
  でもめちゃうまかったでー。おすすめー。

  「首里そば」の店頭のシーサー。

お腹も満たされたので、首里城へ。
まず、今やぜんぜん市井では見かけない2千円札で有名な守礼門。
いやあ、たいしたもんだ。すばらしい。美しい。
昭和初期に国宝に指定されましたが、
先の大戦で焼失してしまったものを復元したものだそうです。
そして「守礼之邦」という文字がかかげられていますな。

  守礼門

しかし、中国の属国扱いをうけつつ、さらに薩摩の支配にも甘んじていた琉球国が
御殿への最初の入り口で、「わしとこは礼儀を重んじる国だす。」と
主張しているのを見て、当時の清国や薩摩のお役人はどう感じたでしょうか。
ここにも沖縄の悲しい運命を感じます。
沖縄の人は昔も今も「いくさ」を好んでもいないし望んでもいないのだということがよくわかります。

いくつか門をくぐっていくと
正殿にでます。
これがまた守礼門が吹っ飛んでいってしまうぐらい見事!
感激いたしました。
内部もすごかったですが、ここは撮影禁止でしたので
みなしゃんはぜひご自分の目でお確かめください。

  正殿。龍や獅子がすばらしい。

次に牧志公設市場へ。
ここはよかったよねー。
なんつうか、なんでもごっちゃまぜにした雰囲気のなかで
威勢のいいおばちゃんが豚の顔やらうみへびやらどぎつい色の魚などを売っています。
むちゃくちゃノリがいいもんだからつい乗せられて買ってしまいそうになりますが、
ここでの食事は翌日と決めておりましたのでささーっと流して雰囲気を楽しみました(^_^)

晩ご飯は金城さん(那覇出身で女房と私の大学の時の共通のお友達で、今は名前も変わって滋賀県に住んでる。)
おすすめの「ゆうなんぎい」。
ここのおねえちゃんがまた適度に(適当に?)私らの会話についてきてくれるんだわ。
で、「この店にある沖縄らしいもん、全部順番にいってみよう!」コースを自主的に決めてしまいました。
でてきたのは、らふてぃ、ふーちゃんぷる、海ぶどう、もずく、
ブダイの刺身、へちまの炒めたのん、ぐるくんの唐揚げ、
ごーやちゃんぷる、いかじゅうしい…
食べ物はむちゃくちゃおいしかったです。
で、問題だったのはわたしが普段飲まない「お酒」。
ぐでんぐでんに酔っぱらった上に1杯1000円也の「ハブ酒」をぐいーと飲んでしまいました。


ぐるくん、らふてぃ、海ぶどう…そしていちばん右が問題のハブ酒(37度)

  ごちそうさま〜。うーまかったどぅ〜。

<第2日(金曜)>
本日は辻隊員と別行動の日です。
私は、琉球バスの定期観光バスで南部戦跡めぐりの予定。

朝ご飯の時は平気だったのですが、
乗り場へ向かう途中、お腹が「うっ」となりだしました。
数年ぶりの腹痛。そして下痢の予感。ついでに頭痛の予感も…。
前日同じものを食べた辻隊員がなんともなかったところからすると
どうも「ハブ酒」に当たった(というか自分の胃腸が適応できなかった)
としか考えられません。
バスの出発までの待ち時間に薬局でとりあえず「正露丸糖衣錠」を買って飲みました。
しかし、結局この日はバスから降りるたびに激しい下痢になってしまい、
正露丸はバスに乗ってる間をしのぐだけしか役に立ちませんでした。
そして、このあと丸2日何にもお腹に入れることができませんでした。げそげそー。
この間「食べ過ぎやろか?」「風邪やろか?」といった疑念がわいて
胃腸薬、風邪薬などいろいろ試しましたがどれも効果がでませんでした。ゲソゲソー。

さて、お腹を押さえ、前かがみになりながら南部戦跡に出発です。

最初に豊見城市の旧海軍司令部壕にいきました。
ここが大ショック。
司令官大田少将は敗色濃くなった終戦直前、
沖縄県民が軍隊の作戦(!)に献身的に協力されたことを海軍次官に伝え、
「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と打電した後
数名の幹部とともに拳銃自決し、最後には残る幕僚が手榴弾自決したそうです。
その部屋がそのまま残っています。

  壁には手榴弾の破片のあと。生々しい。

そして、司令官室には
「大君の御はたのもとに死してこそ人と生まれし甲斐ぞありけり」という歌が
書き残されています。
………やはり宗教と教育は大事。人間をどうにでも変えてしまう。
現在の平和ボケした皆さん及び次代を担うよいこ達にぜひ伝えていきたい…。

つぎはやはりひめゆりの塔。
1982年今井正監督版を18才の時に見て、
一度は訪れたいと思っていたところです。

  幸せですか、幸せですか、あなたは今〜。(byさだまさし)

そして、平和記念堂。
摩文仁の丘の平和の礎。
敵味方、軍人一般人を問わず沖縄戦で命を落としたすべての人が
東シナ海に向かって平和を祈っています。
自分も祈らずにはいられない。
はたして自分には何ができるのか…。

沖縄戦による全戦没者 200,656名
日本側 188,136名
(他都道府県出身軍人軍属…65,908名)
(沖縄県出身軍人軍属………28,228名)
(沖縄県出身戦闘参加者……56,861名)
(一般沖縄県民(推計)………37,139名)
米軍側  12,520名

  暴風雨で誰もいない平和の礎から見た平和祈念堂。

NAHAマラソンは「平和祈念公園コース」と称して
この平和祈念公園を中間点とし、ひめゆりの塔の真ん前を通る設定になっています。
沖縄が本土に復帰して30年あまりしか経っていないことを
知らないランナーのみなさんにもここを通過するときにぜひこの意味をすこしでいいから考えて欲しいと…。

昼食時に食べ物に全く手をつけていない私を心配して
一緒のバスに乗った静岡からの3名ご一行様が声をかけてくれました。
「いえ、ちょっと腹痛なもんで…。」
NAHAマラソンの下見を兼ねていることを話すと
「そんなんで大丈夫?走れるん?」と言いながらも
お別れの時にエールを送ってくれました。どうもありがとうございました。
しかし、この時点で自分はゲソゲソで、
下痢も全然回復しておらず、複雑な心境でした。

<第3日(土曜)>
牧志市場も断念して、前日夕方から安静にしており、
出るモノは全部でてしまったような感じですが、
腹痛も下痢も頭痛もまったく回復しません。

本日一日は安息日にすることにしましたが、
幸いにもホテルから対馬丸記念館が
近くにあったので、
ここだけ行くことにしました。

  対馬丸記念館入り口。

おもに学童疎開のため昭和19年(1944)年8月21日、1788名を乗せて
那覇港を出航した対馬丸は、翌22日の夜、米潜水艦ボウフィン号によって撃沈されました。
これにより、1400余名の尊い命が奪われ、
生き残った生徒さん達も何日もの間、
飢えに苦しんだり、フカの恐怖に恐れたりしながら海の上で過ごしたと聞きました。
そこで助かって那覇に戻った人は、
さらにそのあとの凄惨な地上戦を経験することとなったのです。
たくさんの子供の夢をのせた疎開船が撃沈され、
子供たち一人一人の夢とともに沈んでいく光景を思い浮かべると
何も言葉がでません。
「戦争はいろんな意味で怖い。」
このことを次世代に語り継ぐのはやはり、現世代の務め。

…ということを強く思いながら
すがる思いでまたもや薬局に行きました。
今度は店主曰く
「無茶苦茶強烈な下痢止めと漢方薬。これで効かなきゃあきらめなさい。」
なんつう薬をいただいて、
一日サックリ寝ました。
この時点で立ち上がるのもふらふらでしたので、
翌日朝でこの状態ならやむを得ず棄権する覚悟でございました。

<第4日(日曜)>
前日の頼みの薬が効いたのでしょう。
当日はなんとか起きあがれました。

朝6時に起きてみると前日の漢方薬が効いたのか
なんとか腹痛は治まっていました。
出走を決意し、支度を整えます。

体調管理に失敗したのが痛恨ですが、いまさら言ってもはじまりません。
前日まで立つことも歩くこともままならなかったことからすると
フルマラソンを走ろうっていうこと自体が不真面目です。
で、とりあえず2日間何も食べていないのでバナナ3本とアミノバイタルゼリーを4つ、
ウエストポーチに入れて、
「行けるとこまで行こう」と中間地点ねらいを目論みました。

ホテルから会場までめちゃ近かったのでゆったりと余裕をもって歩いていきました。
道中、スタート地点を通りました。
「万国津梁の鐘」と書かれています。
なんでも前回まで号砲はピストルだったそうですが、
今回から「世界への架け橋」の意味をこめて
この鐘を鳴らすのだそうです。
今年のスターターは宮里美香さん。

  万国津梁之鐘

さて、会場に着きましたが、風がむちゃむちゃ強い!
天気は前日まで(私が寝込んでいる間はほとんど雨でした)とは違って
雨の気配はなかったのですが、
なんしか風がつよい。
雲がえらい速さで流れておりました。(これは大会の間ずっとでした)

  7:35 メイン会場で使用前の辻隊員とポチ

スタートは午前9時です。
しかし、どえりゃあ人、人、人!
ホノルルと違って使う道が細いからこうなっちゃうんでしょうな。
(ホノルルが太すぎという説もあるが…)
エントリー24,000人
参加   21,000人でした。

スタートでは私の大好きなサンプラザ中野さん
「ランナー」歌って盛り上げてくれましたでー。

  9:05 まだスタート地点に到達してません。みんなまだ歩き。

スタートラインを踏むのに10分ほどかかりました。
まずまずですな。
このあと市役所、県庁の前を通って
国際通りを走ります。
…というか、ジョグします。
だってみなさん混み合っててぜんぜん走ってるって感じじゃないんだもの。

  9:15 スパイダーマンの背後を確保。

なんだかんだいいながら
前半の20kmはだらだらと上り下りを繰り返しながらおおむね上りです。
通常ですと、こういうコースでは前半おさえて後半までスタミナを蓄えるのが
私なりのセオリーなんですが、
んがっ、
なんしかすごい沿道の声援!
鐘やらタイコやら口笛やらピーピーどんちゃん鳴ってるし
なんやら脳みそがグラグラ沸いてくるのが体の中から感じられます。
「カーボローディングできてないので5kmごとにサプリメントを取ろう」
と考えてた冷静な私は速攻でどっかへ飛んで行ってしまい
小学生たちとざくざくとハイタッチを交わしてしまっておったのでした。

しかし、それにしてもNAHAマラソンはすごいですな。
折り返しのないワンウェイコースなのに
沿道の声援が本当にとぎれません。
ついでにランナーの密度が高すぎてランナーの列もとぎれませんが。
とにかく、「こんなところにふだん人はおらんやろ」と思うようなところにも
人垣ができてます。

10kmを過ぎたあたりからバナナ食べたりゼリー飲んだり
意識的に栄養補給に努めました。
しかし、1日1個ならおいしく飲めるゼリーも
3つも4つも飲むとまずいもんでしたわ。
その点やはりバナナはおいしかったですわ。
おさるのジョージが元気なわけだ(?)

あとですね、アイスキャンデーがうまかったよ。
道中どっさりいただきました。
どうもありがとうございました。

  11:00 「ざわわ」畑のあたりを走る。

なんとか中間点の平和祈念公園を通過し、
ひめゆりの塔の前に来ました。
立ち止まって平和なジョガーの祭典に参加できることに感謝しつつ
しばしお祈りを…。

と、ここいらでまだ足は参っていないのに
体がへたってきました。
スタミナ切れなんでしょうな。
足が攣っていないのに前へ進めないというのは
初めての経験です。
歩いたり、走ったりを繰り返すようになってきました。
なんだか不安な20km〜30kmでした。

30kmくらいだったでしょうか?
人なつっこいおにいちゃんが話しかけてきました。
「10月にいくら走り込まれたんですかぁ〜?」
て、こっちは返事する元気もなかったんですが、
こうしてここで私の着てる「ランナーズのオクトーバーラン企画Tシャツ」に
反応してくれるのも何かのご縁だと思い、
「はい、160kmですぅー、で、あんさんは?」
「はいー、200km走りましたけど自分はフルが苦手なんですよー」とニコニコして返してくる。
先に行ってくださいといったものの
何か話したそうだったので話をしてみると
東京から来た彼は前回も5時間程度の記録で、
今回は38kmまではおさえて行くつもりとのこと。
体調をくずしてまったく先のペースが読めないと嘆く私に
「いやあ、このペースなら完走できますよ」と
なにものにも勝るエールを送ってくれました。
おかげで1km以上併走することができました。
なによりも完走に期待がもてるようになり、自信がわいてきて
レースそのものを楽しむことができるようになりました。

  13:05 親切兄ちゃんとお別れして後ろ姿を撮る。真ん中の橙の人。

  13:10 31km地点。スタートして4時間10分。

このあたりから体が水分を受け付けなくなって
塩をなめたり、黒砂糖をかじりながら行くようになりました。
それにしても沖縄太鼓ってお腹に響いて元気がでたなあ。

  13:15 タイコのよいこたち。サンキュウサンキュウですー。

  同じく13:15 31.8km兼城交差点(制限13:30まで)を通過。

  13:20 ありがとー。元気でたでー。

  13:50 へろへろおやじに抜かれました。

  14:00 36km。太い道(小禄バイパス)に出ました。

  14:10 そら、君らもくたびれるわなぁ。

  14:30 元気な太鼓のおねえさん3名とハイタッチ。元気復活!

  14:35 ゆいレール沿線にでた。あと少し。

  14:40 40km。あと20分で2km。歩きでなきゃ楽勝なんやけど…。

  14:41 最後の下り坂。みんな歩いてるな、って自分も歩いてる。

  14:45 ボウリングのピンを追い抜く。

  14:56 奥武山陸上競技場に入る。出迎えもすごい人!

  某社のサービスフォト。足あがってないなー。アゴあがってるなー。

  14:59 ゴ〜〜〜ル!

  15:03 完走証の交付を待つ人。ちょっと段取り悪かったですか?

  15:50 やっと完走証と琉球ガラス製のメダルをゲットして。

このように、時間を追いかけてみると(割愛したものも含めて)
声援に次ぐ声援、
太鼓に次ぐ太鼓、
踊りに次ぐ踊りで疲れを感じる間もないような沿道の人垣でした。
(いや、間違いなく私はへばっており、フラフラでジョグしておりましたが。)
本当に精根尽きてしまって歩く元気も失っている人は
歩道の後ろ手に回って応援者の後ろ側を歩かねばならないほど
恐縮してしまうような勢いの応援でした。
まさに県民をあげてのジョガーの祭典。
最高。
また来たい。ぜったいきまっせ。
今度は息子がもう少し大きくなってから一緒に走りたいな。
沖縄の人たちのこころの暖かさと、
スタッフのこころづくしと、
一緒に走ったみんなの暖かさと、
そして体調管理に失敗した自分自身への反省が心に残るすばらしい大会でした。

<第5日(月曜)>
最終日は朝からこれまた近くの波の上宮というところで海をみてました。
まだ海に入っている人がいました。
びっくりしました。

  波之上宮いかにも沖縄風。

  波之上ビーチ。さすがに海がめちゃきれい。

空港でも待ち時間にいろいろとイベントをやっていて、楽しゅうございました。
時間ぎりぎりで空港に行くよりも
余裕を持っていった方がなにかと楽しいことがあるカモね〜。

  空港の待ってるとこでなんとなくそれらしい記念撮影。パシャ。

  ハイサイポチクン。

そいでもって最終的な感想ですが、
沖縄はやはり観光資源に頼らざるを得ない状態の中で
いろいろと切り盛りしているのでしょう。
そうした意味では、
戦争の爪跡に学ぶことはたいへん有意義なことではないかと思いますが、
それを理解した上で
「リゾート地沖縄」を楽しむことも大事なことなんでしょう。
今度は沖縄のリゾート部分をもっと楽しみたい、
そして家族とも訪れてみたい。
そう思うようなおいしくて、楽しくて、
悲しくて、感動するNAHA遠征でした。

そして、SPECIAL THANKS TO 辻隊員!




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