13番 石山寺(石光山 石山寺)

12番岩間寺のお詣りをすませて石山寺までおりてきました。
はっきりいって近いです。
案内書によると6キロしか離れていないみたいです。

びわ湖毎日マラソンで有名な(?)瀬田の唐橋のそばにあります。

広い駐車場にクルマをとめてゆっくりとお詣りしました。

  遠方に見えるのは東大門

  まじで広そうな境内(笑)

石山寺の本堂は、国の天然記念物の珪灰石(石山寺珪灰石)という巨大な岩盤の上に建っており、独特です。
紫式部源氏物語の着想を得たところとしても有名です。

  東大門(重文)(平安末期)

  仁王様

   

  この説明によると平安末期に建てられて、慶長年間に再建されたようです

  サクラの季節に来るとすごそうですね(笑)

受付を入ってすぐのところにある池にメタボな鯉がたくさん泳いでいました。

  エサをやらないでくださいと張り紙がしてありました(笑)

池の向こう側に小さな洞窟みたいなものがありました。

  なんでっしゃろ?「頭上注意」とあります。

  説明発見、くぐり石!

「くぐり石」とわかった以上、くぐらねばなるまい(笑)

  かなり窮屈でした(笑)

  手水舎

石段をのぼりきると岩盤がいっぱいでした。

  

「きんきらきん」の観音様がいっぱいはいっている建物がありました。

  観音堂

  中は撮影禁止でした。残念。

  毘沙門堂(江戸時代)

  毘沙門堂の説明

  内部は撮影禁止ではありませんでした

  観音堂と毘沙門堂は並んで建っています(手前が毘沙門堂)

  御影堂(重文)(室町時代)

  こちらは享保年間に大改修されているそうです

  弘法大師、良弁僧正、淳祐内供を祀っているそうです

  蓮如堂(重文)(平安時代)

  現存するものは慶長年間の再建とされています

  蓮如上人を祀っています

さて、やっと本堂までやってきました。
本堂は寄棟造りの正堂と、懸造り(舞台造り)の礼堂を相の間でつないだ複合建築になっています。
懸造りの本堂は、清水寺、長谷寺など、観音様を祀る寺院に多いそうです。

  先に説明から(笑)

  本堂(国宝)(奈良時代)

  あまり人がおらず、ご朱印も待たずにいただけました

  本堂を出ると源氏の間がありました

  紫式部がいてはります

  まず須磨明石の帖を書いたとあります

  三十八所権現社(重文)(平安時代)

  慶長年間に再建されたとあります。屋根は檜皮葺き。

  経蔵(重文)(安土・桃山時代)

  こちらは校倉造で屋根は切妻、瓦葺き

  やっと多宝塔までのぼってきました

  多宝塔(国宝)(鎌倉時代)

  日本最古の多宝塔だそうです。屋根は檜皮葺き。

  宝篋印塔(重文)(南北朝時代)

  源頼朝と亀ヶ谷禅尼の供養塔だとされています

  似たような塔が二つ並んでいますが手前のんだけが重文

奥にある塔が何であるかについての説明がまったくなくて???でした。
教育委員会の人、ちょっと説明つけといてくれませんかねえ(笑)

ずーっと奥までてくてく歩いて紫式部の像までいきました。

  紫式部像

このあたりは梅園や牡丹園になっていて、季節によっては
見ごたえがあるのだろうなあと思いました。

  光堂

  月見亭

  ごつごつしていて独特ですな

  鐘楼(重文)(鎌倉時代)

  屋根は入母屋造で檜皮葺き

源頼朝の寄進と伝わっているそうですが、建築細部の様式は鎌倉後期(?)のものだそうです。
梵鐘は平安時代のものだそうです。

それにしてもよくもこれだけ立派な建物が現代まで残っている、または復元されているものです。

   

入り口付近まで戻ってくるとこんなものもありました。

  天狗杉

  歴史が古いといろんなお話がでてきますな

  天智天皇の石切場

  天智天皇の時代にここで切り出された石が奈良の飛鳥の川原寺の中金堂礎石に使われているのだそう。すごいね。

  西国札所観音霊場補陀洛山

…ということは、またこの奥にも三十三所の観音様が再現されているのでしょうな。
先を急ぎますのでショートカットいたしましたm(__)m

  少し離れたところから本堂の懸造り(舞台造り)をみました

  いただいたご朱印

  石山寺の思い出

  門前で買ったふなずしとしじみ飯

さて、次は勢いで14番札所の三井寺をめざしました。




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