さが桜マラソン2023

大学を卒業し、就職してすぐにマラソン好きの上司にひっぱりこまれたおかげで
特に苦手感もなく続けてきたジョギングでしたが
みずからピリカラクラブを主宰するようになってからは
いつのころからかマラソン全国制覇を目標にしてきました。

今回の佐賀県でついにコンプリートになります。

23歳からはじめて還暦前の59歳で達成、いろんなところにいったと思うと感無量です。
いろんな出会いもあったし、珍道中もしょっちゅうでした。
いろんな出会いのおかげで現在の自分がなりたっているところもあります。

40代のころは森脇けんちゃんの走る男を参考に、
けんちゃんが訪れたところへ行くのも楽しみのひとつでした。

2年前に脳梗塞を発症し、後遺症に苦しむようになってあきらめかけたこともありましたが
家族や友人、先輩・後輩に助けられてなんとか少しずつ復活してきました。
もちろんすばらしいお医者さんたちにめぐり会えたことも幸運のひとつでした。
マラソンのモチベーションをリハビリに利用するようになってからは
けっこうなスピードで病気を受け入れられるように回復してきたと思います。

そんなこんなで今回はいちおうの節目、マラソン国盗り物語の達成になるさが桜マラソン@佐賀県に挑戦です。

近鉄電車であべの橋へでて、天王寺から環状線、東海道線と経由して新大阪へ向かいました。

  天王寺駅

  新鳥栖までの乗車券・新幹線特急券。新鳥栖までは3時間ね!

  新大阪駅〜

  新大阪駅20番ホームのさくら号

ほんとうに九州まであっという間です。
飛行機でいくのもそうです。
なんだか便利すぎて旅情がないですね。。。

なので今回は、帰路はフェリーで帰ることにしています(^^)

息子が去年、仕事で苦しんでいた岩国の最寄り停車駅・新山口(かつての小郡駅)までもすぐのように感じました。

  こんなに近かったのなら一度くらい行ってやればよかった(わたしは病気療養中でしたが(^^;)

博多駅もさくっと通過して新鳥栖に到着。
新鳥栖駅は新幹線駅と在来線駅が別の改札になっていてなんだか不思議な感じがしました。

  新鳥栖駅の在来線ホーム。リレーかもめで佐賀へ

JR九州の車両ってどれもこだわりがあってかっこいいです。
マラソン遠征では2015年に大分遠征したときにゆふいんの森号に乗ったのがよい思い出です。

佐賀駅に到着したら奇妙なオブジェクトが出迎えしてくれました(笑)

  佐賀駅

面浮立というそうです。
インパクトありました。

面浮立(めんぶりゅう)とは一種の仮面踊りで、般若面に似た面長の鬼面を被ったかけうち(踊り手)が激しく、そして勇壮に舞います。
面浮立の起源は、豊後の大友勢が肥前を攻めた時、龍造寺方の鍋島直茂が一族郎党に鬼の面をかけ、
赤熊(しゃぐま)をつけ、陣鉦、陣太鼓、笛を鳴らして敵に夜襲をかけ、勝利したという故事にもとづくそうです。(佐賀県観光連盟)

なるほど!

とりあえず市内でやっていた佐賀城下のひなまつりイベントをみながらぷらぷらと県庁方面へ向かうことにしました。
ほぼほぼ普通に歩けるようになりましたが、
まっすぐ歩けないのと歩くスピードがややおちたのは困ったことです(^^;

  おひなさまがちらほらと!

  佐賀県庁〜

あとで友人にきいてわかったのですが、
右手の大きなビルも県庁で、
展望ホールみたいなのがあってそこは休日でも上れたそうです。
痛恨でした(ToT)

  徴古館

  佐嘉神社

佐嘉神社は佐賀藩第十代藩主鍋島直正公・第十一代藩主鍋島直大公を御祭神としておまつりした神社です。
直正公は文化11年(1814年)12月7日江戸桜田藩邸に於いてご誕生になり、
天保元年(1830年)若干17歳で襲封、藩主となられます。
財政改革を皮切りに教育改革、産業育成、軍事・科学技術の発展に力を注ぎ
佐賀藩はもとより、日本が近代化していく中で直正公は極めて大きな役割を果たされました。(佐嘉神社HPより)

  御朱印をもらいました

  佐嘉神社境内の大砲

  陽光桜というそうです

  水に親しむ環境があってよろしいと思います

ランナーズナイトという企画があったのでそちらに行ってみました。
会場が656広場と案内されていましたが、
「むつごろうひろば」と読むのだそうです。
地元の人は読めるのかもしれないけど、読み仮名ふっといてくれないと読めません(^^)

  カッパですな(^^)

キャラはシシリアンナというらしいです。
4月4日生まれ、永遠の4歳だそうな(^^)

  子どもたちの手形でサクラの花を咲かせているのはよい発想だと思いました

  チアリーダーのみなさん

ちょっと人数としては少なく、多少場違い感もありました(^^;
バスケットボールの佐賀バルーナーズを応援するバルヴィーナスとおっしゃるそうです。
佐賀のバルーンですな。
佐賀バルーンミュージアムへは時間の都合でいけなかったのですが、次回訪問の際にはいきたいと思います。

  やはり3人は少なすぎるような気がする…

  うむ、おつかれさまでしたm(__)m

やっとメインイベントのスペシャルゲスト、川内優輝選手がでてきました。

  みなさんお待ちかねです

  けっこうお話しがじょうずです

先週の飛鳥ハーフマラソンに続いて2週連続で川内選手にお目にかかれるとは(^^)
プロになってもまだまだ市民ランナーの星として活躍してほしいです。

  今晩もカレーライスを食べはったのでしょうか(笑)

で、会場で販売していた佐賀のB級グルメ、シシリアンライスを食べてみました。
シシリアンナの由来ですな。

  シシリアンライス

ご飯にマヨネーズというのは禁じ手のひとつだと思うのですが
やはりおいしかったです。
野菜のシャキシャキ感がとくによかった。

イベントがすんだ後は、商店街をとおって駅前のホテルにもどりました。

  県都の商店街の週末。やはり大型ショッピングモールに人をとられてしまったのか?

ホテルにもどって荷物を整理し、
いっぷくするまもなく佐賀駅に向かいました。

佐賀県代表Y田さんと待ち合わせのためです(^^)

   おつかれナマ〜

Y田さんとお知り合いになったのはもう21年前になります。
東京で一緒に自己研鑽していたときでした(笑)
九州の仲間はみんな親切で楽しいひとばかりです(^^)

   Y田さんと会うのは21年ぶりなのにすでに時計が巻き戻ってます(^^)/

   新鮮なおつくり〜

  焼酎は三岳〜

  てんぷら達〜

今日はイカが不漁だったとのことです。
次回は呼子のイカをつくりで食べるぞー!

  で、炊いたイカです

  いわしのおだんごー

  メバルの煮付け〜

どれもおいしくてお腹いっぱいになりました(^^)v

あまり遅くなってもなんなので、お腹パンパンになったところでお開きにしました。

  Y田さん、これからもオルレがんばってねー!!

備忘のため、お店は駅の北口のおかもとさんでした。

ホテルにもどって翌日の準備をしていたら
こんなはがきがでてきました。

  最後までがんばってください。応援してます!

神埼中学校の生徒さんの応援メッセージです。
うむ、男子生徒だな。
非常にシンプルで深いおことばです。
なんとか完走したい思いで制限時間6時間30分のこの大会にエントリーしたのだから
ねばれるだけねばる所存です!

  

ただ、パンフレットではこんなカード↑↑↑が紹介されていたので
もう少しカラフルだったらもっとテンションあがったのになー
とか思ったりもしました(笑)

ぜいたくをいうのはやめにしてしっかりストレッチをして床につきました。
この頃は身体が硬くなってなかなか曲がらなくなりました(^^;

さて、やっとマラソン当日です(笑)

ホテルで荷物を預かってもらおうかどうか迷ったのですが
帰り道どんな混雑にあうかもしれないし、
完走してたらきっとちょっとでも歩きたくないと思ったので
荷物をもって歩いて会場へ行きました。
(いちおう完走する気はあります(笑))

  佐賀駅北口(7:43)

  スタートゲートに到着〜(8:01)

男子の着替え場所は佐賀県総合体育館。
コロナ対策で、健康状態申告書と検温チェックを済ませた人が
ピンク色のリストバンドをつけることになっていて
それをつけていないと会場内を行き来できないことになっています。

  佐賀県総合体育館(8:07)

  リストバンドをもらいました(8:10)

サクサクッと準備をすませてなんだかむずかしそうなスタート前整列にむかいます。
はじめての大会はだんどりがわからないから困りますわ。

体育館からでたところでオーラを放っているオブジェクトに気づきました。

  むむっ!(8:21)

  こ、これは!

  これはっ!!

  古賀稔彦選手であるな!!

Wikipediaによると次のとおりです。
古賀 稔彦(こが としひこ、1967年〈昭和42年〉11月21日 - 2021年〈令和3年〉3月24日)は、
日本の柔道家(講道館九段)、医学者。学位は医学博士(弘前大学大学院・2012年)。
古賀塾・塾長。
元環太平洋大学・教授。
元日本健康医療専門学校・校長。
1992年バルセロナオリンピック柔道男子71kg級金メダリスト。

佐賀県三養基郡北茂安町(現・みやき町)出身。
血液型はA型。身長169cm。

常に一本を取りに行く柔道と、小柄な体からの切れ味鋭い技の数々、豪快な一本背負投が得意技であることから「平成の三四郎」の異名をとった。

福岡県久留米市で生まれ、幼少期を佐賀県北茂安町で育った。
柔道を習っていた兄の影響で小学1年生から柔道を始め、中学1年で上京。柔道私塾講道学舎に入門する。
世田谷区立弦巻中学校から世田谷学園高等学校、日本体育大学体育学部武道学科に進み、
在学中はそれぞれ数々のタイトルを獲得、怪我を克服しながら順調に成長する。

(大活躍の時期は長すぎるので省略(^^))

2008年6月、東京都台東区浅草橋にある日本健康医療専門学校の校長に就任。
同年、弘前大学大学院でスポーツ医学研究を始め、2012年3月に博士(医学)の学位を取得。

2020年11月から2021年頃まで、園児から大学生まで幅広く柔道の指導をしていた。

2021年3月24日、がんのため神奈川県川崎市の自宅で死去した。53歳没。前年にがんの手術を行い、療養中であった。
戒名は「金剛院献柔稔制大居士」。講道館は古賀の生前の功績に対して、死没前日の3月23日付で九段に昇段させた。日本政府は歿日付で旭日小綬章を追贈した。

2022年7月31日、佐賀市のSAGAサンライズパークSAGAプラザ(総合体育館)柔道場前に銅像が完成した。(以上)
↑↑↑ココですな(^^)
わたくしより4年前に生まれたんですな。
わたくしよりも背が低かったんですな。

古賀選手の感動的な姿にじーんときながらスタート前のお手洗いをすませ、
整列にはいりました。
ちなみにトイレは男子も女子も、大も小もごちゃまぜだったので
スタート前までたいへんなことになっていました。

  整列にはいってます(8:52)

  本日のコース

  号砲は鳴りましたがいっこうに動く気配なし(^^;(9:03)

  動き出しました(9:06)

  バルーンが見える(9:07)

  もうすぐスタートライン(9:07)

  スタートライン到着〜(9:07)

と、いうことで
スタート地点まで7分かかりました。

広い直線道路だったので、そのあとのストレスはさほどなく
比較的スムーズなスタートでした。

  1km地点(9:14)

  ぽよよーん♪ぽよよーん♪という不思議な音にふりかえったところ(9:16)

  セーラームーンにおきざりにされた(9:19)

なかなかよいペースでスタートしたと思います。
稽古がすすんでなかったことからするとむしろできすぎか?

  2km地点(9:21)

  折り返してきた先頭ランナーとすれちがう(9:22)

  ? なんか白い手のランナーが視界に入った!

  やはりネズミーランドの彼女か?

  顔が見えなくて足がやけにがっしりしてるけど???

  速攻で抜き去られてしまいました(^^;

  がんばって追いついてみました

しかし基礎体力が段違いに違うようで、
今度は本格的にスピードをあげて去っていかはりました。

  折り返してくるランナーと離合する川原町交差点(9:26)

  3km地点(9:27)

  佐賀県庁(9:31)

  ファンランの選手に追い抜かれはじめた(^^;(9:32)

  お堀にかかる橋の上(9:32)

  4km地点(9:34)

  なんかバルーンが見えてきたし(9:35)

  佐賀城本丸交差点(9:35)

  「夢」ですと!(9:36)

  お堀の南側にやってきました(9:41)

  北にむかってカーブ(9:41)

  背が高くて茶色いランナーを発見(9:43)

  おお、恐竜さんではないか!(9:43)

  それにしてもこの姿勢と視界でよくここまでがんばってるなあ(笑)(9:43)

  はじめての給水(9:53)

  給水は総じてうまく設営されていたと思います。感謝!(9:53)

  こっち向いて声援いただくとたいへん元気がでます(9:54)

  7km地点(9:55)

  ぽよよーん、ぽよよーんという音がしているところへ戻ってきた(10:00)

  8km地点(10:02)

  スタート地点付近までもどってきたよ(10:07)

  窓ガラスに映る自分たちの姿が動いているのが興味深かったですわ(^^)(10:07)

  九州女子大学にはなんちゃって登山部があるのじゃ!わたくしもオープン参加したいです(^^)(10:07)

  9km地点(10:08)

  タイガーマスクに追い抜かれた(10:10)

  10km地点(10:16)

  11km表示をかろうじて確保(^^;(10:23)

道が細くなって田んぼのなかのコースに変わりました(笑)

  私設エイドはたいへんうれしい(^^)(10:25)

  吉野ヶ里遺跡へいってもどってくるコースはほとんどこんなかんじで平坦でした(10:29)

  12km地点、ありがとう!(10:30)

  サロンパスの気球に最接近!(10:33)

  メディカルランナーは看護師さんやお医者さんなどたくさんいました(10:34)

  目線ありがとうございます(10:34)

  13m地点(10:37)

  鳥がたかってる人(笑)しばらく並走しました(10:40)

  14m地点(10:44)

  折り返してきた人と対向(10:48)

  スピードがぜんぜん違います(^^;(10:48)

  15m地点(10:51)

  お水ありがとうございます(10:52)

  はだかの軍団が追い抜いていった(10:58)

  はだかの軍団はけっこうな大集団(^^)(10:58)

  16m地点(11:00)

  17m地点(11:08)

  18m地点(11:17)

  あれ?はだかの軍団においついたぞ??(11:23)

  はだかの軍団はふつうのはだかの軍団なのか?(11:24)

20人ちかくいたと思うので
全員が足並みそろえて走るのはけっこう難しいことだったと思います。

ペース的には、わたくしがへたりはじめたころで
ラップもちゃくちゃくと落ちはじめてきたところだったので
もしかしたらわたくしと同じような脚力だったのかもしれません。

それにしても楽しい軍団でした。

  19km地点(11:26)

  フラットコースが果てしなく続いてこころが折れそうになる(11:35)

  20km地点(11:36)

  折り返してきたセーラームーンと対向しました。おぬしただもんちゃうな!(11:39)

歩きがずいぶんふえてきました。
しかもピーカン天気になって暑いです(^^;

  走路の見とおしがいいのも善し悪しですわ(11:39)

わたくしは箱庭のような明日香が練習コースなので
曲がり角が多くて見通しが悪くて、しかもアップダウンが多いのに慣れてるから
こちらの見とおしがよすぎるコースがけっこうメンタルにこたえてきました。

  21km地点(11:46)

  中間点(11:47)

  22km地点(11:54)

  おお、9時20分ごろに追い抜かれたミニーちゃんが折り返してきた(11:57)

  吉野ヶ里歴史公園にはいってきました。ここで折り返しになります(12:01)

  公園内の遊歩道をゆっくり走ります(12:03)

  遠方に再現された建造物がありますが、はっきりいって観る余裕ありません(^^)(12:04)

  23km地点(12:05)

23.6kmの第5関門(12:41)を30分程度のおつりで通過(^^)

  公園内のエイドに近づいてきた(^^)(12:10)

  神埼そうめん、神埼そうめん!(12:11)

  神埼そうめ〜ん!!(12:11)

結局、そうめんの写真を撮る前に食べちゃいました(^^;

  まるぼうろ(12:11)

  さがほのか(佐賀のいちごの銘柄)(12:12)

いちごはゴールしたあとにももらえましたが、
ちょっと早すぎたかな?
でもエイドで出すにはこれくらいでないと潰してしまうのかなあとも思いました。
先週、飛鳥ハーフマラソンでゴール後にもらったあすかルビー(これは奈良の銘柄)も若かったなあと…

  折り返したので今度はわたくしより遅いランナーと対向します(12:16)

  25km地点(12:25)

  うむ、最終ランナーを追尾している収容車と対向じゃ(12:30)

  たくさんの同志の方が歩いておられるな!(12:31)

  26km地点(12:36)

気持ちはわかるがうつむいてはいけない。
しんどいときも前向きに。

このあたりがいちばんきつかったのかなあ。

  27km地点(12:46)

とにかく単調だったです(^^;

27.1kmの第6関門(13:12)を無事通過(^^)

  高校生のスタッフ?ボランティアさん?がほんとうに多くて元気づけられます(12:48)

  お水ありがとうございます(12:49)

この日は気温が上がってほんとうに暑かったので
お水が大活躍していました。
水分をとりすぎなくらい飲んで
しまいがたには身体がお水を受けつけなくなりましたが
飲まないでいたときのことを思うと
飲んだほうがずっとましだったと思います。

  ほ場整備によりできたと思われる道をひたすらまっすぐ歩く(12:55)

  この「ぶっつけ本番」さんとは長いこと抜きつ抜かれつでした(12:56)

  28km地点通過withぶっつけ本番さん(^o^)v(12:57)

  お、はだかの軍団にまた追いついた(^^)(13:06)

  29km地点(13:06)

  はだかの軍団は集団走行なのでメンバのなかにしんどくなっている人がいるのかもしれない(13:08)

  わたくしとおなじようなくたびれかた(^^;(13:09)

  29.6km給水(13:12)

  ちょこっとプッチンプリン(13:12)

  距離あわせの(?)折り返しコースを戻ってくる園田学園チーム(13:18)

  折り返したあと(13:26)

カッパさんも暑いのにがんばってますわ(^^;

  31km地点(13:26)

カッパさんに追い抜かれちゃった(^^;

右前方に救急車がきていますが、
この救急車がコース上に入ってくるのに道をゆずっているときが
なかなかきつかったです。

しんどそうにひっくり返っておられましたが
レースに出るからには
こうならないような体調で出場したいといつも思っています。

体調を崩されたランナーもまさかこんなことになるとは思っていなかったと思いますが
なかには前夜に大騒ぎしすぎたりして
自業自得みたいに大会スタッフのお世話になっているかたもたまにおられます。
フルマラソンはやりかたによっては危険なスポーツなので
しっかり体調管理をして臨みたいです。
救援ランナーもそんな人を助けるために赤十字を背負って参加しているのではありません。

  おお、これはこれは!序盤に遭遇した恐竜さん(^^)(13:30)

いつのまに追い抜いちゃったのでしょう?
きっとトイレかなにかの間に追い抜いちゃったのだと思います。

  32km地点(13:40)

ここの1kmは14分かかってたんですな。
いちばんこころが折れていたところなのではないかと思います(^^;

  なぜだか記憶にありませんが給水所でもらったペットボトル水を撮影しています(13:44)

水分で身体をだましだまし進んでいたのでしょうね。

  33km地点(13:50)

33kmは第7関門(14:07)。
17分のおつりで通過(^^)

  34km地点(14:02)

  35km地点(14:11)

このあたりは、なんか1kmごとにキロ表示の写真をとるのだけを楽しみに
コース上をさまよっていたような気がします。

  36km地点(14:21)

  多布施川河畔にはいりました(14:26)

  37km地点(14:32)

37kmは第8関門(14:42)があるところでもあります。
10分のおつり。
なかなかビミョーになってきました。
あと5km。

足はもちろん攣っているので
度をすぎて負荷をかけると
まったく動けなくなってしまいます。

じわっと走ったり
スルスルとあるいたりの繰り返しになります。

もちろん「電柱1本走っては電柱1本歩き」ルールも適用しています(笑)

  エイドでもらった小城羊羹(村岡総本舗)(14:32)

これがくたびれ果てた身体によく効きました。
これをここで食べるためだけに
来年またさがマラソンに参加してもよいなと思うほど身体にひびきました。

  この小笠原選手とも終盤よく競り合いました(14:38)

  ほとんんどの人が歩いています(14:40)

  38km地点(14:40)

  39km地点(14:54)

そうとうへたってきました。
筋肉も稽古量に比例してパンク寸前です(^^;

  とっても桜色なところにきました(15:03)

  ありがとうございます!(15:03)

  40km地点(15:04)

  おお、昨日見た桜の手形!!(15:09)

  終わりが近づいて声援がめちゃくちゃ増えてきた(15:09)

  と、思ったら最終の第9関門(15:14)でした。セーフ!(15:11)

おつりがあと3分ということで
沿道のみなさんにも熱が入りはじめていたところなのだろうとおもいました。

とにかく足さえ攣らなければなんとかなると思い、
必死でした。

ここから国道34号をへてゴールのSAGAサンライズパークにはいるまでは
デジカメをポーチにしまってほんとに必死のパッチで進みました。
国道部分は車線規制の上、車も通しながらのコースになっていましたので
フラフラすすんでいる自分はとても危なっかしい
自分でも思っていたというのもあります(^^)

ここまできておいて制限時間の15時30分を過ぎてゴールするというのは
絶対にしたくありませんでした。

そして15時27分、制限3分前に無事ゴールすることができました(^^)/

  めちゃくちゃうれしかったよーん

  完走メダルは有田焼

ちなみに完走メダルは完走グッズ(ビニール袋に入れられて渡される水など)と一緒にいれられていたので
ゴール時には気づかず、あとからでてきました(^^)
直接首にかけてほしかったけど、コロナだからしかたないかねー(^^)

  ネットで確認した完走証

  ランネットの速報

ゴール後は、新門司港からでるフェリーとの連絡だけが気になって
そそくさと着替え、そそくさと駅までバスに乗り、
佐賀駅から新鳥栖、新鳥栖から小倉へと特急、新幹線を乗り継いで移動しました。

自分のゴール時間が予想つかないものだから仕方ないです(^^;

制限時間ギリギリでゴールできてしまうと
このへんがいちばんきついですわ(^^)

なので、晩ごはんは小倉で食べることにしました。

  とりあえず小倉駅をでたところでヒリヒリの手を撮影

  さらに拡大。思いっきり塩ふいてます(^^;

小倉駅前の居酒屋で軽く晩ご飯を食べて
小倉駅−新門司港間の連絡バスで新門司港へ移動しました。
フルマラソンで食欲なくなっていたし、それはそれでよかったかなと…

新門司港では、乗船券の発券前にコロナの旅行支援割引が適用できるよう
ワクチン3回接種証明を確認してもらいました。
お土産のクーポン券ももらえてお得感がありましたです。

  本日お世話になるフェリーふくおか号

  船内客室部分の見取り図

わたくしが泊まったのは8階にあるデラックスルーム(ツイン)のひとり使用でした。
はっきしいってめちゃくちゃ快適でした。

  8階の通路

  わたくしの部屋!

  わたくしの部屋ドーン!

  わたくしの部屋ドーン、ドーン!!

  わたくしの部屋ドーン、ドーン、ドーン!!!(^^)

  そして日本中から大阪いらっしゃいキャンペーン(^^)/~

  ゆっくりお風呂に入って汗を流したあと。リストバンドと腕時計のあとがよりくっきりしてます(^^)

船の中をあちこち探検してみたいと思っていたのですが
フルマラソン完走のダメージで歩くこともままならず、
個室内のお風呂に入るのですらひと苦労でしたので
トイレとお風呂がついている部屋にして大正解でした。

結局、ほとんど秒でぐっすり寝入ってしまいました。

そのぶん翌朝は気持ちよく目覚めることができました。
ただし、目覚めたものの筋肉痛が半端なくて悲惨でした(ToT)

日の出に間に合いましたので
船の上にでて景色を楽しみました。

  前方に見えるのは淡路島と思われます

  日が昇って明るくなってきました

  船のしっぽ?名門大洋フェリーのマーク

  明石海峡大橋を通過〜

  子ども達がいっぱいおって写真を撮っていたのじゃ(^^)

朝はゆっくりできてよかったです。

フェリーは8時30分に大阪南港に到着。
船の旅もいいなあと痛感しましたです。

  入港後はフェリーターミナル駅から地下鉄でかえりました。これもたいへん楽でした(^^)

船をつかってのマラソン遠征は2012年のゆふいんマラソン以来なので11年ぶりでした。

船旅の魅力をあらためて感じたので、これからは利用できる機会があれば
できるだけ利用したいと思います。

2泊3日でしたが、それ以上にこころがゆったりできた旅でした。
Y田さん、佐賀県代表で歓迎していただいてどうもありがとうございましたm(__)m

さが桜マラソンの歓迎はほんとうにうれしく、
制限時間も今の自分の身の丈にあっていて
機会があればもう一度挑戦してみたいです。
このマラソンで完走できなければフルマラソンは引退と背水の陣で臨んだ大会でしたのでほんとうによかったです。

  うれしかった完走メダル(^^)

  旅の思い出

  10日後の腕。脱皮中ですわ(^^;




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