長野マラソン2009

私のライフワークとなってしまいました、長野マラソン。
いつのまにか3年連続の挑戦です。

ふりかえってみると
1年前、30キロを過ぎてから大失速
もどしそうになりながら地べたにはいつくばって
「もう、長野には二度と来ないだろう」と思いながら
35キロ関門まで這うようにしながらたどりつき、
長いこと、待てど暮らせどやってこない収容バスを寒い思いをしながら待っていたことを
昨日のことのように思い出します。
しかし、奈良へ帰ったとたんに
「またやったるど〜!!」という気になったのも確かで、
この大会には何か不思議な神様の力が宿っているような気がします。
そんな魅力のある大会です。

今年から少しコースが変更されていて
私にとって「魔の」岩野橋がこれまでの32キロ地点から35キロ地点になっています。
しかも、これまではゴールのオリンピックスタジアムに背を向けて終盤走ることになっていたのが
35キロの折り返し以降は、オリンピックスタジアムを遠くめざしながら走るかっこうになっていて
コース的にはすごく改良されたように思います。

          

問題は、どんな気分でこのレース終盤の岩野橋を迎えるか、だ!
ではでは、例によって遠征日記から…。

前日(4月18日(土))は、またもや前年より早く、
大和八木を7時38分発の近鉄特急で名古屋入りしました。(伊勢中川乗り換え)

  大和八木駅にて。賢島行き特急。         

なんで去年より30分早く大和八木を出たかというと
「じっくり名古屋駅で駅弁を選ぶため」ですやん!

で、今回は「みそかつ・えびふりゃあ」(ほんとにこの名前でした。注文するとき恥ずかしかった。)にしました。
「なんでお店のひとは表情ひとつ変えんと聞いてくれるねん。こっちはこんなに言いにくいのに。」
などと考えたりしますが、名古屋の人にとっては「エビフライ」と発音することのほうが不自然なんでしょうか?

  去年と同じく長野行きしなの号は10時に名古屋駅を出発。         

  これです。みそかつえびふりゃあ!。         

さて、名古屋から約3時間、午後1時に長野駅に着きました。
善光寺のご開帳ムード満点です。 長野マラソン歓迎ムードと相まって雰囲気最高です。

  長野駅コンコース。         

  歓迎イベントのみなさん、どうもありがとう。         

今回も前回と同じく日本陸連主催のランニングクリニックに申し込んでいたので
善光寺ご開帳は後回しにしてさっそく選手受付会場(ビッグハット・五輪アイスホッケーA会場)へ。

すでに浅井えり子さん「長野マラソン・レース対策と攻略法」なるトークショーがはじまっていました。

  会場はたいへん盛況でした(13時20分)。         

非常にすばらしい人柄がにじみ出ている、親切でていねいなお話を聞くことができました。
今回、あたりまえのことながら教訓になったのは
「前日にできることは全部やってしまう」ということ。
浅井さんも選手時代に、チップを靴につけ忘れたことをスタート10分前に気づいて
なんとか装着は間に合ったものの、
そのレースは気が動転して全然レースにならなかったということがあったそうです。

自分も前回のおおさか城さくらお花見ラン(フル)で、
走り出してから乳首に絆創膏貼り忘れたことに気づいたんですが
やむを得ずそのまま走ったら、
ゴールする頃にはおっぱい大出血してしまい、
しばらく痛くて痛くてたまらなかったという経験があります。

この日は、晩ご飯のあとに「前日やること、当日やることリスト」を速攻で作りました。
おかげで気持ちよくスタートを迎えることができました。

<前日リスト>
@靴にチップをつけておく。
ATシャツにナンバーカードをつけておく。
Bウェアを決めておく。(暑いとき、寒いとき)
Cサプリメント確認(レース前、レース中)

<当日リスト>
@朝ご飯
A胃薬(ガスター10)
B絆創膏(乳首、足指)
Cディクトン(マメ予防)
Dボディジェル(筋肉痛予防)
E日焼け止め

あと、「8時30分スタートだったら5時には起きてください。」というのもあたりまえながら参考になりました。

  浅井えり子さん。非常に自然体でいいかんじです。         

「明日は暑くなるので、必ずすべての給水所で一口ずつでも水分補給してください。」というのも心に残りました。

  受付風景その1。         

  受付風景その2。         

  ランニングクリニック。市河麻由美さん。桜井マラソンにきてくれた人だ。         

  受付会場ビッグハット。レース当日は10キロ地点(第2収容関門)。         

受付を終えて長野駅にもどってくると
まだ歓迎イベントやってました。

  長野クリスタルバトンさん(14時30分)。         

  マラソン当日も応援ありがとうございました。         

駅のすぐそばのホテルにチェックインして善光寺へ、
ぷらぷらと歩いてお詣りすることにしました。

駅前(末広町交差点)から善光寺へとまっすぐつづく道(中央通り)を歩いていきます。
ここは、マラソン当日は6〜7キロ地点となっていて
もっとも声援が多い地点のひとつです。
マラソンコースでは、善光寺からまっすぐの下りであることと
観光客や太鼓、バトンなどの声援が異常に多いことから
どうしてもいちびって走ってしまうポイントです。
本当は、おさえていかないといけないところ。

  セントラルスクエア。長野オリンピックの表彰式会場。今は駐車場になってます。         

  この道をまっすぐ下ってくるのです。         

  大門交差点。善光寺参道との分かれ目。ここを左折して下っていきます。         

  善光寺参道を望む。さすがにすごい混雑。         

  仁王門。         

  仲見世通り。         

  山門。すでに手前まで回向柱に触れるための列がのびてます(60分待ち)。         

とりあえず、本堂までいってみました。
今年は、数え年で7年に1度(現在は丑と未の年)開催されるご開帳の年です。

善光寺本堂のご本尊は絶対秘仏であり、
決してその姿を拝むことはできませんが
ご開帳の年の4月から5月にかけて
ご本尊の身代わりとして
一つの舟形光背(ふながたこうはい)を背に、
中央に阿弥陀如来、右に観音菩薩、左に勢至菩薩が立つ
「一光三尊阿弥陀如来(前立本尊・まえだちほんぞん)」を拝むことができるというものです。

また、本堂前に立つ大きな角塔婆を回向柱(えこうばしら)といい、
この柱には本堂の内々陣に安置された前立本尊・阿弥陀如来の右手へとつながる
「善の綱」が結ばれており、この柱に触れることで
前立本尊とのご縁が結ばれる、
とされています。

  本堂と回向柱。たしかに「善の綱」が見えています。         

  こんな感じで本堂までつながっています。         

  本堂側から山門に向かってみるとこんな感じ。         

せっかくのご開帳の機会ですので、内陣参拝してきました(60分待ち)。
長野マラソンに来るようになってから毎回善光寺さんへはお詣りしていますが
さすがにこの日の混雑はハンパではありませんでした。
でも、この機会にご開帳についての知識も得られたし、
よかったと思います。

びんずるさんでは、いつもどおり頭をなでましたが
今回は特に足(膝)もなでさせてもらいました。
レース本番で御利益がありますように!!

ご開帳参拝券で、戒壇めぐりもできたのですが
前にやったことあったし、
なにより90分待ち(!)だったので
今回は割愛しました。
しかし、この混み具合でお戒壇めぐりやったら
えらいことになっていたのではないでしょうか…。

ご開帳期間で特別にできることとして
「ご印文(いんもん)頂戴」というのもあります。
ご印文とは、ご本尊の功徳のこめられた三つの御判で、
「ごはんさん」とも呼ばれ、ご本尊の分身とされており
通常は、正月の7日から15日までしかその印文を頭にお受けすることができないのですが
ご開帳期間だけは特別に授けていただけるというものです。
これも、そこそこならんでいただいてきました。

回向柱の列はまだまだ続いていましたので後回しにして
次に向かったのは「歴代回向柱」なるもの。
経蔵の裏手にある、と取材しておりましたので
さくっと行ってみました。
毎度のご開帳で「お役ご免」となった回向柱はここへ移され、
やがて少しずつ土に還っていくのだそうです。
なかなか興味深いものでした。

  歴代回向柱。数えてみると9本ありました。         

  いちばん短いのはわずかしか見えません。         

  経蔵。現在は「輪蔵」を回すことができません。         

時間制限のありそうなところを全部すませましたので
最後に回向柱の列にならびました。

来たときよりは列が多少短くなっていますが
それでもなかなかの長さです。
山門より外側に最後尾がありました。

  ここからスタート。         

  回向柱まであと少し。         

  なんか皆さんそろって同じ行動とってしまいます。両手ついて拝んでしまいますねん。         

そろそろ帰路につくことにしました。

  六地蔵さん。いちばん奥はぬれ仏。         

  大本願のしだれ桜。ここ以外の桜は終わっていました。         

今回の初ざるそばは、かどの大丸さんで。
なぜかりんごを2個もらいました。うれしかった。
また来させてもらいます。

  かどの大丸さんのざるそば。         

本通りをマラソン本番同様、駅に向かって下っていくと
「牛に引かれて善光寺詣り」モニュメントがありました。

  ばあさん、なんでそないにうれしそうやねん?         

  晩ご飯は浅井さんのお話を参考にして、ふつうに中華。         

  かねてから用意してきたサプリメントの数々。翌日はこれで乗り切るのだ。         

最近はナイターやってないから
疲れてると、それを押してまで起きてる理由ないですよねー。
お風呂に入った後は、速攻で爆睡に入ってしまいました。

さて、ぐっすりやすんで翌日の起床は5時。
気持ちのいい、やや肌寒めの朝です。

前日のメモを順調にこなして、6時にはホテルをでました。
ホテルから駅までは約5分。
レースのコースとなっている駅前本通りを歩いていきます。

  5時55分。末広町交差点(長野駅前)。3時間後にはここは歓声で包まれます。         

6時19分の臨時選手搬送列車で長野駅から北長野駅まで移動。
ここからスタート会場のアクアウイング(五輪アイスホッケーB会場)までは徒歩約20分です。

会場到着、とりあえず手洗いへ。
向こうにみえるはアクアウイング。

  7時ごろのできごとです。         

7時40分。
ミクシィのコミュニティで事前に集まる約束をしていた集合場所へ。
ここに集まった10名ほどで「エイエイオー!」の勝ちコール(雄叫び)をしました。
なんかみなさんいい人で、田舎から一人出てきたもんにとっては励まされます。
なんだか今度こそ完走できそうな気がしてきました。

  長野マラソン同盟のみなさんと。         

スタート地点ができてきていましたので
今年も気合い入れるために写真とりました。

  今年こそ!!ちなみにTシャツはしまなみ海道ウルトラ遠足のもの。         

8時になりました。
もうそろそろスタート整列。
スタート地点とはこれでしばしお別れ。

本来のスタート場所へ。
やはり今年もラーメン屋前だ。
スタート地点(ゲート)が見えますでしょうか…。

  なんだか見えるような気がする…。         

なんだかんだ言って今年も長野マラソン参加を理解してくれた家族、
気持ちよく送ってくれた職場のみなさん、
みんな健康でいるから家を空けて出てこれる幸せ。
いろんなことに感謝してのスタートは8時30分。
スタート前のこの感覚は、長野マラソンならではのものです。

今年のスタートは高橋尚子さんが見送ってくれます。
ちょっとうれしかったぞ。

それにしても、スタート前の高橋さんのお話、
ランナーを励ましたり、雰囲気を盛り上げたり、話のあちこちに人柄のすばらしさがにじみ出ていて好感もてます。
こういう話をきいていると、ヤワラちゃんといい、スプリンター朝原くんといい、
一流のアスリートは話の内容も一流です。

号砲とともにスタート!

  8時30分スタート。         

…ではなく足踏みスタート。
例によってスタート地点に到達するまで5分はかかります。
特に今年は高橋さんが見送ってくれているので
高橋さんの前でさらに渋滞が起こってるのでしょう、人の流れが不自然です。

  やっとアクアウイング前を通過。         

やはり号砲から5分ほどたって
アタシもついにスタート地点にたどり着きました。

  高橋さんの「いってらっしゃい」。「いってきます」。         

Qさまをカメラにおさめるとデジカメはしばらく封印です。

ことしの目標は20キロまではなんとかおつりを残して走り、
30キロまでは歩かず行って
残りを勢いで制限時間内(5時間)でまとめ上げてしまうというプランだったので
とりあえず5キロの善光寺前中央通りや
10キロのビッグハット、17キロのエムウェーブは写真パスして
デジカメを使わない覚悟でした。

ですので、少なくとも中間地点まではデジカメには手を触れず、
大量に用意したサプリメント軍団が活躍しはじめるまでは
ウエストポーチそのものにも手をかけないという計画です。

順調に1キロ地点を12分で通過。
と、周りがざわついています。
ふと気がつくと、高橋さんが最後の選手を見送ってから
最後尾からスタートして走ってきているようです。
「う、うれすぃ」とミーハーな気持ちを起こしますが
なんといっても彼女、めちゃめちゃ速いです。
しゅううううううぅ〜、というような猛烈なスピードで走り抜けていきます(鈍足ランナーから見た体感スピード)。
近所を走っている選手は、かろうじてハイタッチしてもらっているようです。
しかし、ほんまに「鳥だ!飛行機だ!いや、スーパーマンだ!!」の世界です。
一瞬とまどいましたが、「一生に一度のチャンス!」と思い、
100メートル全力疾走みたいな決心で彼女に追いつきハイタッチしてもらいました(^_^)

…そこでいったん力尽きました。
残念ながらデジカメはウエストポーチの奥深くしまっていたので写真とれず。残念。
それでも走っているナマ高橋さんとハイタッチできたのは一生の思い出ですやん。
なにしろオリンピックの金メダリストだもの。

その後は息も整えて順調に流し、
ご開帳ですごい人出になってる善光寺道の沿道のみなさんとのハイタッチ(5キロ〜7キロ地点)なども楽しくやり過ごしました。
太鼓の応援、うれしゅうございました。

セントラルスクエアの男声合唱団の応援もうれしかった。
手をふったら歌いながら手を振って返してくれました。

過去2回と同じく、10キロ地点は1時間強で通過。
順調です。

15キロすぎのビレッジピープル”YMCA”で元気をもらいます。
この曲、めちゃめちゃマラソンのBGMに向いてます。
毎年この場所でかかっています。
ホノルルマラソンでもハイウェイでいつもかかっていますが大好きな曲です。
この曲にあわせて手が出せているうちはまだまだ順調の証。

17キロのエムウェーブ(五輪スピードスケート会場)折り返しもそこそこ余力が残っていました。
給食のバナナがおいしく感じます。

五輪大橋の20キロ地点も2時間強で通過。
まだ踏ん張る力も残っています。
しかし、油断は禁物。
毎回30キロあたりから大失速するのが私の常ですので
調子に乗らないようにしてじわじわ走ります。

中間地点を過ぎ、まっすぐな平坦道路を折り返してくると
次の目標のホワイトリング(五輪・フィギュア、ショートトラック会場)が視界に入ります。

そろそろデジカメ登場です。
と、いいますか身体も順調に(?)へたってきてます。
パワーバー(サプリメント)も出てきはじめました。

  真っ正面にホワイトリングが見えてます。暑いです。         

  ブラスバンドの学生さん、今年もどうもありがとう(ホワイトリング前)。         

このあたりからあまり記憶ないのですが
なにげにすーっと5キロほど流したのではないかと思います。

新コースとなった更埴橋にさしかかると
橋の上で”ふるさと”を笛で吹いてくださってるグループに遭遇しました。

  涙でそうになりました。兎追いしかの山〜♪         

  3回目にして初めてみました、山本勘助の墓の看板。         

  またもや太鼓応援ありがとうございます。         

30キロまでは歩かない、という初志は貫徹できたのですが、
その反動で、30キロで心の糸が切れて
がくっときてしまいました。
(30キロも3時間強で通過。)

高速道路沿いの広い道路でへとへとのへなへなになってしまいました。

過去2回止められた関門は、(今年は進む方向が反対ですが)
桜づつみ公園というところで、
去年までは35キロ地点(関門)、
今年は32キロの救護所となっています。

やはりここが鬼門なのか、
このあたりで足が攣り、
またもや吐き気を催しはじめました。

  なんで低いアングルの写真なのかというと足攣って倒れ込んだ姿勢で撮ったからです(^^;         

35キロの岩野橋までは、
やはり足の裏が反対(内側に向かって)攣ってしまって
立っていることすらできなくなったり
例によって胃がめちゃ痛い状態で
ふらふらしながら歩くはめになりました。

去年のいびがわマラソンでは、この対策として胃薬(ガスター10)を飲んで成功したのですが
やはり長野マラソンにはききませんでした。

だいたい去年と同じような時期に同じような症状に見舞われたので
一時はまたもやあきらめかけたのですが、
一歩ずつでも前向いて歩いてたら確実にゴールには近づくわけだし
今年もそれなりに貯金があったので
「もしかしたら」「あきらめなかったら」「なんとかなるかもしれない」
心に念じながら歩きました。

  岩野橋をわたりきると、今年はオリンピックスタジアムが真ん前にみえました(あと5キロ)。         

初めて第7関門(35キロ)を通過できました。
うれしかったですが、先が読めない状態だっただけに心境は複雑でした。
この時点での「おつり」は約15分、
歩いているとすぐに使い果たしてしまう時間です。

絶望的な気分で攣った足を引きずりながら歩くこと数キロ。
非常に長い道のりでした。
もちろん時間的にも長くかかりました。
ちょっと気を取りなおしてジョグしようとすると、
ピキピキっと足が攣ってしまうので
だましだまし歩き続けるしかありません。

「やっぱりもうあかんのやろか?」
「でも、いけるとこまでファイティングポーズは続けたるど〜」

と自問自答しながら田圃の中を歩いていると、
「もうじき関門です。」との走路員の方の声。
「え?」
「どのくらい(距離と時間)ですか?」

「はっきりわかりませんが、歩いてるとひっかかります。歩かないで行ったら大丈夫です。」
「え?」
「最後の力ふりしぼってがんばってください!!」
「はい。がんばってみます!!」
との会話を交わしました。

結局、最終関門まで1キロほどあったと思うのですが、
この会話のおかげで関門通過できたというか
この走路員さんと話してなかったら私はまた関門に食べられてしまっていたのかと思うとただただ感謝の一語につきます。
プログラムからお名前を推察すると「菊原さん」という方だと思います。命の恩人です。
どうもありがとうございました。

最終関門を必死の思いでぎりぎり通過して
通過した瞬間、少しもどしてしまいました。
でも吐いたのは透明な水(?)でした。
びっくりしました。

ゴールを認めてもらう権利を確保できたので
あとはひっくりかえりそうになるくらい攣った足をだましだまし歩きました。
同志のみなさんもみんな同じ体調のようで、
ほとんどの方ががっくり肩をおとして歩いています。

しかし、40キロ地点からの直線コースは非常にぜいたくなつくりになっていて
沿道のお客さんがずーっと声をかけてくださいます。
走れる状態じゃないけど、歩くのももったいないです。
で、ほんの少し、ジョグの姿勢になると
応援してくれはる人が
「うおーー、がんばれぇ〜」
と、声かけてくださるのでまたちょっと元気でました。

  オリスタ近づいてきた。歩いてる人いっぱい。でも応援してくれるのでなかなか歩けない。

  ついに3年越しの夢かなう。マラソンゲート。         

  オリンピックスタジアムの中はこうなっていたのだー。足もとぐにゃぐにゃしてるなー。         

5時間をだいぶ超えちゃったけどなんとかゴールできました。
感無量でした。
予測してはいたものの、泣けてきました。
完走タオルが「売り切れ状態」で、
あとから送ってくれることになったのだけれど、それはそれでいい思い出です。
楽しみにして待つことにします。

  やりました!         

3年越しの長野挑戦、なんとか完走できました。
それにしても「コース」「大会運営」「応援」「参加者のマナー」どれをとっても日本一のマラソン大会です。
自分の一番のお気に入りの大会です。

仕事の都合では、なかなか参加しにくい時期なんだけど
桜、桃、菜の花、雪山の絶妙のコントラストが楽しめる絶妙の開催時期だと思います。

都合がついたら是非、また参加したいです。

これまでの3年間の記録を参考に残しておきます。

2007年 2008年 2009年
1km 11:13 10:59 12:24
2km 5:45 5:55 5:40
3km 6:22 6:10 5:41
4km 5:18 5:19 6:01
5km 5:48(34:27) 5:40(34:05) 5:54(35:40) (参考 第1関門5.0kmは45分制限)
6km 5:47 5:34 6:02
7km 5:30 5:28 5:36
8km 5:41 5:46 5:51
9km 5:42 5:39 5:49
10km 5:45(1:02:57) 5:43(1:02:18) 5:41(1:04:39) (参考 第2関門10.3kmは1時間23分制限)
11km 5:41 5:33 5:49
12km 5:39 5:34 5:51
13km 5:36 5:44 5:45
14km 5:48 5:50 6:00
15km 5:51(1:31:00) 5:55(1:30:57) 5:42(1:33:46) (参考 第3関門14.8kmは1時間55分制限)
16km 6:00 5:55 5:43
17km 5:43 5:33 5:51
18km 6:09 5:47 6:07
19km 6:11 5:47 6:31
20km 6:40(2:02:00) 6:14(2:00:16) 5:14(2:03:12) (参考 第4関門20.8kmは2時間37分制限)
21km 6:38 6:11 5:45
22km 6:06 5:55 5:46
23km 6:38 6:21 5:54
24km 6:56 6:27 6:02
25km 7:17(2:36:01) 5:55(2:31:05) 5:58(2:32:37) (参考 第5関門25.1kmは3時間08分制限)
26km 7:55 7:01 6:09
27km 8:05 6:27 6:21
28km 10:04 7:36 6:20
29km 7:42 7:24
30km (3:23:12) 7:56(3:07:53) 7:35(3:06:26) (参考 第6関門30.1kmは3時間45分制限)
31km 10:28 8:09
32km 11:13 10:08
33km 12:05 13:58
34km 14:02 13:28
35km 16:56(4:12:40) 12:24(4:04:33) (参考 第7関門34.9kmは4時間20分制限)
35.7km (4:20:00) (4:30:00)
36km 11:22
37km 12:39
38km 11:20
39km 9:09
40km 6:35(4:55:38) (参考 第8関門39.9kmは4時間55分制限)
41km 11:34
42km 10:15
42.195km 1:24(5:18:51)

  ゴール後、へたってはいますがこの中でへたっている人はみんなそれぞれ勝者。         

きつかったですが、それなりのハードルがあり
練習しないとクリアできない長野マラソンの5時間制限という競技ルールは
私は、非常によいルールだと思います。
5時間という時間は、自分自身を突き詰めるのに非常に適切な時間設定であり、
この時間をいっぱいに使って完走する人間にとっては
人生観を変えることすらできる、非常にすぐれた時間だと思います。

さて、完走タオルは諸般の事情で逃したものの
充実した気分で足を引きずりながら荷物を受け取り
着替えていると、
たまたま隣にきた年配の方が、
どうも5時間の制限時間ぎりぎりの最終ランナーとしてゴールできたようで
「高橋さんに最終ランナーとして出迎えてもらって取材を受けて…♪♪」と
興奮さめやらぬ状態で異常に多弁に話しかけてきてくれました。
「よかったですねー、自分は5時間超えてしまいましたが初完走ですねん。」と
こっちも負けじと応戦(!)します。

こうした見ず知らずの人といっときに仲良くなれる瞬間がマラソンのいいとこです。

コーラで糖分補給し、
篠ノ井駅までシャトルバスで送ってもらった後
例によって戸倉上山田温泉の定宿へ投宿。
さっくりほっこり身体を休めました。

  晩ご飯の一例。         

  翌朝。恒例の鯉のえさやり。黒鯉が飛んでくるのじゃ。         

  これも恒例。散歩で行く公園の五木ひろし・千曲川の歌碑。         

  千曲川。釣りしてる人がいた。         

  宿舎の庭のしだれ桜。今年は桜がはやかった。         

  信濃毎日新聞の朝刊にはマラソンの記録が載ってました。私は5139位。         

  朝ご飯の一例。         

  篠ノ井の駅そばのざるそば。本遠征3回目のおそば。         

  篠ノ井の駅看板。次回はいつこれるのかしら。         

  お昼は名古屋駅麺通りの札幌ラーメンほくと亭でした。         

長野マラソン、また来たいなあ。

トップページへ