ソウル国際市民マラソン2006

<第1日(土曜日・トヨイル)>
朝、5時50分大和八木発の関空行き始発バスに乗って関空へGO!
尾上隊員、辻井さんと合流してKE(大韓航空)チェックイン。
飛行機は9時30分発でした。
他国の航空会社は学生の時、卒業旅行でヨーロッパへいって以来でございます。
しかし、客室乗務員さんは日本語さっくりしゃべってくれるし、
自分も英語もだいぶわかるようになってきてるし、飛行機の中全然違和感なかったな。

仁川空港にてJTBで手配した現地ガイドさん、パク・シンジャ(林信子)さんと落ち合う。
といっても空港とホテル間を送ってもらうだけ。
全部自力のソウル遠征でございます。
とにかく寒くて、「寒い、て何ていいますのん?」ときくと「チュッタ」というらしいです。
チュッタ!チュッタ!を連発。

ホテルはニューソウルといういわゆるシティホテル的なところ。
ソウル市庁のすぐ裏手にあり、JTBのガイドブックでは”中級ホテル”と位置づけられてます。
しかし、従業員さんのほとんどが日本語OKだし、地下鉄の各路線に近いし、バッチグーです。

さっそく荷物を預けて問題の(!)大会受付にチハチョル(地下鉄)を使って行きます。
最寄り駅は5号線ヨイナル(汝矣ナル)駅で
受付会場は駅から徒歩5分の漢江市民公園と案内に書かれてますが
ただそう書かれてるだけで、その公園の広いこと広いこと!!
河川敷一帯が公園になっていてはてしなく続いており
1万人規模マラソン大会の準備してる気配のかけらもおまへん。

そもそも12月(大会の3か月前)に「日本事務局」なるところに問い合わせて申込みをはじめたものの
「住所、名前をFAXしてください」といわれるだけ。
普通は参加料を払い込んで初めて「申込み完了」いう気になるところなんですが、
なんだか心配でした。
ま、型にはまったツアーが嫌いなもんだから、
先方のツアーを利用しないで大会エントリーだけをお願いしたもんだからおいとかれちゃってたのかも知れません。
1月になってもまったく音沙汰なし。
2月の20日すぎになってやっと銀行振込口座の連絡がありました。
連絡あってからすぐに代金は振り込んどきましたが、
ゼッケン番号にあたる受付番号なんかも知らされてないし、
受付テントへ行って名前だけゆうてほんまにゼッケンもらえるのか、これまた不安でした。
さらには、どこでゼッケン渡してるかを書いてる地図なんかももらってないし、
とりあえず、さっき書いた「ヨイナル駅から徒歩5分」だけをたよりにしてぷらぷらと受付をさがしたのでした。

マラソン大会の会場設営してる気配もないし、
とにかく「オンマー(おかあちゃん)にゆうたるぞー」ってくらいベタベタ系のカップルがどっさりデートしまくってます。
ただ、ハンガン(漢江)の向こう側遠くにソウルタワーが確認できて
とっても大らかな気分になります。それだけが唯一の救い。
しかし寒い。







  漢江遊覧船がゆら〜り。
  川向こうにソウルタワーが見えますわな。
  いきなり美しき日々気分
         

だいぶ歩きたおしてなんとか会場設営してるらしいとこにたどりつきました。
しかし設営の進捗度20%てとこでしょうか。
えらいのんびりした準備です。
「日本事務局テント」もなんとか見つけて
とりあえず参加キット(ゼッケン、チップ、参加Tシャツ)をゲット。
これでひと安心。
なんとか第1の目的であるマラソンには参加できます(^^;

  フィニッシュゲートを発見。第9回ソウルマラソン大会とかいてあります。         

第1目的をクリアして、すぐそばにある大韓生命63ビルという高層ビルにのぼります。











  地上60階、地下3階、高さ264m。
  てっぺんの展望台、
  地下1階のアイマックスシアター、
  さらに地下1、2階を使ったシーワールド(水族館)などたいへん楽しめました。
  そのうえ、シーワールドから出てきたとこにはフードコートがあって押さえもしっかりできてます。
         

  展望台からソウルタワーを眺める。

  真下にみえる大会会場。これで明日ほんとうに大会がひらけるのか??

  下流方向。国会議事堂とか見えます。

早い晩ご飯を兼ねてここのフードコートでピビンパをたべることにしました。
しかし、ピビンパってほんとはいーーっぱい種類ありますねんなー(^^ゞ
知りませんでしたわ。
10種類ほど○○ピビンパって書いたメニューありましたが英訳も和訳もついてなくて
ハングルしか書いてなくて
ハングルは読める(発音だけはできる)ものの意味がわからなくて
写真もついてないし…
みんなが食べたかった石焼きピビンパの注文するのにめちゃ苦労しました。
結局、親切なオモニ(子連れのおかあさん)「タスケマショウカ〜?」ゆうてきてくれて
難なきを得ました(^^;
しかしうまかったですでー。

  
       これですわ。めちゃ辛の激ウマ。                    晩飯にありつく辻井さんと尾上隊員

今になって調べてみると”トルソピビンパ”ゆうのが石焼きピビンパのことのようです。……次回への教訓とします。
もしくはガイドブックの写真を指し示すのも有効だったのではと思ったりもします。
でもそれなりに楽しかったのはたしか。オモニも助けてくれたし。

ホテルにもどったあと、
近辺を散歩がてら歩き回りましたが、
カーボローディングに適当なお店もみつけられず
うだうだしてるうちにすごい突風&雨に見舞われてえらいことになりました。
路上の屋台のオモニ(おばちゃん)たちも
屋根が思いっきり飛ばされていってしまい、
パニクッてました。
ずくずくに濡れて、翌日のレースにちょこっと不安を残した遠征初日でした。

  ソウル市庁のライトアップ。まだ雨降る前。

  ナンデムン(南大門)。国宝第1号なんだって。

<第2日(日曜日・イリョイル)>

大会は朝10時スタートです。
(フル、ハーフ、10km、5kmと4種目の時差スタート)
9時までには会場に来ていてくださいとの前日受付時のお話しでしたので
6時半に起床、
8時にホテルを出発し、地下鉄で移動します。

5号線の光化門からヨイナルまで6駅、30分ほどやったかしらと思います。
霧が濃くてめちゃめちゃチュッタ(寒い)です。
装備は長袖Tシャツに長タイツ、さらに半袖Tシャツを中に着込んでます。
あと、去年の福知山マラソンでもらった小さなウエストポーチですな。
こいつはデジカメ入れとくのに最適。

会場は、前日とはうってかわって
仮設トイレ、テント、企業出店、舞台までちゃんとできあがってました。
テントのほうは前日の強風で飛ばされちゃったのもあって
まだちゃんとつながってないのもありましたが、雰囲気が全体的に盛り上がっています。

  メインステージ

現地での放送によると
参加総数10000人、
うちUSA1000人、
日本人200人、
カナダ人等国連軍関係者ちょびっと、
残りは韓国人だそうです。
日本人、もっと多いと思ってたんですが…。

日本事務局テントに荷物を預けて
舞台前をぷらぷらしてますと
兵隊さんによる演奏のあと、
意味不明のダンスやらいわゆる準備体操やらえらい盛り上がってきました。

  米軍のみなさんによる演奏アリ。

  意味不明のダンス。

  エアロビクス系の準備体操。

  会場風景。めちゃさぶい。

  出発前。

  私のスタート地点。やはりスタートラインは見えません。

  振り返ると漢江にかかる元暁大橋が見えますな。

ほどなくスタートです。

最後尾グループからのっそりのっそり出発したつもり。
でも、コース全体が平坦なもんだからペースがあがってしまいますねんな。

切れ目なくいてくれる沿道のみなさんにも思いっきり気合いいれられます。
ひらがな書かれているウェアきてないので
日本人とわからず、ネイティブな方と一緒にされているのでしょう。
韓国語でバンバン声かけてくれます。
せっかくちょびっとハングル勉強してきたのにまったくわかりません。

わかったのはガッツポーズつくりながらの
「ファイティン!!」ぐらいです。
でも、まあ、あとは雰囲気でわかりました。
ガッツポーズつくりながらにこっとすると満足してくれます。
カネやタイコの鳴り物もバンバン鳴ってにぎやかです。
最初からぜんぜん息抜けませんでした。
だって、声援が切れませんもん。。。

10km過ぎくらいだったか、
私と同じ去年の”福知山マラソンポーチ”をしてる女性を発見しました。
やっと日本語が話せます。
その女性もきっとホームシックにかかっていたのでしょう。
えらいなつかしそうに話してくれます。

「がんばってはりますね。おたく、どのくらいで走らはりますのん?福知山ポーチおそろいですねー」
「はい、福知山行きました。時間は5時間切るのがやっとです。今日はちょっとペース速すぎました。」
「がんばりましょねー」
「へい、がんばりましょねー」

と、しばらく併走しますが、
まだまだ「かかって」いる私は、
結局その女性をふりきって
「おさきにー、あとで追い抜いてくださいねー」と、ざくざくいってしまったのでした。
(結局30キロくらいでやはり追い抜かれましたです。)

ハーフ地点で2時間くらい。
はっきりいってペース速すぎです。
ハーフマラソン大会をやっと2時間で走る自分です。
こんなペースであと21キロもつとはとうてい考えられません。

  中間点。USAの方は星条旗を持って走る?

これまでエイド毎にゲータレード(スポーツドリンク)を
補給するだけでしたが、
ハーフのエイドはすごい盛りだくさんでした。
もちろんキムチもあったです。
自分がたべたのは「キムパブ」(おにぎりをノリで巻いたもの)

  キムパブ補給中のとっつあん。箸つこて食べるなよ。

バナナ、
ソルロンタン?(これは全部よう飲まんと捨てました)
アンパン
チョコパイ(韓国名物ねっとりしたやつ)
イチゴを手渡しでくれたのはうれしかったです。

  この人、この人。やはり日の丸みると吸い寄せられる。

最後に水をのんで出発しようとしたらこれがなんと「塩水」です。
うえー。
はき出してゲータレードで口をすすぎます。

例によって25キロ過ぎから足がつってちょびちょび歩くはめになりました。
ずーーっと同じ景色の続く漢江ですが、
応援も切れないし、気持ちだけは快適です。

  ずーーとこんな感じです。

でも、サイクリングコースを利用しているコース設定の関係で
ローラースケートの人や、自転車の人に突然後ろから
「ビュウ!」て追い抜かれるのが少々こわいです。
だってこっちはすでにへろへろで、
にわかには進路変更できませんから。

自転車で行き来している人の中に
大会本部の人もいて、
コースの監視をしてはります。
疲労こんぱいしてへとへとになってる自分をみつけて、
自転車の上から
「○●▼◇!!」
「○×◆▽◎■!!!」
と、声かけてきます。
きっと
「あんた、だいじょうぶかー?」
「救護車連れてきたろか?」
ぐらいの雰囲気と思われます。
そのくらい自分はへたっていました。

しかし、フルマラソンは足つって歩き始めてからがおもしろいことを私はすでに知っております。
「わしに話しかけるのやめて、はよいってくれんかなー。ちびちびいきたいのにー。」と思いますが
親切なその方、きっと私が(韓国人で)話すことすらできんようになってしもてると思ってるようです。
さらに
「○●▼◇?」
「○×◆▽◎■?」
機関銃のように声かけてくれます。

フラフラの頭のなかでやっと韓国語を思いつきました。
そして、
「チョー、イルボンサラム!ケンチャナヨー(ワシは日本人で、あんさんの言葉わからんが大丈夫でっせ)」
と大声で言いました。

なんとか通じたようです
「アー、アー、イルボンサラム!イルボンサラム!」
というと、ぴゅー、と自転車を走らせて行ってしまわはりました。

その次くらいのエイドだったかと思いますが
フルーツをたくさんおいてて
なぜか日本語で
「モモありますよー!」
と声かけてくれた人が忘れられません。
すごくうれしかっただよ。
モモとパインを食べまくりました。

  タイコチームのオンマー(おかあちゃんたち)。のりのりです

その後、しばらく走っては
足つりそうになって歩き出し、
そして思い出したように屈伸しては走りだし…、
という動作を繰り返しながら
同じ状態になっているランナーと抜きつ抜かれつを繰り返します。

このへんのかけひきもおもしろいんです。
あまり離されすぎると追いつけなくなっちゃうし
そのこと考えながら
前を行く人が歩いてるスキ
忍び寄っていって
追い抜いてからしばらくたって歩きます。
で、こっちが歩いてると
同じようにされてまたぴゅーと追い抜かれちゃうんですな。
この発想、韓国人に限らず日本人に限らずあるようでなかなかおもしろいです。
そういう点では青い目のみなさんは粘りがなかったな。

さて、あと5キロをきって
ようやくゴールの目印である大韓生命ビルが見えてきました。

  一個だけ色の違う、一番高いビルが大韓生命ビル。

  このとっつあんは腰をかばっており最後まで接戦でした。

  ゴール間近、晴れわたっていて橋がきれいにみえることに気づく。

全然話変わりますが、漢江では、投げ釣りを楽しんでる人がけっこういてはりました。
「何釣れるのかなー?」
と、思いながら通り過ぎてましたが
あとで、タクシーの運転手さんとの世間話で聞いたところによると
コイやフナだそうです。

さて、フィニッシュ地点が近づいてきました。
あと100メートルくらいのところで
私のナンバーカードを読み上げてる声が聞こえます。
「???」
「さてはフォトサービスか何かかしらん?」
「そういえば、ナンバーカード見えるようにしてゴールしてくださいていわれてたなー」
とか考えながら
最後の力をふりしぼってゴールにとびこみ(?)ます。

と、ゴール直前にアナウンスで
「オオタさ〜ん、おかえりなすゎーい!」と大会本部のアナウンスが聞こえました。
なんと誇らしいゴールでしょ(^^)v
さらにはゴールテープを張って待ってくれています。
「おーー、やったー!」と大満足でゴール。
そのうえ、おねえちゃんが完走メダルかけてくれます。
「きゃー、うれしー」とゆうてる間もなく
こんどはタオルかけてくれます。

なんちゅう歓待でしょう。
これはたまりません。
いままで完走した中で最高のゴールの瞬間でした。

構想以来2年、わざわざ寒い季節をおして遠征してきた値打ちのある
ソウル国際市民マラソンでございました。

  やったでー!。

今回の私は辻井さん、尾上隊員のゴール後1時間で無事帰還できたので
2人とも待っててくれてました。
2000年に初めてホノルル遠征したときは、
なんぼ待っても私が帰ってこないので先にホテルに帰られちゃってて
私が7時間30分でゴールしたときには
彼らはすでにひとっ風呂浴びてワイキキの街に繰り出してたというから私もたいした進歩だ。

さて、話を元にもどします。
行きと同じく地下鉄5号線を使って6駅乗ってカンガムン(光化門)まで帰ってきました。

  ホテルに帰るまでにあったモニュメント(?)。説明あんまりちゃんと読まんかった。

  亀のような龍のようなへんな動物がどっさりおります。

ホテルで汗を流して
少々ほっこりしました。

さて、マラソンの打上げとなる晩ご飯はナンデムンシジャン(南大門市場)にある
焼肉屋さんのナムウチョン(南牛村)を予定しております。
インターネットで見つけたお店で、
それがJTBのガイドブックにも載ってたから間違いないやろう
という安易な動機。

ところが、最寄り駅の4号線フェヒョン(会賢)駅から地上に上がったとたんにいきなりカルチャーショックでした。
ドラマ天国の階段でチェ・ジウが服売ってたようなお店のかたまりに
夜だもんだから屋台のテントがずずずーーんと張り出してます。
そいでもって強烈な呼び込み。
いちばん印象に残ってるのが
「シャチョー!カンッペキなニセモノのカバンのお店よー!」
と呼び込むけったいなヒョン(にいちゃん)。

反射的に逃げ出しますが、
革製品に興味あったらその店入ってたかもしれません。
そいでもって市場内をぐるぐるまわりますが
なかなかお目当てのお店は見つかりません。

かれこれ1時間ほど歩き回って
フルマラソンの疲れもあってヘタりかかってたころ
尾上隊員がなんとかお店を見つけ出しました。
「ようやった!ようやった!」
しかし、このあたり、
屋台はともかくとして、食事のできる「建物にはいってるお店」
ほとんどありません。
そういうわけで、よいこは今度からナンデムン(南大門)では屋台で食べましょう。
なんだか楽しそうだし。

さて、お店に入って、インターネットから打ち出したオモニの写真(要は本人たちですな)をみせると
オモニ連中にバカウケでした。
3階にとおされて、わがピリカラ隊についたオモニはメイドイン・チャイナの顔のまるっこいオモニ。
てきぱきとおすすめの焼肉をざくざく切りわけたりしてくれます。

タイミング良く(悪く?)テレビでWBCの1次予選最終戦、日本対韓国(東京ドーム)をやってました。
日本が着々とリードしてます。
中盤にさしかかって試合の流れは断然日本優位です。
この時、フロアは我が隊の他にもう一組ジャパン組の計2組だけでした。

オモニは韓国が劣勢でおもしろくなかったのでしょう
「テレビ切ってもいい?」のような意味と思われる言葉を発しました。
私は、親切に相手してくれるオモニに「ケンチャナヨー(かまへん、かまへん)」と言い
オモニはサクッとテレビのスイッチを切ったのでした。

ほいでもって引き続き、チャイニーズオモニとのやりとりを楽しみながら
いろんな焼肉のセットと1人前でビックラでかいユッケとハイトビール、ソジュ(焼酎)をざくざく食ってたのでした。
本場のジンロ(真露)はあっさりしていて口あたりがよく、めちゃめちゃ酔いがまわります。

ところで、気の利かないもう1組のジャパン組が
やいやい言い始めました。
「野球のテレビつけてんか」とのご主張です。
………。

テレビのスイッチつけたあと
客もろくにおらんのにオモニは階下にひっこんでしまい、姿を現さなくなりました。

まあ、熱狂的な野球ファンだったんでしょうけどねえ。
うちらとしてはオモニと一緒にもうちょっとお話楽しみたかったわー。
オモニもオモニだけどねー。

  レジのオモニと。

おなかもいっぱいになりましたので
さらに南大門市場をぶらつきます。
おみやげに屋台のオモニからヨン様靴下、ビョン様靴下を買いました。
家族にはたいへん不評でしたが
韓ドラクラブのみなさんにあげると喜んでもらえました。
ひとつ自分で履いてます、ヨン様を。

ところで野球のことですが、ホテルにもどったあと、
地元テレビで韓国があざやかな逆転勝ちをおさめたことを知り、
あぜんとしました。
何回も何回も好プレーシーンや逆転ホームランシーンを映し出し、
アナウンサーの声なんか興奮しまくりの裏返りまくりでした。
なんだかうらやましかったなー。
ノリがいいっていうのは楽しいものねー。
日本のBS放送もホテルで見られたのですが
NHKの映し方と韓国KBSの映し方があまりに両極端で印象的でした。
ホテルはソウル新聞社の近くでもあったのですが、
翌日朝から野球で日本をいわしたニュースをバンバン張り出してたことはいうまでもありません。
焼き肉屋のオモニたちが喜ぶシーンが目に浮かびますわ。
今度は勝ったるで。






  今はもう駅や空港で写真撮ってもいいっていわれた。
  パクさんに…。
  ちなみに駅名はシジャン(市庁)と書かれてます。

<第3日(月曜日・ウォリョイル)>
本日は今回の遠征の第2の目的、パンモンジャン(板門店)ツアーです。
このツアーはソウルから60kmの現地に着いてからでも突然軍隊の都合で中止になることがあり、
「中止になっても文句言いっこなしよ!」のおことわりつき付きツアーです。
大韓旅行社から出発した30人強のツアーには、USAからお二人、香港からお二人、国籍不詳お二人、残りが日本人でした。

ドレスコード(ラフな格好禁止)のほか、写真撮影可能場所や方向も限られてて
むちゃむちゃ緊張感があります。

イ・ビョンホン映画JSA(JOINT SECURITY AREA・統合警備区域)さながらの光景が目の前にひろがります。
パスポートチェックも2回ありました。

最初に「撃たれて死んでも文句いいません」という趣旨の誓約書を提出させられます。
内容はこんなんでした。

「訪問者(見学者)宣言書」
統合警備区域への訪問者(見学者)は、下記を読み、署名することが要求される。

1.板門店の統合警備区域の見物は、敵性の地域への立ち入りを伴わない。敵の行動(活動)によっては危害をうける。
  又は死亡する可能性がある。
  統合警備区域は中立地域であるが、一方(南)は、国連軍の軍人により、他方(北)は、北朝鮮の陸軍軍人によって、
  それぞれ分割警備されている。
  国連軍のゲストの皆様は、軍事境界線を越えて北朝鮮軍の管理する統合警備区域へ立ち入ることは許されていない。
  また、事変・事件を予期することはできないので国連軍、アメリカ合衆国及び大韓民国は訪問者の安全を
  保障することはできないし、敵の行う行動に対し、責任を負うことはできない。
2.訪問者は下記事項に従わなければならない。
 a国連軍軍人は、勤務時間外の服装として軍種により規定された適切な軍服を着用する。
  訪問者は、国連軍の威厳を保持するに適切な私服を着用する。
 b統合警備区域へ立ち入る前に、各訪問者(軍人を含む)は、
  国連軍の正式のゲストであることを証明する薄片のバッチを受け取ってそのゲストバッチは、
  外部から見える衣服の上部左側に付けなければならない。
  このゲストバッチは、キャンプ・キティー・ポーク(管理人・注)から出発する前に、返納されなければならない。
  (注・私らがバッチをもらったのはたしか「キャンプ・ボニファス」と書かれているところでした。
     キャンプ・ボニファス=キャンプ・キティー・ポークなのかも知れませんが、
     ボニファスとはポプラの木事件で殺された国連軍大尉の名前です。
     その人の名前にちなんで名付けられたのかも知れません。)

 c北朝鮮軍人及び中華人民共和国義勇軍と、会話することを含んで、親しくすることや、交際することは、
  固く禁じられている。
  北朝鮮軍兵士、中華人民共和国義勇軍兵士は、次により識別できる。
  @軍人……………警備兵は、褐色又は、くすんだ茶色の北朝鮮軍服で腕に赤色の腕章を装着、
             休戦軍事委員は、黄色の腕章を装着している。
  A報道関係者……緑色の腕章を装着している。
  B訪問者…………上部ポケットに緑色の布片を装着している。
 d訪問者は、北朝鮮側にとって、国連軍に対する宣伝材料となりうるような身振り、表現などを慎む。
 e訪問者は、見学の最初から最後までグループとして行動し、見学案内者のすべての指示に従うようにする。
  いかなる不平・苦情もキャンプ・キティー・ポークに帰った後に言う。
 f火器、ナイフ等いかなる武器も、統合警備区域へ持ち込んではならない。
 g共産側支配下の地域及び建物(黄褐色に塗色)には、いかなる理由があっても立ち入らない。
  統合警備区域内の国連軍の建物(青色に塗色)に立ち入るには、事前に見学案内者により許可を得なければならない。
 hいかなる時でも見学者は、部隊の進路に立ち止まったり遮ったりしてはならない。
  会議室内の施設や装備をみだりに操作しない。統合警備区域内は、写真撮影が許可されているが、
  CKP#1(キャンプ・キティ・ポーク入口)からCKP#2(統合警備区域入口)の間の途中は禁止されている。
 iもし、いかなる出来事が起きても、平静を保ち、警護の者の指示に従わなければならない。
3.以上の事項に関するいかなる質問も、見学案内に聞きたださなければならない。

DECLARATION(宣言)
私はこれを読み、理解し、そしてこの指導(指示)に従う。
私が未成年の家族を伴っている場合、この見学に際して、わたしが責任を有する未成年者を伴った場合、
私のこのサインは彼らにとって、これらの指導(指示)を承認することを意味する。

SIGNATURE(署名):ポチクン  DATE(日付):2006.3.6

  朝鮮戦争に国連軍として参加した国の国旗。

この一帯のエリアは、地雷があちこち埋まっているものの(埋まっているためか)
1953年の休戦以来50年にわたって人の手が加えられていないので
自然がそのまま残されているという皮肉なところです。
軍隊のバスからおおーーっきなワシが着地するのがみえました。
ダチョウが飛んでるかと思うくらい
ほんまに大きくて、身長(?)2m以上、翼をひろげた大きさはどのくらいでしょう?
とにかく大人の人間でもざっくり食べられてしまいそうなくらいの大きなワシが印象的でした。

問題の軍事停戦委員会会議室にやってきました。
映画そのままです。(映画のセットが実物さながらなのだ)
青い建物(国連軍管理)が3つ、黄褐色の建物(北朝鮮管理)が4つ、領土線をまたいで建っています。
青い建物の一つだけ入ることができて、この建物の中でだけ軍事境界線を越えることができます。

建物の中には南北会議を行うための長机がおかれていて、
ちょうど北と南の真ん中のところに兵隊さんが立っています。
兵隊さんは微動だにしません。

  テーブルの真ん中が軍事境界線。私らは北朝鮮側にいてます。







  建物の外側。
  コンクリートの軍事境界線を境にして
  右の土の方が北朝鮮。
  左の砂利の方が韓国。

北側の扉のところにも兵隊さんが立っていて、
この扉を越えていくと北朝鮮に行けるわけですが、
立っている兵隊さんの背後にいくと亡命したという扱いをうけるそうで、
絶対にその兵隊さんの背後に立ってはいけないと言われました。
ゴルゴ13みたいですな。

  北朝鮮領域にて。兵隊さんの向こうへいくと亡命。

  軍事境界線を警備する兵隊さん。








  自由の家展望台から北朝鮮の板門閣方向(右後方)。
  板門閣を警備している北朝鮮の兵隊さんの軍服はくすんだ茶色。
  建物に半分体を隠して警備してる国連軍の兵隊さんが見える。

  板門閣玄関をアップに。これなら北朝鮮兵みえますか。

  展望台の天井。きれいだったので。

次に第5哺所というところに行きました。
ここは高台になっていて、
北朝鮮側の「宣伝村」に立てられている北朝鮮旗(160m)が見えます。
朝方、霧が濃かったぶん、私らが訪れたお昼時にはきれいに晴れ上がっていてわりとよくみえました。
しかしほとんど何もないところだということに変わりはありません。
かの有名な帰らざる橋、ポプラの木事件でポプラの木が1本なくなっている様子などもよく見えます。

  国連軍の慰霊碑であるような主旨のことが書かれています。






  ”帰らざる橋”をはさんで
  手前側の監視小屋(淡いブルー)が韓国、
  向こう側が北朝鮮。

兵隊さん
写真一緒にとってくれますか?
とボディランゲッジして、オッケーゆうてくれたような気がしたので
「すんまへん、おおきに」
と手で会釈して兵隊さんに並びにいきます。
と、いきなり兵隊さんにおこられました。
兵隊さんは反射的に背後の北朝鮮側を振り返ります。
???
手を上げたからです。
ここでは、手を上げたり、何かを指さしたりするなど、いろんな行為が禁じられています。
北の方からこちらを観察していて、こちらの行動をいろんな宣伝活動に使われるからだといわれています。

  わたしを怒った兵隊さんと。

  左手に宣伝村の北朝鮮国旗がみえます。世界で一番高い国旗だとのこと。

バスにて帰らざる橋へ移動。
ポプラの木事件のポプラのあとを車窓から見ます。

  こいつです。この木を切ったことから2人の国連軍兵が斧で殺されました。

   同じく車窓から帰らざる橋を間近にみる。

  あ、イ・ビョンホンが足をひきずって逃げてきたところだ。

韓国史、日本史ともにあまりに軽薄な知識しか持ち合わせていない自分にとって
今回の板門店訪問はショッキングなできごとでした。
ひとことで言いあらわすことのできない悲しい重い事実が目の前に横たわっています。
それもとびきりの緊張感と共に。
当たり前ですが、バスに乗り込んできてパスポートチェックをする兵隊さんは
すごいいかつい銃を肩からさげています。

有名な歌にあるように、ここでは人間は川を自由に行き来できず
ただ、鳥だけが自由に行き来できるだけです。

ここにある事実を目にすると
過去にこの半島で起こった現実を認識せざるをえません。
自分にはその何事をも否定も肯定もできません。
ただ、目の前にかなしい現実があるのみです。
やはり、日本人にかぎらず、アジア人にかぎらず、欧米人にかぎらず、ロシア人にかぎらず
人間はこの現実から何かを学ばないといけないと思います。将来にむかって。

家族が分断された人たちはいまだに1000万人を越えるといわれています。
南北ともに、家族や友人を失った悲しみが、
相手に対する不信や憎しみとなって心のなかの38度線を形成していることが
ガイドさんの言葉からも感じてとれます。
見てない人、映画JSAをぜひみてください。
単なる南北モノではありません。

さて、板門店ツアーから帰って
ミョンドン(明洞)にてこれまた念願の
自称「ヨン様眼鏡」をつくりましたので、
ここから私のアンギョン(眼鏡)
ヨン様モードです。
(ただ単にお店の人に「ヨン様みたい」とおだてられただけなんですが。)

本日の晩ご飯も、これまたインターネットでクーポン券をゲットしておいた
明洞の海鮮「明洞オモニチプ」、訳するとおかあちゃんの家、です。

前日の焼き肉屋さんにくらべて
ここはコストパフォーマンス大という点においてめちゃおすすめです。
というか、韓国って特段焼き肉が安いわけではないそうです。
おいしいことはおいしいけど。

このミョンドンオモニチプゆう海鮮の店はお得でしたでー。
まずはなんといってもケジャン(かにキムチ)。
これ最高!
お酒がすすみまくります。
今日のお酒は昨日焼き肉屋さんでおいてなかったマッコリ(どぶろく)。
日本でよく飲むマッコリは丸いレンゲみたいなのですくって飲むんですが
こちらでは瓶にはいってます。
でもって炭酸きいてる。
これがまたおいしいですな。
なんぼでもいけます。

サンナッチ(タコが口の中でひっついてきてプチュプチュ)も独特の食感です。
これは味をというのではなくプチュプチュ感をビックリして楽しむ料理(?)です。

  手前がサンナッチ。右奥がケジャン。

  毎度おなじみチジミもうまかった。ど真ん中がマッコリ。

メインの海鮮鍋(ヘムルチョンゴル)もバッチグーでした。
オモニがセットしてくれてどっかいってる間にぐらぐらお鍋がわいてきたもんだから
尾上隊員がふたをとろうとすると、オモニが
「チャンカンマン!チャンカンマン!!」ゆうてストップかけはります。
「チャンカンマン」ゆうのは「ちょっと待ちなはれ」という意味です。
ほんでもってカニをジョキジョキ切ってくれました。

  鍋のふたをとってすぐ。燃えてるみたいですな。

  カニ、タラ、エビ、アサリ、タコなどめちゃうま。

ちょっと貝の砂抜きが足らんかったかな、てとこですがほんまうまかったですわ。
あとで「おじやするか?」てきかれましたが
さすがにこんなに砂ジャリジャリになってしもたスープではおじやはたべられません。
ムルネンミョン(水冷麺)にしましたです。
これもおいしかった。
大満足。。。

  激カラの激ウマにご満悦のピリカラ隊。

  ミョンドンはなんだか楽しいぞ。

  このメガネのどこがヨン様だ?

  マクドは”メッドナルドゥ”です。

ミョンドンにはポン引きさんがいっぱいおられて少し閉口しました。
でも、へんなおっさんがぜんぜんうろうろしてないのも繁華街としてはさびしいし、
ビミョーなとこですな。
いちばん印象に残ってるのは
「アキラメルナヨーーー!」と日本語で捨てぜりふをはきながら
風俗チラシを配ってるにいちゃん。
前日の「シャチョー!カンッペキなニセモノのカバンのお店よー!」にいちゃんより
うわてだったと思います。
しつこくつきまとってくるので最後には関西弁で撃退しましたが。

<第4日、最終日(火曜日・ファヨイル)>
朝ご飯に
ホテルの中にある「おかゆレストラン」で
韓国風おかゆをたべました。
これで韓流メニューはほぼすべてクリアできたものと思われます。







  ”あわび粥”。
  おいしかったがどこが韓国風なのかよくわからない。
  たしかにキムチはついていたが…。

本日は、飛行機の出発が午後なので、
ゆったりめに時間をとってあります。
9時にトクスグン(徳寿宮)が開くので、
9時まで近所を散歩して
そのあとトクスグン(徳寿宮)をじっくり見ることにしました。

  ウンソ(秋の童話)がタクシー乗り場におりました。

  ソウル市庁。

トクスグン(徳寿宮)は、文禄の役ですべての宮殿が焼かれてしまったため
王族の私邸を一時的な王宮として使ったところからはじまったとのことです。

  中和殿。徳寿宮の正殿。宝物819号。

  ちょっとやさしめの龍(?)が狛犬してる(?)。

  徳弘殿の天井。

  咸寧殿。高宗の寝殿。宝物820号。

  光明門にある報漏閣自撃漏(自動の水時計)。国宝229号。

  世宗大王像。

  色鮮やかに塗られています。


今回のピリカラ隊、尾上隊員、ポチ隊長、辻井さん

1時間じっくりまわっても十分でしたが、
オープン直後ののんびりした時間帯に
散策できたのはとてもラッキーでした。
私らが、いっぷくしはじめた頃には
ガイドさん付き観光客が大挙しておしよせてきて
雰囲気も何もあったもんではありませんでした。

光明門そばにあるベンチでいっぷくし
自販機で飲み物でも買おうということになりました。

コーヒー(コピ)カップ式自販機をとりあえず私、認識しましたが、
これまた英語、漢字がまったくふってなくてハングルオンリーです。
そいでもってまたもや写真がついてません。
300ウォンという表示はとりあえずわかります。
「30円ちょっとというコーヒーはぜひ飲んでみたいなー」
と思いつつ解読にかかります。
きっと、こちらでいうところの
「ミルク入り」とか「砂糖なし」とか書いてあるのでしょうが、
にわかには理解できない10個ほどあるボタンがうらめしいです。
私はコーヒーがブラックで飲めないので
もし万一「砂糖、ミルクなし」をひいてしまったら痛恨のロシアンルーレットです。
数分かけて
「ミルクコピ」と「カフェオレ」と「アメリココピ」のボタンを解読しました。
「ミルクコピ」を選択し、
昔のUCCコーヒーみたいな
コクがあって甘ったるいコーヒーを当てました。
私の大好きな味です。
ハングルがちょっと読めただけで楽しいひとときでした。

  これです。おいしかったよ。

10時30分になりました。
ホテルにパクさんが迎えに来るのが11時なので、
もすこし時間つぶしてたいなー、と思ってると
どこからかタイコやカネの音がドンドコジャカジャカきこえてきました。
「なんやろなー」と思って音のなってるほうへいくと
正門である大漢門のあたりでなにやらやっています。
しかし、突然のことでもあり、それが何だか結局はわかりませんでした。
でもなんだかにぎやかで華々しくて楽しげです。

    なんだろね?

  色鮮やかです。

  

  観光客も集まってきたよ。

    

  結局何がなんだかわからんかったがトクした気分でした。

最後の最後になんだかボーナスをもらったようで
時間ギリギリまでたのしめたソウル遠征でございました。

  パクさんと空港で。

  特に意味ありません。






  空港内にあるホテルっぽいレストランでたべたムルネンミョン(水冷麺)。
  ムルネンミョンはハサミでジョキジョキ
  糸こんにゃくみたいな麺を切るところがたのしいです。
  スイカとナシがむちゃむちゃおいしく感じられました。




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