萩往還マラニック2009(35キロ)

「マラニックの原点」といわれている萩往還に参加してきました。
といっても、私は萩往還ビギナーですのでもちろん最短の35キロの部(山口〜萩)です。

第1日目(大会前日)、朝6時54分橿原神宮前を出発〜!

  京都行き特急ダス

途中、西大寺で辻井さんと合流して今回の遠征メンバー確保。
京都から久しぶりに新幹線に乗ってめざせ新山口。

  のぞみにて新山口へ(最近鉄道の紹介が多いです)

山陽新幹線って、昔からトンネルが多くて苦手だったんですが(耳がつーん、とくるので)
やはり今回もトンネルが多かったです(て、そうそう簡単にへりませんわなぁ)

しかし、さすが新幹線!
2時間ほどで小郡、もとい新山口に着きました。
名古屋から長野までのしなの号が3時間かかることを思えば楽勝だら!

で、本遠征のスペシャルイベント第1弾がいきなりです。

  ジャジャーン!!SLやまぐち号!

  新山口から山口まで乗りますねん

新幹線降りてから30分ほど連絡時間があって
乗り継ぎも楽勝やなあ、とおもてたら大間違いでした。

ホームで出番を待ってるこの「貴婦人C57の1番」を見たとたん心臓バクバクになって
写真撮りまくりの運転席のぞきまくりの石炭車の回りうろつきまくりで
あっという間に出発時間になってしまいました。シュポー!

さて、ここで次回への教訓です。
SLの写真を撮るときは、
人だかりがいっぱいしている機関車のそばでなくて
お向かいのホームから撮ることをおすすめします。
そのほうが思うアングルで撮れますし
なによりぜんぜん人がいないので美しく撮れます。

しかし、実物を見ると絶対に本能的に近くに走り込んでしまいますので
きっと向かいのホームに移動することはできないと思います。
人間てそのくらい悲しい生き物です。
列車が発車してからこのことに気づいたのに、降車駅の山口駅でまた同じ失敗を繰り返してしまいました(T_T)

シュシュポー!
と列車が動きだしてからもバクバク感はおさまりません。
自分らが乗ったのは3号車で、昭和風仕立ての客車でした。

当然先頭から最後尾まで確認して走り回ります。
小学生だったら先生に怒られまくるところです。
でも、今回は同じ行動をとってる大人ばかりだったのでノープロブレムでした。
と、いいますかはっきりいって移動することが目的の列車ではありません。この列車は。

客車は5両つないでまして、前から順に
@大正風
A明治風
B昭和風
C欧風
D展望車両
の順でした。
欧風がいちばんゴージャスな感じでした。

せっかく新山口駅のプラットホームで買った駅弁「あなごめし」も封を切られる時間がありませんでした。

  昭和風客車

  山口駅で貴婦人を見送る。最後尾は展望車両。子どもがいっぱい。

さて、山口駅に着きました。

さっきの駅弁食べるか
先に受付会場の瑠璃光寺へ行くか迷いましたが
駅前のバス時刻表を見て速攻移動を選択しました。

山口て、バス便も鉄道便も非常に少ないです。
自家用車中心の町なんでしょうね。

で、さっそくコミュニティバス(1時間に1便)でもって瑠璃光寺へ移動。

ガイドブックで見慣れた国宝瑠璃光寺五重塔につきました。

  さすが大内文化のシンボル。京都や奈良の国宝と見劣りしません。美しい。

この五重塔を見ながらお昼ご飯にしました。

  おまちかね。今回の食べ物第1弾は新山口駅弁「あなごめし」

受付すませてひとしきりあたりをぶらついたあとは
山口駅まで歩きながらの観光です。
ちょっと遠征道具重かったですが、大きな荷物をかかえて歩き回りました。

  洞春寺(とうしゅんじ)。マラニックの荷物預かり場所でもあります。

  洞春寺観音堂(重要文化財)。

  旧山口県庁舎(重要文化財)。後ろはいまの山口県庁。

  藩庁門。1863年に萩から藩庁を移したところ。

あなどれなかったのが山口県立山口博物館。
150円という料金に大して期待もせずにはいったのですが
ここは大人が思う存分半日遊べるところです。

展示が非常に充実していて
理工系もの(ロボット、電気、エネルギー系)
自然もの(天文、化石、動植物系)
人文もの(長州名物郷土の歴史・このときは木戸孝允やってました、考古学も)
など展示しています。
あと、山口線の運転シミュレーションができるものもあり、
これも楽しかったです。

  展示の一例1。静電気。こんなんみたの初めて。

  展示の一例2。オオツノジカ。

  展示の一例3。山口の動物たち。アタシこういうのはいつまで見てても平気です。

山口駅までもどって今度は在来線で投宿先の湯田温泉まで移動しました。

  この子です。なつかしい感じがしました。

湯田温泉につくと駅前にめちゃめちゃおっきな白狐がいてお迎えしてくれました。

  ゆう太くんというそうです。8メートルあるそうです。

初日はビジネスホテルに泊まって安く上げて
マラニック当日はぜいたくにパーッといこうという魂胆の今回遠征です。

さくっとホテルにチェックインして
格安ながら立派な温泉につかったあとは近辺を探索です。

私こと、湯田温泉は高校の修学旅行から数えて3回目になりますが
お気に入りの温泉の一つです。

3回目といっても20年ぶりくらいになるのですが
今回もおもしろいモニュメントをたくさんみつけました。

あと、足湯もたくさんあって高温で湯量も豊富で満足しました。

  ホテルのそばで。

  中原中也の詩碑。

  となりに種田山頭火の句碑も。

  高田公園の足湯。

  同じく高田公園の井上馨像。白狐の遊具が素敵です。

  晩ご飯はホテル松政前通りの常春さんの海鮮丼。この800円は超良心的。

  観光案内所前の足湯。熱い熱い。飲泉もありマス。

ところで、宿泊地の湯田温泉から会場の瑠璃光寺までは4キロ弱ありまして
大会当日は朝の6時スタートなので
いくらマラニックにきたとはいえ
35キロも走る日の早朝にそんだけ歩いて会場までいくのはつらいので
タクシーを予約することにしました。

ところが、当日は同じ時間帯にスタートする70キロの部が300名、
私の出る35キロの部も同じく300名、
35キロウォーキングの部が500名と、
早朝の交通機関が動いてない時間に1000名以上の参加者が瑠璃光寺に集まってきますので
自家用車で来る人以外はタクシーの争奪戦になります。

5時にホテルへ来てもらうようフロントにお願いしたのですが
残念ながらSOLD OUT状態でした。
ここでホテルの人が機転を利かせてくれて
どっちみち早起きなんやから4時30分にしてもらってはいかがです?」と提案してくれはりまして
なんとかタクシーを確保できました。

70キロ以下のクラスに出る人、タクシー手配はぬかりなく!
(250キロは5月2日、140キロは5月3日のいずれも夕方18時にスタートなのでそういった心配はいりません)

さっくりとお休みして
起きたのが朝の3時30分。

ふぅ、やっと2日目(大会当日)になりました。

まだ辺りが真っ暗のなか、
お願いしていたタクシーで会場の瑠璃光寺へ向かいます。

洞春寺に荷物を預けて
スタート地点そばのトラックに萩送りの荷物(着替えなど)を預け
あとはスタートを待つのみ。

  5時20分。朝の空気が気持ちいい。大内浩世の像。

  瑠璃光寺山門にて。やる気まんまん。

ここいらで、萩往還マラニックについての蘊蓄(うんちく)をば少しばかり…。
以下、ほとんど大会公式サイトから転用いたします。

「萩往還」とは、慶長9年(1604)毛利輝元が萩城築城後に山陰と山陽を結ぶ参勤交代道として開いた道です。
城下町萩(萩市)と瀬戸内の港三田尻(防府市)をほぼ直線で結ぶ全長約53kmのこの街道は、
庶民にとっても重要な交通路となり、
また幕末には維新の志士達が江戸や京へと往来し歴史的にも重要な役割を果たしました。

かつての道沿いには、藩主一行の宿泊所や休憩所となった御茶屋や駕籠建場など様々な施設が置かれ、
また一里塚・往還松のような旅人のための道標も設けられており、今でもその面影を一部にとどめています。

こうして重要な交通路として明治中頃まで300年にわたり栄えていた萩往還ですが、
山越えの険しい道であるが故いつしか姿を消してゆき、一部は廃道となっていました。

しかし、この貴重な古道や史跡を後世へ伝えようと、
昭和56年から63年にかけ沿線の市町村が中心となって保存整備を行い、
歴史の道「萩往還」として復元されました。
平成元年には国の史跡に指定、さらに平成8年には文化庁から「歴史の道百選」に選定されました。

「萩往還マラニック」は、歴史の道「萩往還」を広くPRするため、
平成元年(1989)から開催されている、マラソンやウォーキングを楽しむ大会です。

マラニックとはマラソンとピクニックとを組み合わせた造語で、
体力の限界に挑戦するだけでなく、
歴史の道を探索したり、
大会を通して参加者相互の親睦を深めることを目的
としています。

毎年5月の大型連休中2日から4日にかけて、
山口県山口市の瑠璃光寺庭園を中心会場として開催されており、
競技は走ることを基本とした「マラニックの部」が250km・140km・70km・35kmの4種目、
そして歩くことを主体とした「歩け歩けの部」が60km・35kmの2種目と、
各人の体力・脚力に合わせて参加できるよう全6種目に分かれています。
(今年は「歩け歩けの部」の60kmが中止)

峠越えの険しい山中でも、ここですれ違う選手達は声を掛け合い励まし合いながら共にゴールを目指します。
記録や順位を競うだけでなく、
選手同士、またエイドのスタッフやボランティア達とふれ合い親睦を深めることも、この大会ならではの楽しみです。

…といった概要の大会です。
完踏するかどうかという個人の目標はあるものの
ふつうのマラソン大会のように順位づけはされず、
完踏証に記載されるのも
「ゴールするのに要した時間」「名前」「出身県」だけです。
これがこの大会の性格をよく表しています。

何位でゴールしたかが重要なのではなく
コースをすべて走り(歩き)きったことが重要なのだということです。

  5時30分。スタート地点にて。

スタート前ではありますが
2日前にスタートした250キロの部のランナーがぽつぽつゴールを迎えています。
スタート前の70キロ、35キロ、35キロウォークのみなさんから祝福を受けてのゴールです。

  5時40分。すごいなあ。女の人だ。白ゼッケンは250キロの部。

  5時50分。スタート直前の整列。黄色ゼッケンは35キロの部。

6時から数十人ずつのウェーブスタートがはじまりました。
自分は第2グループです。
さすがに第1グループにはいるほどの勇気と根性は持ち合わせていません。

リュックを背負っての大会参加は4年前のしまなみ海道以来です。

これから最初の6キロで標高差500メートルを一気に登り、
けわしい山道を登ったり下ったりすることになります。

そろそろっと様子をうかがいながらスタートしました。

最初は一の坂ダムをめざします。

  6時20分。2キロ手前あたりで遅れてスタートした辻井さんに抜かれる。

  6時25分。一般道から往還道へ入る。

  最初はこんな感じ。

  ただひたすらこんな坂が続く。

  県道を横切って往還道は続きます。ピンクのゼッケンは35キロウォークの部。

  萩往還の道しるべ見つけるたびに撮ってました。

  6時40分。六軒茶屋跡に到着。

  登りは果てしなく続きます。

  こんな下りもあるのぢゃ。

  7時。萩市に入る。

萩市に入ったとはいえ平成の市町村合併で大きくなってるだけ。
距離的にはまだスタートして7キロもいってません。
まだまだ先は長い。

  山口県のガードレールはみかん色であります。

  藤がきれいに咲いていました。

  上級コースの方の「草餅エイド」。麦茶いただきましたがむちゃおいしかった。

だんだん250キロの部の人と対向する機会がふえてきました。
この人たちは、真っ暗闇のなか、二晩も夜を徹してでこちんライトつけて
走りつづけているのです。
しかもこんな山道を!!
脱帽ですわ。
「お疲れ様。がんばって。」という声がしぜんにでてきます。

やがて140キロの人とも対向するようになり
道中は行き交う人とずーーっと声を掛け合うことが続きました。

対向する人のほうがずっとくたびれてるはずなのに
「もうちょっとでエイドやで」とか
「もうすこしで下りになるで」とか
逆にこちらが励まされること、多かったです。

なんだか不思議な、あったかい大会です。

  こんな感じですれちがいます。写真ぶれてるのは。撮影者がフラフラだからです。

  またもや道しるべ。

  佐々並市のエイドをめざします。

  佐々並市に入りました。

  佐々並小学校跡。

  7時40分。佐々並市のエイド(14.3km)に到着。

佐々並市のエイドは「豆腐エイド」とも呼ばれ
名物の佐々並豆腐がいただけますです。

気温もあがってきていて
からだもへたってきているし
醤油をたらした豆腐が異常にのどごし良くて
むちゃむちゃおいしかったです。

  佐々並豆腐。おいしかった。ごちそうさま。

  7時50分。ふたたび往還道の山道へ。

  またもや登りです。

  明木市まで2.6kmとあります。

  ただひたすら登る。

  車道からみえるとこにはこんな道しるべもある。相変わらず道しるべにこだわってます。

  8時20分。釿ノ切峠。

  9時。明木市エイド(24.1km)に到着。

  ここは明木饅頭がおいしかった。おにぎりもいただきました。

  明木川に沿って1キロほど。快適でした。

平坦で快適だった明木の川沿いコースですが
裏返せば単調で変化のない道ということでもあります。

ここでたくさんの白ゼッケン(250キロの部)のみなさんとすれちがいました。
拾った木切れを杖にしてもくもくと一人で進んでる人もいれば
2〜3人で集団になって互いに励まし合いながら
脱落しそうになってる人を待ったりしながら先をめざしている「パーティ」もあります。
きっと、それこそ通りすがりなのに強い結束力をもってがんばってる人たちをみると
感動すら覚えます。

4年前、しまなみの終盤で一緒にバスに拾われた仲間のことを思い出します。
彼らは同志であり戦友です。

  またもや道しるべを発見。

  まだまだ登る。

  トンネル手前で往還道に入って登った。

  ということは、最後のお茶屋・悴坂御駕籠建場跡(27.0km)。

  最後の山越えと思われ…

  力をふりしぼります。道しるべ。

  9時40分。萩往還公園に到着。左から山県有朋、木戸孝允、伊藤博文。

  さらに高杉晋作、吉田松陰、久坂玄瑞。

  エイドもありました。梅干をいただきました。

1キロほど進むと「涙松址」というところにさしかかりました。

ここは吉田松陰が、安政の大獄で江戸へ送られるときに、ここで
「かえらじと 思ひさだめし 旅なれば ひとしほぬるる涙松かな」
という句を詠んだので有名なところです。

ここで松陰は萩に最後の別れをつげたのでしょう。
城下をのぞむには最後の場所だったのです。

  涙松の遺址。

  このあとは萩市街地をすすみました。緑ゼッケンは70キロの部。

  ついに萩城跡の標識を発見。萩駅そばの踏切で。

  交差点の信号待ちではみなさん屈伸です。

  10時10分。民家に夏みかんを発見。なんだか萩らしい。

  常盤小橋・橋本川を渡る。ゴールはもうすぐ。

ゴールは10時40分、長かったような短かったような4時間40分の道のりでした。

35キロの自分らはゴールですが、
上級コースの方にとっては折り返し地点、あるいはエイドでしかありません。

ゴールした私自身も満足したような物足りないような妙な気分でした。

というのも、めずらしくふくらはぎが攣るという経験なしにゴールしてしまったからです。

もうすこしいけそうな気はしていましたが
これまでやってきた道のりを考えるとここで折り返して再び山口をめざす70キロの皆さんが偉大に思えます。

  ゴール直後の方。おつかれさま。

  ゴール地点。

ほどなく先にゴールしていた辻井さんと合流してお昼ご飯を食べ
体力に余裕があったのであるいて萩市内を観光しました。

達者やわ。わたしたち。

  高杉晋作誕生地。

  木戸孝允旧宅。

  松下村塾。

  ここでお話してはりましてんな。

  松陰神社入り口にて。ここで高校時代に同じ写真とった記憶ある。

  伊藤博文旧宅。隣の別邸には興味ありませんわ。

  伊藤博文像。陶器製らしい。

歩き疲れたので松陰神社前の松陰食堂「夏みかんソフト」なるものを食べました。

ここで親切な奥さんのエピソードをひとつ。

夏みかんソフトはちょっと固めのアイスで
ソフトというよりはシャーベットに近いものでした。
そこそこならんで目的物をゲットし、
腰掛けを探してやっとこさ腰掛けて食べようとした瞬間、
そう、ひとくちもたべてないのに
ぽろっとコーンからアイスを落としてしまいました。

萩まで来て、落としたからといってすんなりとあきらめるわけにもいかず
心の中半泣きの状態で泣く泣く
再び330円を握りしめて列にならびました。

やっとこさ自分の番になったとき
アイスつくってくれてた奥さんが私の顔を覚えていたのか
「さっきこうてくれはりましたね(標準語に翻訳済)」と声かけてくれました。

「はい、食べようおもたら落としてしまいましてん。ほんでもひとつください。」とゆうたら
だまって新しいのを1個つくってくれました。
お代は無料です(^_^)

みなしゃん!松陰神社前の松陰食堂の夏みかんソフト、それに奥さんは山口一です!!
萩へお越しになったらぜひお立ち寄りください。
吉田松陰歴史館(ろう人形)の向かいです。

  松陰食堂の夏みかんソフト。山口でいちばんうまいっ!

萩城跡・石彫公園へもどって大会の搬送バスにのって
山口のスタート地点にもどりました。

  70キロのランナー、ラストスパート。

荷物をさっくりまとめて再び湯田温泉へ移動。
本日は前夜とはうってかわって宿泊費用5倍の豪華なホテルです。

以前、森脇健児さんのテレビ番組「走る男」で紹介されてたところで
名物女将の「女将劇場」で有名なホテル。
もちろん温泉も非常に評判いいです。

広い大きな露天風呂、時間が早いもんだから
ほぼ貸し切り状態でたくさんのお風呂を楽しみました。

で、晩ご飯。
あわびステーキうれしいやん。

  晩ご飯の一例。スタート時。

女将劇場が20時45分からだったので
えらい時間が余ってしまいました。

おなか、けっこう飽和状態だったのですが、
外を散歩して、
幻のラーメン亭なるお店の幻のラーメンをたべてみました。

  おいしかったですが、マラソンで疲れた胃腸にはちょっとギトギトすぎかな。

さて、時間が来て超満員のなか
女将劇場がはじまりました。

はっきりいってばかばかしい芸のオンパレードなんですが
これでもか、これでもかというくらい間髪入れずの
ジャブの繰り出しに
やがて感動すら覚えるようになります。

太鼓や水芸、南京玉すだれにマジックと
約1時間半、うまいか下手かといえば
まちがいなく下手なのですが、
へたうまの世界にずんずんひきこまれて
やがて腹の底から笑えてしまいます。

温泉宿のエンターティメントとしては最高だと思います。
いい気晴らしになりました。

  南京玉すだれの図。

  マツケンサンバはじまる。

  お約束のエンディング。

けっこう楽しんでマラニック当日の夜は更けていきましたのだ。

翌日は遠征最終日、メインディッシュは秋芳洞です。

  朝ご飯の一例。

  日本語勉強中のソンちゃんほか1名と。

湯田温泉からバスの便がよくないです。

時間つぶしがてら再び高田公園を散歩。

  足湯がまだ張られていませんでした。

  七卿の碑。

  井上馨の生家があったところだそうです。

結局バス停で一緒になった、東京からお越しの萩往還ランナー2人組とタクシー乗り合わせで
秋芳洞へ行くことにしました。

ご一緒したおふたりは、
おひとりが140キロ
もうお一人が視覚障害者の伴走で35キロと
すごい人たちでした。

  おきまりのスポットですな。

  鍾乳石の一例。

  黄金柱。

  やはり迫力あります。

天気が心配されましたが、
なんとか午前中はもってくれました。

ですので、復路は秋吉台にでてカルスト地形を楽しみながら
降りてきました。

  秋吉台。

  こんどは梨ソフト。これまたおいしかった。

  空気もおいしかったよ。

じっくり楽しんだ3日間、
非常に密度の濃い、贅沢な過ごし方ができました。

  新山口でのお昼はなぜかみそかつセット。山頭火というお店で。

  新山口駅前。D51の車輪が展示されてました。

  同じく種田山頭火の像。

  ひかりRailStar。快適でした。

  マツダスタジアムが新幹線からよく見えた。わたしセ・リーグはこの球場だけ未制覇。

  旅の思い出1。

  旅の思い出2。




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